リモートお悩み相談室③「姉」
芹梨さんに弟がいたという話を聞いたのは、昨日が初めてだった。
きっと、言う機会がなかったから言わなかっただけなんだろうけれど――少し、嫌な気分になった。
ぼくは面倒くさい男だと、自覚する。
だって、ぼくたちは一生一緒にいると誓った間柄だ。
そのくらいのことは、求めたっていいんじゃないか?
「好きなラッパーが出所していてつい最近アルバムを出してくれました」
「そうなんだ」
元刑事のくせにヒップホップを好むアラサーに片足突っ込んだ若作り女の子こと梨ちゃんこと芹梨さんは今日、いつもおり機嫌がよかった。仕事のことを忘れていなければいいんだけれど。
「今年もラップスタアが始まりましたし、せっかくなら応募してみては? 賞金一千万ですよ」
「どうしてぼくが応募するのさ」
ラップどころか音楽自体を好まないぼくが賞金一千万規模の大会に応募して勝ち上がれるわけないだろう。そもそも、ぼくが知っているのはラップの基本の基じゃなくラップ好きの奇人の奇だ。
怪奇でもあるか。
「最近は、色々と熱いですね」
「そりゃ六月だからね。もう夏になっちゃうよ」
「暑いじゃありません」
なら、なにが熱いんだ?
この季節に色々と熱いものといえば――あれ、六月ってもしかしてなにもなかったり?
六月といえば、で思い浮かぶイベントがなにもない。体育祭がちょうどこのくらいの時期か?
「あなた、もしかして日枝神社の山王祭を知らないんですか?」
「え、なにそれ?」
完全に初耳の祭りだった。その日枝神社ってのは北海道のどこにある神社なんだろうか。
「東京都の千代田区にあります」
「ここ北海道なんだけど」
どうして知っていて当然みたいな反応をされなくちゃならないんだろうか。道外にすら出たことがないぼくに、そんな知識を求めてほしくはなかった。
というか、芹梨さんだって北海道出身の北海道育ちで北海道勤めだろう。
「いえ、私は大学を飛び級で卒業していますので…………。道外どころか海外にいましたよ」
「え、そうなの?」
そういえば、芹梨さんとぼくが初めて会ったのは約七年前だったか。
被害者の聴取を担当していた刑事時代の芹梨さんと、被害者の友達だったぼく。当時は小学五年生だった。
それから月日が流れて、ぼくも今は高校三年生――の世代だ。高校には通っていないので。
今の芹梨さんの年齢が――具体的には言えないが、アラサーに片足突っ込んでいる程度だ。なら、もしかして初対面時は十代だったのか? 十代でキャリアは珍しいどころか不可能な気がするけれど。
「大卒でないと採用試験を受けられないんですよ」
あ、そういうことか。そういえば、どこかで聞いた話だった。
つまり、十代でも大卒なら総合職試験を受けられるということ。
「凄いですね」
「どうしていきなり敬語になるんですか」
「いや、ぼくとはレベルが違うから………………」
そういえば、芹梨さんは一応エリート中のエリートなのだ。
刑事時代も『道警でもっとも優秀』と評価されていたようだし、実際功績だけを見れば彼女は道警どころか全国でもっとも優秀だったに違いない――まあ、やりかたがマズかったんだけれど。
あの事件さえなければ、芹梨さんの関わった事件で犯人が捕まらなかったことは皆無だった。そのくらい優秀な刑事が、今こうしてお悩み相談屋という胡散臭い仕事を始めてしまっている現代の日本をどうにかするために政治家という職業が存在するのではなかろうか。
「優秀だったから犯人を逮捕できたわけではなく、犯人を逮捕するために優秀になっただけですよ」
芹梨さんがなにやら深そうなことを言ったが、頭のレベルが違うぼくにはあまり理解できなかった。話半分で聞いていたので、そもそも理解する気がなかったとも言い換えられるかもしれない。
さて、そろそろ時間だ。
無駄話は終わりにしてもいい頃合いだろう。
「芹梨さん、そろそろ仕事だよ」
「そうですね」
なんと、芹梨さんは自分の仕事を忘れるような社会人ではなかった。素直に褒めてあげようかな、と少しだけ思った。本当に少しだけで、別に褒めてあげる気はなかった。
「今回の依頼人は…………、椎﨓蜜柑って名前の人だ」
名前が特徴的だなあ、とぼんやり思った。
芹梨さんはぼくの結った三つ編みを片手でいじりながら、もうひとつの手を使って服を着始める。珍しく、自発的に服を着てくれたことに驚きを隠せなかったが、過剰に驚くともうやってくれなくなるかもしれないので、ぼくは平静を装った。
「今回はリモートなんだよね?」
「ええ。会おうと思えば直接会えますけど」
…………?
