リモートお悩み相談室②「正義と犠牲」
「依頼人の前では、『なっしーちゃん』と呼んでください」
「え、嫌だ」
どうして保護者代理兼アラサーに片足突っ込んでる系の元刑事のことをそんな痛い名前で呼ばなくちゃならないのだろうか。いや、別に名前が悪いわけではないのだけれど。
悪いのは芹梨さんの年齢と性格と立場である。あと職歴。
「せめて、『梨ちゃん』とかにしようよ。『なっしーちゃん』はちょっと…………」
「その名前は文学系ユーチューバーと被るんですよ」
だからなんだよ。
名前の被りを気にするような人間が、世界一にはなれないだろう。
「『なっしーちゃん』だって探せばどこかにはいるでしょ。それなら『梨ちゃん』でいいじゃん」
「…………なら、『なっしーちゃん』がダメな理由もありません」
墓穴を掘ってしまった。
確かに、ぼくの論理が成立するなら『なっしーちゃん』がダメな理由もなくなってしまう。どちらにせよ、誰かと被るのが避けられないのであれば、そして避ける必要がないのであれば――好きなほうを選ぶのは当然だ。
とりたてて覚えづらいハンドルネームではないし、痛さと呼ぶつらさを考慮しなければ固辞に固持する理由はどこにも見つからない。共感性羞恥を必死に我慢すればいいだけなのだから…………。
………………あ、そうか。
「だって、恥ずかしいから」
「え?」
本当の理由を具体的に言わなければ、『なっしーちゃん』がダメな理由を説明できる。
「初対面の人の前で、『なっしーちゃん』って呼ぶの、ちょっと恥ずかしいんだよ。せめて『梨ちゃん』にしてほしいな」
正直、どちらも変わらないようにも見えるが、文字に起こしたときのマシさは『梨ちゃん』のほうが上だ。
「………………そうですか、へぇ?」
さて。
「ふふっ、恥ずかしいんですね、へぇ……、…………ふふっ」
妙にイライラする目つき|(たとえるなら、微笑ましいものを見るような目)を向けてくる芹梨さんに、ぼくは嘆息する。まあ、こうなることは分かっていたし、別にどうってことはない。
羞恥心を露わにすれば、絶対にからかわれることは分かっていた。腹が立つけれど、仕方がない。
その代わりに、ぼくは地獄の『なっしーちゃん』呼びを避けることができた。ふなっしーを声に出して読みたくないくらいには羞恥心の強いぼくだから、そんな未来にならなくて本当によかった。
「その腹立つ顔、そろそろやめてよ。もうすぐ、約束の時間でしょ」
「………………ああ、そうなんですか?」
社会人のくせに、まさか自分の仕事を把握していないとは…………。
いや、今現在の芹梨さんの状態を社会人と呼ぶのは、さすがに憚られるかもしれない。
相変わらず服を脱いでいて|(昨日色々あったおかげで、下着を着けるようにはなってくれた)、その脱いだ服は床に転がっている。ちなみに、芹梨さんは寝ている間は服を着ているという珍しいタイプだった。
「ほら、服着てよ」
「はあい………………」
自主的に服を着るようになってくれたのも、ぼく的に嬉しいポイントだ。
「今日の依頼人は?」
「高校二年生の男子だってさ。自分の姉について相談があるらしいよ」
「…………………………」
なにを察したのか、それともただの気まぐれか、芹梨さんは唐突に硬直した。
「え、どうしたの?」
「………………いえ、なんでもありません」
芹梨さんはポーカーフェイスが苦手で、感情がすぐに顔に出てしまう――だからこそ、彼女の噓は分かりやすい。
きっとその噓には、ぼくの知らない芹梨さんがたくさん含まれているのだろう。
そこに、感情は働かなかった。
『姉が、風俗で働いているんです』
軽い挨拶と自己紹介を終えて、さっそく本題に――と。
いつもの流れで、今回はいつも以上に端的だった。
「………………それが、どうしたんです?」
そして、芹梨さんの常識のなさが露呈した瞬間である。
普通、家族が夜の仕事をしていたら、少しは嫌な気持ちを抱くはずだ――いつでも常識の埒外にいる芹梨さんに、その気持ちが分かるはずもないか。
今回の依頼人――住島煤色は言った。
『お金がないんだったら、普通に働けばいいじゃないですか。わざわざ楽な道に逃げて、身体を粗末にするだなんて…………、どうかしてます。それに、弟として恥ずかしいです』
さすがに言いすぎなんじゃないか、と思わなくはなかった。兄弟姉妹がいなかったぼくには、一生分からない気持ちなのかもしれない。
そういえばと心配になったので、横目で芹梨さんの様子を窺う。
芹梨さんは、時々風俗に通っている。なにか目的があるわけでもなさそうなので、おそらく芹梨さんはそういう店が好きなのだろう――好きなものを貶されて、彼女は表情を保っていられるだろうか?
