休暇! お悩み相談屋④「パニック」
どういうわけか、ぼくは有栖川さんの部屋で持田さんと一緒にいた。
「叶愛、すぐ戻ってくるって! いやー、手作りのお菓子楽しみー!」
「うん…………」
さっさと戻ってきてほしい。持田さんは人見知りをするようなタイプではないだろうし、気まずくなることはないだろうが…………、あのハイテンションのまま接されるとこちらが疲れて限界になってしまう。
ぼくは人と話すのが好きだし、アニメも漫画も嗜まないし、アイドルに興味もないし、コミュニケーションで苦労するようなことはほとんどないけれど――それでも、ぼくは結局のところ陰キャなのだ。
陰キャというか、根が真っ暗闇なのだ。
「そういえば、常盤さんはどこに行ったの?」
「んー? 知らない」
ここで回想。
持田さんと常盤さん、そして有栖川さんの三人と一緒に行動していたぼく|(芹梨さんは作家である花井さんと楽しそうにお話していた。はあ)である。青崎さんは、メイドの江國さんに絡んでいた。旺季さんはいつの間にか消えていた。
というのが現状なのだけれど…………。
「………………………………」
「………………………………」
「………………………………」
絶望的なまでに会話がない。
ぼくがいるからだろうか? それとも、この三人にとってはこれが普通なのか?
一緒にいるだけでいいみたいな? そんなわけあるか。
「ぼく、ちょっとトイレに行ってこようかな」
「場所は分かりますか?」
「うん」
とりあえず、気を遣ってあげた。
しかし、これだとぼくが孤立してしまうな。なら、ぼくと同じく孤立しているであろう旺季さんを探しにでも行こうか。
と、思っていたのだけれど………………。
「じゃあわたしもいこーっと。英愛くん、一緒に行こ!」
初めて話してからまだ二時間も経っていないというのに、もう名前で呼ばれている。
持田さんにとっては、全員が身内――とは、こういうことなのか。
しかし、ぼくの気遣いを無下にされてしまった。
「うん」
「明媚館はわたし初めて来たから、英愛くんが案内よろしく!」
それは意外だった。
意外だったからなんだ。どうでもよすぎる。
というわけで、ぼくと持田さんがふたりで行動することに。
「叶愛が『友達』ってはっきり言うの珍しいなー。わたしたち以外に友達いないのかと思っていたけど」
「え、そうなの? 有栖川さん、芸能人とかと仲よさそうなイメージだけれど」
「一方的に好かれてるだけじゃない?」
………………本当に大変だなあ、世界一の美人って立場は。
そんな有栖川さんと一緒に大学生活を送っていた持田さんと常盤さんのふたりは、本当に大変だったんじゃないか?
という感じのことを訊いた。
「そうかな? 問題事を持ち帰ってくるのは、お互い様だったからね。大変だったけど、ほたるも叶愛も大変だったと思うよ」
問題お持ち帰りトリオ…………。
あなたの通っていた大学はもう滅んでいるんですかと咄嗟に訊いてしまいそうだった。事あるごとに問題を持ち帰られたら、滅んでしまっても不思議はない。
「どこに通っていたの? 大学」
「東京の大学だよ!」
「ふうん……………………」
どうして大学名を言わないんだろう。ぼくが学歴コンプレックスを患っている可能性を心配しているのかもしれないが、ぼくはそもそも中卒である。高校を中退しているので、そんなことを気にする余裕はない。
立派な社会人だ。
やけに長い廊下を歩きながら、ぼくたちは中身のない会話に花を咲かせる。お花摘みの道中だったので、自分で咲かせた花を自分で摘むみたいなことになってちょっと頭がこんがらがった。
「有栖川さんってすごいね」
「うん!」
なんの前触れもないぼくの呟きに、即答する持田さん。
