明媚館の殺人①「発見」
「法律というのは、犯罪者のためにあります」
「じゃあ、被害者のためにあるものは?」
「被害者のために動くダークヒーローですかね」
「それって犯罪者じゃないの?」
明媚館で夜を明かして、二日目の朝に突入した数時間後にぼくたちは起床した。
芹梨さんが寝ぼけて同じベッドに潜り込んできたせいか、正直あまり眠れていない。まだ九月なんだぞ、まったく……。まあ、寝心地はよかったけれど。
これほど高級なベッドは生まれて初めてだったので、ぼくがあまり眠れていないのはそのせいでもあった。緊張というか、わくわくというか――高級ベッドで寝る機会を無駄遣いしてしまった感はあるけれど、これも良い経験だ。
あとで、有栖川さんか江國さんにあとでベッドのお値段を教えてもらおう。
「ほら、芹梨さん起きて」
「んー…………」
寝起きがいちばんの隙であるアラサー足湯女・梨ちゃんこと芹梨さんを起こす。芹梨さんが寝るとき裸族じゃなくて本当に助かった。さすがに、全裸の人と一緒のベッドに寝ることはできないので。
「英愛くん、今何時ですか…………?」
「朝八時だよ」
「………………そろそろ、起きましょう…………」
いつもどおり、眠たそうにしながらベッドから出ていく芹梨さん。そこでようやく、彼女に下敷きにされていたぼくもベッドから脱出することができた。
「今日は食堂使えるかな」
「ゴキジェットは今日届くそうなので、早くても昼食でしょうね」
「じゃあ、朝はみんな各々の部屋か」
芹梨さんとは生活リズムがほんの少しだけズレているので、一緒に朝食を食べる機会が実は珍しいのだった。楽しみってほどでもないが、貴重な体験をさせていただこう。
歯磨きをして、顔を洗って、パジャマから着替えて、芹梨さんは朝風呂。
客室にそれぞれひとつずつお風呂があるって、もうホテルじゃんここ。
宿泊客が広すぎる館内で迷って出られずに餓死して心霊スポットになりそうだけれど。
「それもいい」
世界平和とはあまりにも程遠い妄想だった。
…………世界平和。
有栖川さんが語っていた、野望。
どうせ実現なんてできっこない――と、心の底から思っているにもかかわらず。
「応援したくなるんだよね」
カリスマというか、美しさというか――きっとそれは、外見上の美しさなんじゃなく。
有栖川叶愛の、心の美しさだ。
彼女が言っていたことを思い出す。
『美しさというものに、ただそうであるということ以上の意味はありません。それなのにみんなは、わたしのすることを見てくれません』
ただそうである、ということに価値があるのではないのか。
内面が美しいからといって、外見は醜くなければならないという制限はなく。
美しい。
美しい
美しい
ゲシュタルト崩壊を起こしそうだった。
「お風呂はいいですね。少なくとも身だけは綺麗にしてくれますから」
芹梨さんが長い朝風呂を終えて出てきたので、ぼくもどうしようかと迷う。朝風呂というものに、あまり縁がないぼくなのだけれど――まあ、別にいいか。
どうせ、いつでも経験できるものなんだし。
「なんでもかんでも経験扱いするんですね」
「え、だめ?」
「いいえ」
じゃあ文句言うんじゃねぇよ黙ってろ、という内容のセリフを十倍に希釈して芹梨さんに放った。
反抗期ですね、と笑われた。
「ぼくはずっと良い子だったから、反抗期なんてなかったよ」
「反抗期はないほうが怖いんですよ」
自分というものを強く主張できない人間は、必ずどこかで爆発する。爆発することが悪いことなのかどうかは知らないが、良い悪いで考えなければそれはただの問題だろう。
結局のところ、自分には自分しかいないのだから。
「そういえば、ご飯はまだかな」
ふと、お腹が空いていることを自覚したぼく。
「もうすぐ九時半ですね」
「まだ食堂は使えないはずだから、江國さんが持ってきてくれると思ってたんだけれど」
働かざる者は食うなということなのかもしれない。
要するに、自分で持っていけ、と。
「じゃあ、ぼくちょっとご飯持ってくるね。できてなかったら催促する」
「…………私も行きます」
「うん」
ぼくと芹梨さんが部屋を出ようとしたところで――それは、突如として、響いた。
『きゃあああああああああああああああああああああああああああっ!』
それは、明媚館全体に響き渡るほどの悲鳴だった。
そして明確に――女性の声。
「…………………………え?」
「今のは――悲鳴?」
ぼくの抱える空腹は、急速に萎んでいった。
食堂の辺りから聞こえた声は――江國さんのものだった。
江國さんの悲鳴を聞いて食堂前に駆けつけると、一足先に持田さんと常盤さんがいた。
「あれ、ここら辺から聞こえたよね…………」
常盤さんが不思議そうにしているという珍しそうな光景を目撃したところ。
ぼくたちが来てから十数秒後かに、青崎さんと花井さんが来た。
これで、旺季さん以外の全員が――食堂前に集まったことになる。
いや、有栖川さんもいないのか。
「江國釉さんの悲鳴を聞いてここまで来たのだが、姿が見えない」
「食堂ってことは、ゴキブリじゃないか?」
花井さんと青崎さんの声が、耳に入る。
が、そんなものにかまっている暇もなく。
ぼくは予感していた――目の前にある扉を、開けてはならないと。
食堂の扉は、昨日からずっと封鎖されていた。理由はもちろん、ゴキブリである。
だが――違う。
中にあるのは、ゴキブリなんかじゃないと。
「………………………………英愛、くん」
芹梨さんもどうやら気付いたらしい。
この違和感に。
「江國さーん? だいじょーぶ?」
持田さんが呑気な声を上げる。
そして、常盤さんが表情を変えた。彼女も気付いたのか。
花井さんは食堂の扉を開けようとするが、老体には厳しかったらしい。明媚館の食堂の扉は、重いのだ。