まるで知っているかのような口ぶりだが、芹梨さんの知り合いだったりするのか?
「ええ、知っていますよ」
外に出ても通報されない程度の仕上がりをもって着衣動作を終了した芹梨さんは、ぼくの内心を看破して答えた。
「刑事時代に、犯人の家族だった彼女から話を聞いたんです」
犯人の、家族。
加害者遺族。
時折流れてくる胸糞悪いニュースのコメ欄で、犯人の次によく叩かれる存在。
『ひさしぶりです、芹梨さん』
「ええ、お久しぶりです。調子はどうですか?」
椎﨓さんには、兄と姉がいた。
そして兄は犯罪者だった。
そして姉は犯罪者だった。
『さいきんは、あんまりわるくないです。柊桜蜜柑のことをしっているひとがいないので』
大学三年生にしては妙に幼い声と喋りかただった。画面に映る顔も身体も、まるで大学生とは思えない。中学生と間違われるのが普通なレベルで童顔小柄な雰囲気だった。でも、身長はぼくよりも高そうだった。
「ところで、柊桜って?」
ぼくの問いかけに、椎﨓さんは食い気味に答えた。
『わたしのきゅうせいです』
旧姓――か。
そりゃ、名字は変えなきゃだよな。
家族が犯罪者になってしまったのであれば。
「悪くないなら、よかったです。心配していましたから」
悪くない。
でも、ぼくたちが今しているのは、お悩み相談屋だ。
つまり、椎﨓さんも、客であるということ。
つまり――椎﨓さんにも、悩みがあるということ。
『…………そろそろ、ほんだいに』
「どうぞ」
椎﨓さんは、少し緊張したような面持ちで言った。
『このままだと、わたし、りゅうねんしちゃうんです………………』
「………………………………え?」
その馬鹿馬鹿しいほどに呆けた声の主は、紛れもなくぼくだった。
なに、留年?
横目で芹梨さんの様子を窺うと、彼女もどうやら困惑しているようだった。
「えっと、それは…………」
場に充満していたシリアスな空気が、一気に台無しになる。いや、台無しになったほうがいい空気ではあるのだけれど。
悩みが、あまりにもくだらない――
「ど、どうしてですか?」
『しゅっせきがあぶないんです。よく、さぼっちゃうから。ほとんどのこうぎで』
理由までくだらなかった。
そんなの、もうどうしようもないじゃないか。気持ちの問題だ。
『ちがうんです。ほとんどのこうぎでまいかいていしゅつするれぽーとがあって、しかもそれをはっぴょうしなきゃいけなくて、それがだるくて、いつもやすんじゃうんです。さぼりたいわけではなくて………………』
言い訳をしているつもりなのかもしれないが、そんなものが言い訳になるはずもない。ただ、自分から素直にサボりですと言っているようなものだった。
授業をサボってしまう――その気持ちは、分からなくもない。去年のぼくが高校を辞めた理由も、だるかったからでしかないのだから。ぼくの場合は、ほんの少し事情が異なる気もするけれど………………。
でも、だからこそ言うが、そんなのは気持ちの問題だ。
ただでさえ大した事情じゃないのに、椎﨓さんの言い訳|(?)はただの甘えている申告にしかなっていない。救いようがない、とまで言うつもりはないが――というか、よくそのマインドで三年にまで上がれたな。
「………………なるほど」
知人の醜態に微笑を保てなくなっている芹梨さんに、いささかながら同情の念を抱いた。
というか、これをどう解決するんだ?