「叶愛はすごいんだよ」
その表情は、どこか誇らしげであった。
自分が褒められたわけでもないのに、どうしてそんなに嬉しそうなんだろう。
柏や芹梨さんが誰かに褒められようが、ぼくには関係ない。むしろ、嫉妬するかもしれないぐらいだ――もしかしたら、ぼくは器の狭い男なのかもしれなかった。
ぼくたちがお手洗いに到着すると、ちょうど女子トイレから出てきたのは旺季さんだった。
「あ、旺季さん」
芸名が覚えづらいで有名な有名モデルこと旺季さんは、ぼくたちを一瞥すると、少し固まってから、
「持田小春と、疚田英愛」
テスト前に単語を覚えているかどうか確認するような口調でぼくたちのフルネームを読み上げた。
「旺季恵兎さん」
負けじと、ぼくも旺季さんのフルネームを読み上げた。旺季さんは眉をひそめた。
不快な気持ちにさせてしまったかもしれないが、ぼくはただやられたことをやり返しただけだ――まあ、別に怒っているわけではないけれど。というか、ただ子どもみたいに相手の行動を真似っ子しただけだ。
「え、わたしもやるのこれ? えっと、えっと…………」
急いで周囲を見渡し始める持田さん。おそらく、ぼくと旺季さんでこの場にいる全員のフルネームを消費してしまったから、誰か他に人はいないかと探しているのだろう――人と被っちゃいけないだなんて、そんなルールを設けたつもりはないのだけれど。
「明媚館っ!」
そして、人がいなかったから建物の名前を元気よく叫んだ持田さんであった。
それを無視して、旺季さんは言う。
「で、なんか用なの?」
おそらく、ぼくが旺季さんに声をかけた理由を尋ねられているのだろうと推測した。
なんとなくだ、と答えて満足してもらえるだろうか。
「わたしの渾身の叫びが無視された………………」
持田さんの叫びは、冗談抜きでうるさかった。だからこそ、逆に無視してやったのだ。
多分、壁の向こうにも届いてるんじゃないかな…………。
「耳が痛かったわ」
旺季さんは本当に不快そうな様子でそうぼやいた。ぼくもまったくの同意見だが、別に不快だとは思わなかった。ぼくは、クラブの大音量に耐えられるタイプの人種だ。
「別に、用とかはないよ」
「じゃあ、もう行く」
そう言って、ぼくたちの返事を待たずに旺季さんは去っていった。
感じの悪い人だなあ、と思った。でも、芹梨さんよりはまだ社会に適合できそうだった。
芹梨さん、コミュニケーションは得意そうなんだけれどなあ………………。
「やっとお手洗いー! 英愛くんもおしっこ出すんでしょ?」
「うん」
わざわざ確認する必要ないだろ、それ。あと、初めて話してからまだ三時間も経っていない人間にしていい質問じゃないと思うよ、それ。ぼくよりかは年上なんだろうけれど…………。
わざわざ突っ込んだりはしなかったが。
「迷っちゃうから、英愛くんが先に出てもおいてかないでね」
「さすがにそんなことしないよ」
距離感は近いが、どうやら信用はされていないらしかった。まあ、今日が初対面の人間を信用しろというのはさすがに無理があるし、むしろそっちのほうが助かる。
初対面で全面的に信用されるとか、もはや怖いだろう。
明媚館の男子トイレは、今まで入ってきたトイレの中でいちばん綺麗だった。男がいない明媚館なので、そもそもあまり使われないのだろうが――でも、ホコリすらないのはどういう了見だ。
あまりの綺麗さに思わず探してしまったが、汚れもホコリも見当たらなかった。
「英愛くーん、まだー?」
「あ、ごめん」
持田さんに呼ばれるまでホコリ探しに熱中していたぼくである。小学生かと間違われるかもしれない。
「おしっこじゃなかったの?」
「いや、トイレがあまりにも綺麗だったから、汚れを探してたんだ」
