リモートお悩み相談室①「弱み」
なっしーちゃん――もうアラサーに片足を突っ込んでいる大人の女性が考えたにしてはあまりにも痛すぎるハンドルネームだが、それを直接教えてあげる勇気がぼくにあるはずもなく。
そんな我らがお悩み相談屋、今回の依頼はこちら。
「まさか、お悩み相談屋がリモートワークとはね」
「現代設定ですからね」
芹梨澄美は元刑事であり、現在はお悩み相談屋を運営している。
つまるところ、ぼくの上司だ。
ところで、お悩み相談屋ってなに?
「今回の依頼人って、確か………………」
「準暴力団として指定された組織に所属しているそうですよ」
要するに半グレである。反社会的勢力のお悩み相談すら受け付ける上司の姿勢には惚れ惚れするが、ぼくの存在を忘れてほしくはない。彼女がなにか危険を冒すごとに、部下もしくは助手であるぼくも一緒に巻き込まれるのだ。
いつかの自分の判断を後悔しそうになりながら、ぼくは黙々と準備を進める。
本来なら、リモートワークに準備なんて不必要だ。ただパソコンでビデオ通話ツールを起動してそのままぼうっとしていればいいだけの簡単な仕事だ――ただしそれは、きちんと服を着用しているのであればの話だが。
「………………そろそろ、裸族は卒業してほしいんだけれど」
「あら? もしかして、照れているんですか?」
確かに、同居して間もない頃は芹梨さんの裸を目にして頬を赤らめたりした。いくら歳が離れているとはいえ、彼女は美人なのだ。しかも、見た目は大学生に間違われるほど若い。
だが、いくら男子高校生といえど同じエロを見続けていれば飽きるものだ。具体的には三日で飽きた。
「仕事に支障が出るよ」
「眼福でしょう?」
「いつもの姿が撮られたらどうするのさ!」
ブラジャー、キャミソール、Tシャツの順に服を着させると、ようやく人様に(リモートでなら)お見せできる格好になってくれた。自分では絶対に服を着ようとしないアラサーなんて、接していてかなり痛々しい。
下半身も同じようにして、なんとか芹梨さんを外に出しても通報されない人間に仕立て上げることができた。
「いや、さすがに外出時には服着ますけど」
「普通はリモートで初対面の人と会話する場合にも服を着るんだよ」
昔は気味の悪かった芹梨さんの異常性も、いつしか『変人』という括りで呆れることができるようになった。自分でも、素晴らしい進歩だと思う。
芹梨さんは刑事時代、かなりあくどいこと(頭で考えることすら憚られる)をしていた。それによる罪悪感が原因で、彼女は警察を辞めることになったわけだが――
「そういえば、一昨日行った風俗の話なんですけど………………」
とても罪悪感を抱けるような心をしているとは思えなかった。罪悪感があるなら羞恥心だって当然のように備わっていそうなものだけれど、もしかしてこれは偏見なのか?
「そういうお店って、女の人でも利用できるんですか?」
「店舗型はたまに受け付けてくれなかったりしますけど、派遣型ならほとんどいけます」
元警察(しかもキャリア)だからか、風俗について妙に詳しい。
一応ぼくの保護者代理となっている人がこんなんだなんて、両親に知られたら絶対ヤバい。
「あ、そろそろ約束の時間ですね」
「そうだね」
正直、半グレの依頼人が時間を守ってくれるとは思えないのだけれど。お悩み相談屋とかいう胡散臭い商売をしている人相手に約束を守ってくれる保証はどこにもない。
それに、芹梨さんは刑事時代にこういう手合いと何度か揉めている。中学時代に振った男が、仲間を引き連れて襲撃してきたこともあったそうだし。いったい、どんなに恥ずかしい振られかたをしたのか。
なんてことを考えていたら、芹梨さんが「繋がりました」と報告してくれた。
『………………聞こえるっすか?』
「聞こえますよ。初めましてこんにちは」
『おっす』
約束を守る反社が存在することに驚いたが、数秒後、約束を守らないのは反社会的勢力でなく社会不適合者であると今さら気付いた。文字数もパッと見の感じ|(漢字?)も同じなので、どうやら混同してしまったみたいだ。
ちなみに社不というのは、芹梨さんみたいな人を指す言葉である。
『どんな悩みでも解決してくれるって聞いたんすけど』
「ええ。私がどんな悩みでも解決してみせます」
芹梨さんはそう言って、画面の前で胸を張った。半グレさんは苦笑しながらも、その視線をどこか一点に集中させていた。ビデオ通話でも分かるもんなんだなあ。
「それに、相談するだけならタダですよ」
そう――このお悩み相談屋、相談だけならなんと無料なのだ。
なんという良心的な設計。相談を受け付ける人間が社会不適合者の元刑事であることに目を瞑れば慈善すぎる活動だ。
『そりゃありがてぇっす。実は、結構困ってましてね』
犬の手でも借りたいんすよ――と半グレさんは言った。
警察だから、犬か。警察の頭には元があるけれど、半グレさんにはそんなこと関係ないのだろう。
元警官があなたの悩みを解決します! というキャッチフレーズで売っているので、半グレさんもそれは承知で悩みを相談しにきたんだろうけれど………………。
元警察を犬と呼ぶ人間の悩みを、解決してもいいのか?
