明媚館の殺人②「どうしてこうなった」
持田小春は殺人を一切躊躇しない。
それは、彼女が育った環境が『そういうもの』だったからだそうだ。
芹梨さんの地元であるあの場所よりも、もっと治安の悪い――『悪い』そのものに浸っていた彼女は。
人を愛した。
どんな人間でも、平等に。
愛した人になら――なにをされても、苦痛じゃないから。
そういう理由だったそうだ。
常盤さんは言っていた。
「小春は、どんな人間だって愛せる。世界中の誰に対しても、平等に恋愛感情を抱けるレベルでね。性別や年齢、美醜、そのなにもかもが関係なく――それでも、あの子にとって、『家族』だけは特別だったのよ」
三点リーダーが見当たらない常盤さんのセリフに一瞬だけ違和感を覚えたぼくだったが、それは本当に前提条件として概念的にどうでもいいことだったので無視しておいた。
「叶愛と私は、小春にとっては唯一の『家族』。もちろん、血は繋がっていないわよ? それに、あの子に本物の血の繋がった家族なんてひとりもいないから、『家族』というのはあくまでもただの種類に過ぎないけど」
血の繋がった家族が『本物』だとは限らないだろう、とぼくは言わなかった。
単純に、今この状況でどうでもいいことに突っ込みを入れるのは空気が読めていなさすぎるからだ。
「小春はみんなのことを愛しているけど、それは特別なんかじゃない。ただの恋愛が、家族愛に勝る道理はないわけでしょ? まあ、人によるけどね…………。それはおいておいて、大事なのは小春がそうであるということよ。小春にとってみんなは恋愛対象だけど、それだけでしかない。『家族』を失えば悲しいけど、無数にいる好きな人のひとりが死んだからといって、あの子はなにも思わない。何十二人もの児童を強姦した凶悪犯罪者にすら恋できる女の子なんだから、その想いが薄かったところでとくに違和感はないわよね」
ぼくは一瞬動揺したが、常盤さんには気付かれなかったようだ。
それにしても、なんだか様子がおかしい。
というか――これが素なのか?
常盤さんの口調や声が、今までと違いすぎる。
それでも、冷めた表情をしていることに変わりはなかったが。
なんというか――声だけが、幼いという感じだった。
女の子の体つきに触れるほど、ぼくの口も空気が読めないわけじゃないけれど。
有栖川さんに負けるし劣るがそのほかには勝てるだろうなくらいに身体は大人びているのに。
旺季さんと同じくらい。
――と、女の子の身体をランク付けしてみた。ぼくを犯して自殺したアイツを思い出して、最悪の気分になった。ここで自殺したら、本当にアイツと同じになってしまいそうだ。
「そして小晴は、本気でこう思っているのよ――『恋で人が死んでも、それは当然のこと』」
持田小春は、殺人をいっさい嫌悪していない。芹梨さんとは対照的に。
要するに、彼女は芹梨さんと真反対なのだった。
持田さんがナイフを取り出して江國さんに飛びかかった瞬間、同時に芹梨さんも動き出していることにぼくは気付いた。
「やめなさい」
「っ、邪魔っ!」
どうして江國さんを狙うんだ、という疑問は――出なかった。
死体の第一発見者である彼女をいちばんに狙うのに、違和感は覚えなかったから。
芹梨さんが止めなければ、第一の発見者は第二の犠牲者になっていたところだったが。
「人を殺せば、あなたも犯人と同類です」
「叶愛と江國釉の命が同価値だなんて、アンタ本当に思ってんの!?」
「………………………………」
命の価値は、いっしょ。
そんなわけない。
芹梨さんは一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに反論した。
「法の下では、少なくとも」
あまりにも警察らしい――もしくは、警察らしくないセリフだと思った。
「法ごときが叶愛を縛れない」
「確かに、法律は弱い。ですが…………、ここには私がいます」
だから話は別です――と、芹梨さんの自己肯定感がとんでもなかったことが明かされた。まあ、実際のところは本音じゃないだけだろう。気分がぐーんと高まって、思ってもないことを言っちゃっただけ。
「それに、たとえ法律が有栖川さんを縛れなくとも――あなたは、有栖川叶愛ではありません」
「っ………………!」
それはぼくも思った。
有栖川さんが殺されたからって、その友人が人を殺していい理由にはならない。
先程からずっと、永遠に永久にずっとずっとずっと、持田さんは意味不明に破綻している。
矛盾以前の絶対的な非論理に、彼女は囚われているのだろう。
さて、食堂から出た瞬間戦闘が始まってしまったけれど――いったい、有栖川さんのいない明媚館は崩壊することなく無事に建ち続けていられるのだろうか。
ぼくと青崎さん、そして江國さんはただただ静観するしかなかった。
ちなみに、花井さんは凄い勢いで部屋に戻っていった。おそらく、小説を書きに行ったのだろう。芹梨さんが今さっきぼやいていた――『あれを見て創作意欲をかき立てられない人間に、物書きである資格はありません』。
「………………「はあ」」
同時にため息をついたのは、ぼくと常盤さんだった。ぼくには三点リーダーが付いていないけれど。
「お、少年。気が合うね…………」
「………………………………常盤さん」
先程まで正気じゃない様子で黙っていた常盤さんが、いつもどおりに戻っていた。
でも、すぐに。
「………………………………」
「常盤さん? 顔色悪いですよ」
「無理はするもんじゃないわね」
また様子がおかしくなった。
「叶愛も死んじゃったわ。あーあ、もう馬鹿みたい」
叶愛、『も』?