現役スポーツ選手である青崎さんが花井さんの努力を引き継ぎ、有栖川叶愛の別荘である明媚館の食堂の扉を頑張って開ける。そういえば、昨日は持田さんが軽く扉を開けていたなーとかそんなことを考えながら。
すべてが滅茶苦茶になる感覚を。
支離乍ら。
それでも生き永らえていたぼくでも。
固まった。
中の様子を見た瞬間。
食堂の中心にある長いテーブル。まるで、それは、最後の晩餐だった。
でも、決定的に違うのは――そのテーブルのさらに中心にあったそれが。
死体だったから。
あまりにも美しい――死体だったから。
まるで、眠っているようだった。
服はすべて脱がされていたが、そこにエロスを見出すことはあまりにも不可能だ。
顔色が悪く、肌は変色し、首には絞められたような跡があって、それは紛うことなく死体だった。
のに。
その場にいた全員が――見惚れていた。
それに対し、『美しい』と感じてしまったのだ。
だが、いつかは直面することだろう。
美しいソレが――館の主である、有栖川叶愛の死体である事実に。
だから、せめて、今だけは。
現実じゃないなにかに、浸っていたかった。
現実だとは思えないようななにかに、どっぷりと浸っていたかった。
ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。ぼくはそう思った。芹梨澄美はそう思った。江國釉はそう思った。青崎壱はそう思った。持田小春はそう思った。常盤ほたるはそう思った。花井麗司はそう思った。
ぼくはそう思った。
誰も、言葉を発さない。
当たり前だ。
発さないのではなく、発せないのだ――息ができるかどうかすら怪しい。
ぼくたちは微動だにできなかった。
当然である。
だって、目の当たりにしてしまったのだから。
あの光景を、もう一生忘れられない。
目に焼き付いてしまった。
とれない。
とれない。
とれない。
「検死をします。英愛くん、来なさい」
空気が読めないぼくの師範代である芹梨さんが、静寂を打ち破った。
ただ、やはり普段どおりにはいかないらしい――彼女の声は、若干震えていた。
それでも、腐っても元刑事なのだろう。この場にいる誰よりも人の死に触れあってきた芹梨さんは、こういった場面でこそ本領を発揮する――まあ、それは刑事だからというより、芹梨さん本人の性質みたいなものなのかもしれないけれど。
しかし、検視だって?
それじゃあ、まるで――死因を特定して。
情報を集めて。
犯人を捜そうとしているみたいじゃないか――
「っ芹梨さん!」
ぼくの大事な保護者の名を叫んだのは、ぼくではなく――持田さんだった。
「検死ってなに? ふざけないでよっ! 叶愛が死んだのに、どうしてそんなことができるの!?」
人が死んだら検死をするというのは、別におかしなことではないだろう、と反論することはこの場の誰にもできなかった。
それは、この状況が――あまりにも『違う』から。
人が死んだとか、これが殺人事件であることは驚くほどに明確だとか、そういう些事を気にしている場合ではない――そんな観念を、芹梨さん以外の誰もが共有していたからだ。
「ここは無人島です。警察もすぐには動けません。だったら、私たちがやるべきでしょう」
当たり前で簡明で思ったよりも簡潔な正論。
純粋な事実。
人間じゃない――そう思えるほどに。
「そんな、くだらないこと…………っ!」
「あなたはさっきからなにを言っているんですか? 有栖川叶愛が死のうと疚田英愛が死のうと持田小春が死のうと常盤ほたるが死のうと青崎壱が死のうと花井麗司が死のうと旺季恵兎が死のうと江國釉が死のうと――人がひとり殺された、という事実は変わりません。ですから、私たちが取るべき対応だって変わりません」
持田さんは、きっと、自覚していない。
芹梨さんのなにが気に食わないのか――自分でも、分かっていない。
そして、みんなも分からない。
これは理屈じゃない。
それでも、
有栖川叶愛という存在が失われた――その事実が、
結局のところ、すべてだった。
「………………芹梨さん。まずは、ここから出ようよ」
埒が明かないので、とりあえずぼくはそう申し立てた。
「ここにいるみんなは、有栖川さんの死体を目に収めたまま冷静な会話なんてできっこない」
ぼくは、常盤さんの様子を確認する。先程から、ずっと気になっていた。
「……………………」
常盤さんはなにも言わず、ただ茫然とそこに突っ立っていた。
でも、言わずとも伝わることがあった。
彼女の瞳には――明らかな絶望が宿っていた。
常盤さんですら。
そしてそのほかの様子も、おおむね常盤さんと変わってはいないようだった。
江國さんは、立てずにいるようだ。
青崎さんは、口を開いたまま固まっている。
花井さんは、棒立ちでじっと有栖川さんの死体を見つめている。
………………というか、旺季さんは?
「あんた、おかしいんじゃないの」
「おかしいのはあなたでしょう?」
そしてぼくの勇気を出した申し立ては、どうやら完全にスルーされているようだった。
「人間じゃない」
「そうかもしれませんね」
「感情ないの」
「ないと思いますか?」
「………………」
芹梨さんの異常に、気付いていないわけではないようだった。
持田さんは黙りこくってしまう。
「ほら、英愛くん」
どうしてぼくを指名するのだろう。検死なんて、やったこともないのに。
………………芹梨さんは、ぼくのほうを見ていた。
まるで、死体から目を逸らしているみたいに。
「早くしてください」
「先に、みんなを避難させなきゃでしょ」
ぼくが言うと、芹梨さんは「確かにそうですね」と言った。
こうしてぼくたちは、有栖川さんから逃げた。