「解決してはいけない悩みなんてありませんよ」
ぼくの内心を察してか、芹梨さんは小声でそう言った。それもそうか。
「では、さっそくお聞かせください。あなたの抱えている悩みを」
どんな人間であろうと、必ずしも悩みは抱えてしまうものだ。
公務員から暴力団から学生から社会人まで、ありとあらゆる人間が多種多様な悩みを抱え込んでいる。
そう、抱え込んでいる――それは、ダメだ。
健全とはいえない。
お悩み相談屋は、悩みを抱え込ませないために存在する。
半グレさんこと――藤奸増焼さんのお悩みは?
『実は俺、尊敬してる兄貴分がいるんすよ。
『俺が揉めごとに巻き込まれたら、すぐに助けてくれるし。暴力沙汰だってへっちゃらなんす。
『しかも、自分のほうが稼いでるからって、よくお小遣いまでくれるんすよ。
『《《アイス》》だって無償で分けてくれるし、してもらってばっかっす。正直、なにも返せていないんすよね。
『いつも可愛がってくれて、マジで良い人なんすよ。俺が女なら惚れてましたね。つーか、男でも惚れますよあんなの。実際、あの人って男女関係なくめちゃくちゃモテてるし。
『俺だけに優しいってわけじゃないところがまた最高っすよ。あの人、どんな奴にも平等に接するんすよ。この間なんて、俺らの管轄にある風俗で暴走しちまったストーカー陰キャの顔を二、三発抉るだけで済ましたんすから。女子どもに手を出すような奴にそんな慈悲を与えちゃうってのは、欠点なのかもしれないっすけど。
『まあ、あの人は義理人情に厚くて愛情に溢れる心優しい自慢の兄貴分なんす。
『でもっすよ…………、ここからが、悩みなんすけど。
『あの人のノーパソを借りる機会があったんすよ。んで、その時に操作を間違えて変なフォルダ開いちまったわけっすよ。
『すると、そこにあったのは、なんと――俺の弱みっす。
『あの人は、素知らぬふりをしながら、俺の弱みを握っていたんすよ。
『詳しくは言えないんすけど……………………、まあ、粗相っすね。女とガキに聞かせられる話じゃないっす。犯罪じゃないんで、そこは勘違いしないでほしいっすけどね。詳しく言えない理由? そりゃ、俺にもプライドがあるっすから。
『………………話を戻すんすけど、俺はマジで驚いたっす。どうしてこんな動画をあの人が保存しているんだ、って。あれは、間違いなく俺の弱みになる代物っすよ。
『でも、俺は直接訊けなかったっす。どうしてあの動画を持ってるんだ、って。
『知ってしまった俺は、どんどん苦しくなったっす。あの人は、俺を嵌めようとしているのか? 俺を脅そうとしているのか? まさか、もう広められてるのか? どんどん疑心暗鬼になったっす。今は、具合がわりぃっすって言ってしばらく会ってない状態っすけど…………、会うのが、怖いっす。
『こんな悩み、周りの奴らには打ち明けらんないし………………、それに、俺はまだあの人のことを信じているんすよ。それなのに、心の奥底にあの人のことを信じられない自分がいて。
『だから、アンタらを頼ったっす。周りや自分、そしてあの人とは真反対のアンタらに。
『この悩みを解決しろなんて言わないっす。情報は十分じゃないし、いつまでもこうしちゃいられないっすからね。
『………………でも、どうか――この先も俺の愚痴を聞いてくれないっすか? 金は、毎回払うっすから』
半グレであろうと、心の支えが信じられなくなれば心は崩壊する。
すべてが反転したように感じてしまう。
反社会的勢力も社会不適合者も、結局のところはただの人間でしかないのだ。
とはいえ、意外性は十分だ。画面越しに見る藤奸さんの顔は、典型的なチンピラ系屋内サングラスにしか見えないのに、まさかそんな事情を抱えているだなんて。
終わりまでずっと黙って藤奸さんの話を聞いていた芹梨さんは、「うーん」と謎の唸りを二度繰り返したのちに言った。
「そのお金は受け取りませんし、解決を求めないただの愚痴は受け付けていません」
「えっ」
芹梨さんの意外な拒絶に反応したのは、藤奸さんでなくぼくだった。
言いかたは悪いが、カモがネギを背負ってやってきた状態なのに。いったい、どうして?