解決も未解決も、結局は依頼人の気持ち次第じゃないか。
それとも、椎﨓さんの意思を完全無視して彼女を留年させないことが、芹梨さんにはできるのか?
「発表ができないんですか? それとも、嫌なだけですか? または、レポートが嫌?」
芹梨さんの問い。
『れぽーとはいやだけど、かくのはかんたん。はっぴょうは、できないわけじゃないけど、ほんとうににがて。ちゅうもくがあつまるのが、いやなんです』
椎﨓さんの答え。
要するに、問題はその目立ちたくなさがり屋さんなところか。
そこを矯正すれば、椎﨓さんに講義をサボらせないことができる――
「え? 無理じゃない?」
「こら、英愛くん」
依頼人の前で本名を呼ばれた。
まあ、芹梨さんの知人だから別にいいんだけれど…………。なんなら、知らない人でもそこまで気にはしない。
「思っても、口にしちゃダメですよ」
小声で叱ってくれるのは非常にありがたいが、怒るべきは別の部分じゃなかろうか。
いや、どの口が言ってんだ。
『あ、ごめんなさい』
「ん?」
いきなり、椎﨓さんが謝罪してきた。ぼくに対して謝っているんだとしたら、なんだか申し訳ない。
まあ、違ったが。
『たばこすっていいですか?』
「………………どうぞ。リモートなので、許可は必要じゃないと思いますけど」
許可を得た椎﨓さんは、幼い外見に似合わないものを口に咥えると、画面外から取り出したライターで先端を燃やした。その様子を見ていると、どうにも未成年喫煙に見えてしまう。ただ、彼女は大学三年生で、二十歳以上――ぼくよりも年上なのだった。
『…………おにいちゃんのえいきょうで、おぼえちゃったんです』
相変わらず似合っていないですねという芹梨さんの表情があまりにも分かりやすかったのか、椎﨓さんはまた言い訳するようにそう補足した。蛇足というほど無駄な情報ではなかったが、それにしてはどうでもよかった。
「……………………」
椎﨓さんの、『おにいちゃん』――その名が出た瞬間、芹梨さんは苦い顔をした。
おそらく、相当嫌な思い出だったのだろう。
刑事は、とても大変な仕事だ。詳しいことはなにも知らないけれどね。
「いえ、あの事件の取り調べを思い出してしまっただけです」
「どうして文頭で否定したの?」
なにが『いえ』だ。ぼくの思ったとおりじゃないか。
というか、昔の芹梨さんは取り調べでトラウマを植え付ける側だったはずなんだけれど…………。
まあ、なんにでも例外はある。
『どうしましょう…………………………』
椎﨓さんはタバコをくわえると、段々と明るい表情になった――のも束の間、口から煙を吐くと椎﨓さんの表情は暗くなっていった。吸うと明るい、吐くと暗いってことか?
「とりあえず、全裸で一日暮らしてみては?」
そして、芹梨さんの口から唐突に吐き出される謎の提案。
『え?』
困惑を隠し切れないといった様子の椎﨓さんを見て、今のが説明不足だったことを自覚した芹梨さんは、こう補足した。
「コンビニとかにも行ってみましょう。いつの間にか、多少の恥なんてへっちゃらになりますよ」
「ストップ梨ちゃん」
今回は説明不足ではなく説明が終わっている。椎﨓さんの表情は、未だに困惑を保持していた。
ぼくはすぐに止める。
「元刑事がなにやってんのさ! 露出狂を生み出そうとしないでよ!」
「だって、あまりにも馬鹿馬鹿しくて………………」
その気持ちは分かるが、さすがにやりすぎだろう。
もしなにかの間違いで椎﨓さんがそれを実行してしまったら、留年どころか普通に退学だ。
そして、それだけならまだいいが――
「全裸で外に出たとして、もし依頼人がなんらかの被害に遭ったら、ぼくたちはどうやって責任を取るの?」
「…………………………」
みんながみんな、ぼくのように行くとは思わないでほしい――なんなら、芹梨さんはまだ責任を取り終えていないのだ。
あの事件の。
「新しい責任を追加してどうするのさ」
「……………………すみません、蜜柑ちゃん」
『え、ああ、うん、こちらこそ………………?』