どうやら常盤さんは、これまでにも何人か大切な人を亡くしているみたいだった。
「可哀想に」
ぼくと一緒で。
「…………疚田くん、知ってた? 私にとって、憐れみはいちばんの攻撃なのよ」
「あっそ」
ぼくは芹梨さんのいちばんだから、同じいちばんだ。憐れと同じ。
そんなどうでもいいことを考えている場合ではないということを、ぼくはこの場にいる誰よりも理解しているはずなんだけれども。この瞬間この場でいちばん冷静なのって、多分芹梨さんかぼくでしょ?
おそらく、いちばん芹梨さんとの繋がりが薄いふたりである。
「第一発見者という理由だけで、江國さんを疑うのですか? そして私刑?」
「ここにいるほたる以外の全員を殺せば、犯人は死ぬんだ!」
持田さんはとんでもないことを言い出したが、残念ながら彼女に芹梨さんを殺すことはできないだろう。いくら持田さんが、力持ちだとしても。
芹梨さんは、一年前までは運動が苦手だった。
でも今は違う。
違うのだ、人と。
「じゃあなんで江國は死体を発見した後に食堂の扉を閉めたんだ!? 証拠隠滅に決まってる!」
「………………………………」
とんでもないことを言いながらも、実はちゃんとした証拠を用意していた持田さん。もしかしなくとも、彼女は意外に頭の切れる人間だったらしい。有栖川さんもけっこー鋭かったし、大学同期の三人組は全員頭脳派なのかもしれない。常盤さんと持田さんは、運動もできるみたいだけれど。
なろう系主人公みたいだね、という感想を漏らせば、必ず芹梨さんに言われるだろう。『ユーチューブショートやティックトックの内容を鵜呑みにしているだけですよね? 今すぐ撤回してください』と。
芹梨さんの多趣味はラノベにも及ぶらしい。
ちなみに、ぼくは読んだことが本当に一度もない。コメント欄でたまに出てくる単語、という認識でしかないのである。蔑称として使われることが多いのは知ってるが。
まるで警察みたいだね。
「………………それは」
そして、江國さんは持田さんの疑問点に言い訳をした。
「少しの間だけでも、あれを独り占めしたかったから」
持田さんは舌打ちをした。
どうやら、反論できなかったようだ。
そんな理由で――
そんな?