「どうしてなの?」
気になったので普通に訊くと、芹梨さんは一度ため息をついてから答えた。
「今までずっと愚痴られる側だったので、愚痴を聞くことに慣れていないんです…………」
「え、そんな理由?」
思った数百倍は馬鹿馬鹿しい理由だった。せっかくの仕事なのに、くだらないし私情極まれり。
まあ、芹梨さんが本当にそんな理由で客の要望を断っているかどうかは分からない。別の理由があると思ったほうがよさそうだ。
『………………そうっすか…………』
藤奸さんは落胆を隠そうともしない。感情が抑えられないタイプの人間なのだろう。もしくは、常に垂れ流しにしているからこそ感情を抑えられるタイプなのかもしれないが。
どちらにせよ、謎の罪悪感を抱いてしまいそうだった。
人が悲しんでいると、こちらまで謎にテンションが下がってしまう。
「ええ、あなたの頼みは聞けません。あなたの悩みは解決しますが、その提案は呑めません」
芹梨さんがしつこいほどに念を押してくる。『頼みは聞けません、提案は呑めません』――ん?
「芹梨さん、今なんて言ったの?」
「ええ、あなたの頼みは聞けません。あなたの悩みは解決しますが、その提案は呑めません」
まったく同じ速度と抑揚で、先程のセリフを声に出す芹梨さん――
ん?
――あなたの悩みは解決しますが?
画面を見ると、藤奸さんは目を見開いていた。
『ど、どういうことっすか?』
「なにがですか?」
『俺の悩みが、解決するって………………』
どうやら彼も、ぼくとまったく同じところで驚いていたようだ。
しかし、どういうことだ?
藤奸さんの悩みが、解決する…………………………?
どんなどんでん返しがあろうとも、尊敬していた兄貴分に弱みを握られていて疑心暗鬼になってしまったという藤奸さんの悩みを解決することはできなさそうだけれど。
「いえ、できますよ」
ナチュラルに人の心を読んでくる芹梨さんだが、考えていることが声に出てしまっていた可能性もあった。
そして、芹梨さんはできると断言した。
なら――できるのか?