状況をなにも理解していない呆けた声だったが、それでいいのかもしれなかった。
それにしても、結局どうすればいいんだ。
「芹梨さ――梨ちゃん、どうする?」
「試験が突破できないとかだったらなんとかなるんですけど、出席できないのはちょっと…………」
椎﨓さんには、後がない。
さすがにリカバリーのできない学年だし、今なんとかしなければ留年は確実だろう。必修科目はとくに出席重視の授業が多いと聞くし|(ネット情報)………………。
どんなにくだらない悩みであっても、それでも悩みは悩みだ。
自業自得でも因果応報でも自縄自縛でも身から出た錆でも、ポンプなしマッチだけでの自爆でもなんでも、犯罪でも原罪でもとにかく――悩みを解決するのが、ぼくらの仕事だ。
まあ、ぼくが個人で悩みを解決したりすることはなく。
現状は、すべて芹梨さんに押し付けているわけだけれど。
「………………………………はあ」
長い沈黙|(一分くらい)ののちに、芹梨さんがようやく口を開いた。
「蜜柑ちゃん」
『は、はい………………』
どこか緊張している様子の椎﨓さん。これから、説教されるのかもしれない――そんなことを思っていたら。
「講義には出席してください。でないと――」
ごくり、と喉を鳴らしたのは、椎﨓さんでなくぼくのほうだった。
道警で『被害者キラー』と呼ばれていた彼女の口から、どんな棘のある言葉が飛び出てくるのか――
思わず自業自得の椎﨓さんを心配してしまったが、予想外だったのが芹梨さんの言葉だった。
「お姉さんに言いつけますよ」
『………………………………………………』
いきなり、この空間が静かになった。
画面に映る椎﨓さんは、静止したまま動かない。
しばらくしてから、ひゅ、と喉の鳴る音が聞こえた。
「…………………………え?」
それだけ?
ぼくが芹梨さんの言葉に困惑しているうちに、沈黙を壊したのは画面越しの椎﨓さんだった。
『お………………』
耳を抑えたくなるくらい、大きな声で。
『おねえちゃんには、いわないでっ!!!』
仕事終わり。
「というか、椎﨓さんの姉って犯罪者なんじゃないの?」
「まだ収監されていますよ。でも、面会はできます」
つまり、どういうことだろうか?
娑婆にいない人間のことなんて、別に気にしなくてもいいんじゃないのか?
「月に何度か面会で話しているそうですが、どうやら蜜柑ちゃんはお姉さんに見栄を張っているようなのです」
「………………見栄?」
「『わたしはまじめにがんばってるよ』、みたいな感じでしょうね。彼女のお姉さん――柚子さんは、蜜柑ちゃんに『真面目でいること』を望んでいるようなので」
よく分からない関係だが、まあ姉妹なんてそんなもんなのかもしれない。
「ちなみに、蜜柑ちゃんの見栄は柚子さんにバレてます」
「バレてんのかよ」
椎﨓さんの姉|(柚子さん?)のことを芹梨さんはよく知っているようだ。おそらく、時々面会に顔を出したりしているのだろう。ということは、もしかして――
「芹梨さんって、その柚子さん? って子が起こした事件でもなにかしらの失敗をしたの?」
「え?」
過去に担当した事件を基本的に覚えていない芹梨さんの、唯一の例外――それは、失敗だ。
芹梨さんは、自分の失敗を絶対に忘れはしない。
しかし、今回はそうじゃなかったらしい。
「いえ、蜜柑ちゃんを特別視しているだけですよ」
「ふうん…………?」
芹梨さんがただの人を特別視するだなんて、少し珍しい。
そう思った六月のある日。
そして、風俗で働く姉を軽蔑していた弟の依頼を未解決し終えた八月のぼくら。
芹梨さんが椎﨓さんを特別視していた理由が、なんとなく分かった気がした。
あの人は、姉だから――
「………………分かんないことばっかり」
ずっと一緒にいる、という約束を、ぼくと芹梨さんは交わしている。
芹梨さんは、ぼくに人生を捧げたのだ。
だから――ぼくには、知る権利がある。
芹梨さんのすべてを求める資格が、ぼくにはあった。