それは常識的だった。
有栖川叶愛の死体は、それほどまでに美しかった。
あまりこういうことは言いたくはないが――裸体だったからこそ、あの死体は輝いていたんだと思う。
ありのままの姿が、いちばん美しいのは。
多分、当たり前のことだろう。
ということは。
「………………………………」
きっと犯人はちゃんと殺してから有栖川叶愛の服を剥いだんだろう、そして美しさを演出したのだ――と、ぼくは言わなかった。
稚拙で場を惑わすような迷推理という形ですら、ぼくはこの事件に関与したくなかった。
すでに、目撃者として繋がってしまったというのに。線と線がね。
それでも手遅れではないと、まだ考えていたぼくは浅はかだなーと今になって思う――おっと。
まだ回想は続いている。そしてまだ続く。
「有栖川叶愛と同部屋だったあなたを私は疑っていますけどね」
「は?」
突如として、芹梨さんはそんなことを口走った。
「正確に言えば、あなたこと持田小春と、常盤ほたるのふたりを」
私は黒だと見ています――芹梨さんは言った。
わざとだ、と思った。
芹梨さんは、わざと――持田さんを、怒らせた。
「ふ、ふ、ふ………………っ」
その企みは、見事に成功したらしい。
「ふっっざけんなあああああああああッッッッッッ!!!!!!」
怒りを爆発させた持田さんが、今度は芹梨さんに飛びかかろうとする――そして、それと同時に、芹梨さんは動いた。
それだけで決着。
持田さんは、その場に倒れた。
常盤さんはただ、その様子をじっと見ていた。彼女は冷や汗をかいていた。
目が覚めた持田さんは言った。
「あれ、叶愛はどこ? 花井さんと旺季さんもいないけど」
常盤さんの助言。
「冷静さを欠いた小春でも、暴力で年下の可愛い子を傷付けるほど人間として腐っているわけじゃないわ。だから、監視役は疚田英愛くんにしたほうがいいと思うんだけど――」
という助言により、ぼくは持田さんと同じ部屋でふたりきりになった。
芹梨さんが反対しなかったのは意外だが、まあ、彼女も持田さんのことを理解してはいたんだろう。
今、ぼくにとっていちばん安全な場所が――持田小春の傍であることぐらいは、ぼくにだって分かることだけれど。
それに、持田さんは未だ、正気に戻っていない。
「叶愛、すぐ戻ってくるって! いやー、手作りのお菓子楽しみー!」
もう死んだ有栖川さんが、いつか手作りのお菓子を持ってきてくれることを信じてやまない子どもみたいな持田さんに、真実を伝えたらどんな反応をするだろうか。
彼女がずっとハイテンションなせいで、ぼくは疲れてばかりいるんだけれど。
「うん…………」
ちなみに、現在位置は有栖川さんの部屋である。持田さんと常盤さんが一晩を過ごした場所でもあるが。
………………ああ、疲れる。
誰でもいいから、さっさと戻ってきてほしい。持田さんは人見知りをするようなタイプではないだろうし、気まずくなることはないだろうが…………、あのハイテンションのまま接されるとこちらが疲れて限界になってしまう。
ぼくは人と話すのが好きだし、アニメも漫画も嗜まないし、アイドルに興味もないし、コミュニケーションで苦労するようなことはほとんどないけれど――それでも、ぼくは結局のところ陰キャなのだ。
陰キャというか、根が真っ暗闇なのだ。
「そういえば、常盤さんはどこにいるの?」
「んー? 知らない」
時々適当な会話をして、適当に過ごしている最中である。
まあでも、常盤さんがどこにいるか知りたいのは本当だけれど。
話し合いの最中に、急にいなくなっちゃったからなあ。
………………どうせ、食堂の中だろうけれど。
有栖川さんの死体を見に行っただけなんだろうけれど。
「叶愛ってねー、ホントに凄いんだよっ!」
「そうなんだ」
………………………………あまり、知りたくはない。
生前の有栖川さんについて。
ぼくの大切な記憶領域を、奪われそうな気がするから。
有栖川さんのことを、ぼくは一生忘れられないだろうから。
「………………そういえば、最近の陽キャはアニメも見るんだっけ」
突拍子もない話題を振ると、
「わたしは陽キャってわけじゃないけど、アニメ大好き! それに、めっちゃ明るい友達がいるんだけど、その子もアニメ大好きだよ! 最近は『帰宅部活動記録』を見たらしいし…………」
いや、ぼくはマジで知らない。
アニメと言われて出てくるタイトルが『ドラえもん』以外ない。
「アニメってそんなに面白いの?」
「うんっ!」
食い気味の肯定をされたので、ぼくは食い気味に訊いた。
「そうなんdなにが面白いの?」
そうなんどぅな。
そうなん『だ』をちゃんと発音しないというテクニックである。
馬鹿みたいだった。
「えー? 現実を忘れられるところじゃないかな?」
常盤さんの言葉を思いだす。
持田小春は、現実を生きてきた。
現実を――非現実的に生きてきた。
治安の悪い場所ではなく、悪い場所で育ってきた。
なにもかもに見捨てられたって、必死に育ってきた。
そんな友達のことを誇らしげに話す常盤ほたるには驚いたけれど。
「そうなのっ!? マジか、もーまじで? えー、最悪!」
「うん。うんうん。そうだね、そうなんだよ。そうか、そうだな、そうかしら」
中身のない会話を丁寧に積み上げながら――ぼくは、思った。
どうして、こうなった?
はい、回想終わり。