「ではさっそく、あなたのお悩みを解決してみせましょう」
芹梨さんは、なんてことないような顔でそう言ってのけた。
「あなたの兄貴分である『あの人』が、隠れてあなたの弱みを握っていた――そのせいで、あなたは疑心暗鬼になってしまい、『あの人』を心の底から信じることができなくなってしまった。それが、あなたの悩みです。
「その悩みを解決するには――あなたが、『あの人』の目的を知る必要があります。」
『目的?』
「ええ、目的です。それさえはっきりすれば、あなたの悩みは綺麗さっぱり消え去ります。
「あなたが言う『あの人』は、あなたが揉めごとに巻き込まれればすぐに助けてあげて、暴力沙汰もへっちゃらで、お小遣いもくれて、アイスも分けてくれて、いつも可愛がってくれて、男女関係なくめちゃくちゃモテていて、あなたにだけ優しいわけではなくて、どんな人にも平等に接して、義理人情に厚くて、愛情に溢れていて、心優しい男の人――ですよね。
「ですが、それって本当に事実でしょうか?」
『なっ!』
芹梨さんの発言に耳を疑ったのは、藤奸さんだけでなかった。
でも、確かに妥当な考えではあるか――自分を慕ってくれている弟分の弱みを握っているという情報は、『あの人』の印象をかなりマイナス方向に傾けてしまう。
しかし、芹梨さんはすぐに訂正した。
「失礼、言い間違えました。正しくは、どのくらい事実でしょうか? です」
『………………どのくらい? 意味が分からないっすけど』
ぼくもまったく同じ意見だった。
もしかすると、芹梨さんは藤奸さんを信頼できない語り手として考えているのかもしれない。それなら、前提を疑う思考はあまりにも妥当性のあるものへと変貌する。
しかし――ぼくの考えは、とことん外れていた。
「どれかひとつくらいは、間違っているんじゃないかと言っているのです」
「ど、どれかひとつ?」
よく分からなくなってきた。結局のところ、芹梨さんはなにが言いたいのだろう?
『俺は馬鹿っすから、難しいことが分からないっす』
馬鹿じゃなくとも芹梨さんの言っていることは難しい。
「…………では、分かりやすくいきましょう。
「あなたは、『あの人』について『俺だけに優しいってわけじゃない』と言いました。ですが、本当にそうでしょうか?
「もしかしたら――『あの人』は、あなたにだけ特別優しくしているのかもしれません」
『………………は?』
なにが分かりやすくいきましょうだったのかが分からなくなった。
藤奸さんの反応を待たずに、芹梨さんは説明を続ける。
「あなたは準暴力団とされる犯罪グループに属しています。なら、『あの人』に関しても当然そうであると言えるでしょう――なら、当然一緒に犯罪を行うわけですよね?
「しかし、罪を犯すのであれば、捕まる心配もしなければなりません。捕まらないようにする用心、そして、万が一捕まったときのための準備です。ここまで言えば分かるでしょう?
「………………さっぱり分からないという顔をしていらっしゃるので、解説します。
「つまるところ、『あの人』があなたの弱みを握っている理由は――おふたりが捕まってしまった際の、保険です」
脅迫されて罪を犯した場合、緊急避難が認められる可能性がある。
つまり『あの人』は、藤奸さんの弱みを握っておくことで、いざというときに『俺が脅して罪を犯させたんだ』と主張できるようにしたのだ。
自己犠牲――だからこそ、芹梨さんは指摘した。
藤奸さんの話は、どのくらい事実でしょうか?
あなたにだけ特別優しくしているのかもしれません――
『そ、そんな………………』
「自分を慕ってくれる弟分を守ってあげたいと思うのは、兄貴分としてあまりにも当然のことです。まあ、この方法は正直に言って稚拙以外の何物でもありませんが。警察はそこまで無能じゃありませんから」
それは、元警察官らしいセリフだった。
仕事を終えた午後一時半、ノートパソコンを閉じてからいつものように服を脱ぎ出した芹梨さんを尻目に、ぼくは考えた。
藤奸さんは、芹梨さんの提示した『解決』に納得したようだけれど――本当に、そうか?
ぼくは、人間の汚さを知っている。その汚さに汚された被害者だからだ。
なら、元刑事の芹梨さんはぼくなんかよりももっと知っているはずだ。
人間の、本当の汚さを――そして、恐ろしさを。
弱みを握っておくことで後輩が逮捕されたときに後輩の罪を軽くする、という真相は、確かに芯が通っている気がする。辻褄も合うし、論理的で、破綻的な矛盾は存在しない。
でも、それでも――信じられない。
違法薬物を無償で分けてくるような人間が、人の顔を抉るような人間が、良い奴だなんて――正直言って、違和感を覚えてしまう。そもそも、反社会的勢力に所属する人間を信用できるわけがないのだけれど。
しかし、芹梨さんはなにも言わなかった。
ぼくには見えないなにかが、彼女には見えているのか。
それとも――
「五万も振り込まれちゃいました。今夜は焼肉ですね」
「…………………………外に出るなら、服は着てよ」
いや、考える必要はない。
芹梨さんがなにを考えていようと、ぼくの目的は変わらないのだから。