ポーカーフェイスが苦手な芹梨さんだから、彼女が気分を害すると、それがダイレクトで依頼人に伝わってしまうのだ。そうなると、依頼を取り消されてかつ低評価を押されてしまう恐れがある。悪評が広まったら大変だ。
レビューを星五にするためにも、芹梨さんには我慢してもらいたい。
と思っていたのだけれど。
「………………………………ふうん」
いつもの貼り付けたような気味の悪い微笑が、芹梨さんの顔から消えていた。
美人の真顔は怖い――三つ編みが奇形生首きびだんごの隊列に見えてくるほどの圧をもって、芹梨さんは画面を睨んでいた。煤色くんはまだおかしい様子に気付いていない。
小声で呼びかけてみようか。
「ちょっと、せりな…………、梨ちゃん」
うっかり依頼人の前で芹梨さんと呼んでしまうところだった。慌てて訂正しながら、芹梨さんを落ち着かせるために言葉を紡ぐ。
「まず、話を聞こうよ」
「………………………………」
怒りの言葉や罵詈雑言よりも、無言がいちばん怖いということをぼくは今ようやく知った。
『だって、実の姉が親と同じ年齢くらいのオッサン相手に腰振ってるんですよ? あり得ないですよ、気持ち悪い。家族としてどうかと思います』
年齢が思春期真っ只中の煤色くんは、相変わらず刺々しい物言いで姉を批判した。
まあ、確かに引いてしまうかもしれない。身近な存在――たとえば母親が風俗で働いていたら、ぼくだって驚くだろう。
でも――言うほどか?
さすがに、言いすぎなんじゃないか?
風俗は確かに、どちらかといえば裏の仕事みたいな感じだ。性欲に関わることだから、表沙汰にしたくない気持ちもよく分かる――でも、家族がそういう仕事をしているからって、そこまで言うか?
しかも、ぼくたちは初対面の人間だ。
気心の知れた友達というわけですらないのだ。
「言いすぎでは…………?」
あからさまに機嫌を悪くしていた芹梨さんも、これにはさすがに違和感を抱いたらしく、いつの間にかいつもどおりの微笑を取り戻していた。
「性欲は誰にでもあって、その欲求不満を解消してくれるお店で働く人を馬鹿にはできませんよ。気持ち悪いと感じるのは自由ですが、そこまで言う必要はないでしょう」
芹梨さんのまともな発言にはとても驚いた。
しかも、珍しく依頼人を諭すようなことを言っている。それで気分を害されたら、少し面倒なことになりそうだけれど。まあ、芹梨さんならどうにでもできるのかもしれない。
相手は高校二年生のガキだ。
『で、でも、実の姉がそんなことをしてるなんて、友達にバレたら大変ですよ。世間体もあるし、それにやっぱり嫌です。もう、姉と口をきける気がしません。というか、話したくもない………………』
まあ、分からなくはない。
芹梨さんには分からないだろうが、普通の人にとっての風俗のイメージはかなり悪い。身体の安全だったりを無視しても、性事情が絡んでしまう時点でそのようなイメージを持たれるのは仕方のないことだ。
ぼくだって、芹梨さんが風俗で働き始めたらドン引くだろうし。
「………………まあ、なんでもいいんですけど。とりあえず、質問があります」
『質問?』
「なにをもって解決とするか――です」
そういえば、煤色くんが提示したのはあくまでも前提だけだった。
なんと、問題がないのだ。問題のない試験に、解答なんてない。
ゴールがない状況で闇雲に走り回っても、それは無駄な徒労で骨折り損である。三重の無意味なんかに、こちらとしても時間を費やしたくはないのだ――お悩み相談屋は、解決を求めない悩みに対応しない。
「あなたは、なにを望んでいるのですか?」
『………………』
煤色くんはしばらく考えたのち、言った。
『辞めさせたいです』
「…………………………ふうん?」
煤色くんの姉に風俗を辞めさせるよりも、芹梨さんにその怖い反応をやめてほしかった。
「では、あなたのお姉さんのプロフィールを教えてください。年齢や略歴を…………」
『住島鈴色、今年から大学に入学した十九歳です。大学名は言わないですけど、私大の看護学科です。あと――』
「もう十分です」
『――え?』
あと――のあとに途轍もなく重要な情報が出てくるかもしれないのに、芹梨さんは途中で止めてしまった。もしかしたら、もうなにかを察したのかもしれない。
「次は、あなたのことを聞かせてください」
『俺のこと? 大事なことなんですか?』
「言いたくないことは言わなくてもいいので。円滑な解決のためにも、まずは依頼人のことを知っておきたいのです」
円滑な解決、か。
この問題を解くための計算が、スムーズにいくとは思えないけれど。
「あなたは、進学希望ですか? それとも就職?」
『進学ですけど…………。大卒じゃないと、どこの会社も雇ってくれないじゃないですか。今の時代』
高校生が、今の時代のなにを知っているのだろうか。
今の若者が大して知りもしないまま昔を語り出すような現象と同じなのかもしれない。
「進学ですか。学費は出してもらえるのですか?」
『はい、多分ですけど。姉がそういうの拒否してるっぽいんで、その分………………』
「え?」
それは、さすがに聞き捨てならない。
「………………あなたのお姉さんは、学費もすべて自分で支払っているのですか?」
『はい。自分でやるからって言って………………』
なんとなく、煤色くんが姉に対して異様に厳しい理由が分かった気がした。
彼が言いたいのは――どうして家族を頼ってくれないのか、だろう。
風俗で働かなきゃならないくらい困窮しているくせに、どうして自分ひとりでやろうとするのか。
姉は、両親を――家族を、信用していないのでは?
いつぞやの半グレさんの悩みを思い出す。
要するに、この悩みの本質はあの時と同じで――疑心暗鬼なのだろう。
信用されていないから、こちらも信じられない。半グレさんの件とは別種だが、根本は等しい。
「なるほど…………」
芹梨さんは、あからさまに嫌そうな顔を浮かべて言った。
「私立大学の学費はお昼のバイト程度では払えません」
あまりにも率直で、端的で、シンプルで単調なセリフだった。
『そんなこと……………………』
「たとえ年に百五十万稼いでいたとしても、それらはすべて学費に消えます。ただでさえ所得税や住民税にお金を奪われるのに、生活費だってあるでしょう? 少なくとも、部活やサークルに入る余裕なんてありません」
ぼくは話をぜんぜん理解できていないけれど、稼げば稼ぐだけ徴税されるんだーくらいの知識はあったので、話についていけないということはなかった。
「お金がないのに、自立しなければならない――私は頭がよかったのでなんの問題もありませんでしたけど、頭が悪くて家がお金持ちじゃない人が行く場所じゃありません。大学は」
それはさすがに言いすぎなんじゃないかと今度は芹梨さんに対して思った。
でも、一理あってしまうのかもしれない。
芹梨さんの存在はけして正しくないけれど、彼女の言ったことはすべてが正しい。
「辞めさせたほうがいい、というのはそのとおりです。あなたの提示する解決は、確かに正しい――でも、正しさなんかで、あなたのお姉さんの努力や苦労を台無しにしてしまうのですか?」
『っ…………………………』
芹梨さんは言葉を止めない。
「あなたのために親からの援助を拒否したお姉さんを、どうか責めないであげてください。美しくも正しくもない自己犠牲ですが、それでもあなたは感謝するべきです」
押しつけがましい――少しでもそう思ってしまったぼくは、もしかしたら正しいのかもしれなかった。
「風俗以上に稼げる仕事なんて、私には紹介できません。元警察の私が、一般市民を犯罪に加担させるようなことがあってはなりませんから……………………。だから、あなたの悩みを解決することは、できません」
『………………分かりました。ありがとうございました』
煤色くんは、苦虫を嚙み潰したような表情をしたまま、通話から出ていった。
お悩み相談屋でも、解決できない悩み――
「ふう。疲れました」
ノートパソコンを閉じると、芹梨さんはため息をついた。
「よかったの?」
「?」
ぼくの問いかけに、芹梨さんは不思議そうな顔をする。
「お客さんを逃がしちゃって、本当によかったの?」
本当は、そんなことが知りたいわけではない。
ぼくが本当に知りたかったのは――芹梨さんなら、煤色くんの悩みを解決することができたんじゃないか、ということだ。
煤色くんの姉――鈴色さんは、きっとなにかしらやりたいことがあって大学に通っているのだろう。
弟と、自分のやりたいことのために風俗で稼ぐ鈴色さん――に、風俗を辞めさせる。
一見すると、難しく思えるかもしれないが――手段を選ばなければ、ぼくにだっていくつかの解決策が思い浮かぶ。だったら、芹梨さんはぼくの倍解決策が思い浮かんでいたはずだ。
それなのに、芹梨さんは『あなたの悩みを解決することはできません』と断言してしまったのだ。
いったい、どうして?
「………………そうですね」
ぼくの本当に知りたかったことを見透かしたのか、芹梨さんは言った。
「私にも、弟がいましたから」
お姉さんの気持ちが、少しばかり分かるんです――と。
…………………………いるから、ではないのか。