「本当になにしてんの?」
これだから男子はよく分かんないわーとよく分かんない人が呟いたが、きっとおかしいのは男子ではなくぼくだろうと思う――と思うのは、中二病的な自意識過剰みがありそうだからやめておいた。
思春期が自分を異常だと錯覚してしまう現象。思春期特有の全能感とも似ている気がする。ぼくには全能なんて縁のない言葉だが。
もしくはただの病気だろう。
「てかさ、青崎くんイケメンだよね! どうしよ、アタックしようかなー」
「急だね」
過去に有栖川さんと付き合っていた経験があるらしいので、もしかしたら青崎さんは異性へのハードルが極端に高い人なのかもしれないと勝手に偏見した。
それとも、逆に低くなっているかもしれない。ほら、有栖川さんと比べたら全員アレだから。
「結構ガツガツ行くタイプ?」
「うん!」
食い気味の返事だった。
「押せば押し切られる人がほとんどだもん、この世界」
「そうかな?」
持田さんの言葉に、ぼくは芹梨さんを思い出した。彼女を押したところで、跳ね返されるだけだろう。デブみたいな言いかただが、実際のところ芹梨さんはスレンダーだった。
…………まあ、『ほとんど』だしな。
例外なんて大して少なくない。
「そうだ、英愛くんは彼女いんの?」
「ん」
人の恋バナを聞く分にはかまわないが、自分の恋バナを語るのは少し苦手だ。
彼女ができたことはないが、好きな人はいたしその好きな人もぼくのことを好いていたんだよでも彼女は死んだよなんてエピソード、語ったところで場が盛り下がるだけだろう。
それに、語りたい過去でもない。
「いないし、作らないかな」
「なんで? あ、ゲイなのか。じゃあ、彼氏は――」
「好きな人は女の子だったけれどね」
ぼくに恋人が絶対にいるとでも思っているのだろうか。
こんな、ぼくに。
「え、本当にいないの? イケメンだからとっくに彼女いるもんだと思ってた……! 狙おうかな」
「やめてよ。現在進行形で好きな人がいるんだ」
もう死んだけれど。
「もしかして…………、芹梨さん?」
「なわけないでしょ」
はっきりと断っておくが、ぼくが芹梨さんのことを異性として見る日は絶対にこない。家族とはちょっと違うが、彼女はぼくの保護者でありぼくの復讐対象でありぼくの同居人でしかないのだ。
まあ、裸を見るのは少し気まずいけれど。
もう慣れたが、慣れたからって気まずさはなくならない。
「なあんだ。芹梨さんのほうは、英愛くんのことなんとも思ってないの?」
「思ってるわけないでしょ」
芹梨さんもぼくと同様に、同居人であるぼくのことを引き取った子どもぐらいにしか見ていない。まさか、引き取った子どもと恋をするような物語がこの世界にあるはずもないし。
「まあ、相性はそこまでよくなさそうだよね!」
「…………………………」
確かにそうだが、人に言われるとなんだか嫌な気分になった。
確かに、恋愛対象ではないが――ぼくは、芹梨さんと一緒に生きる道を選んだのだ。一生。
『――ぼくを、幸せにしてください!』
自分の昔の発言を思い返す。
今思えば、少し恥ずかしい上にかなりプロポーズ的なセリフだった。
でも、実際はふたりのプレリュードでしかないので。
「そうかもね」
無難な返事をしながら、ぼくは持田さんと一緒に歩き続ける。
広すぎる廊下を、ただただ一心不乱に。
辿り着いた場所は先程集まった食堂だった。
「あれ、叶愛もほたるもどっか行った?」
「いないね」
ぼくをハブるために持田さんを捨てたんじゃなければ、彼女たちはいったいどこに消えたのだろうか。
さっきまでは食堂前の廊下に四人でたむろっていたはずなんだけれど……。
食堂の扉を開いて中に入ると、そこには誰もいなかった。
「そういえば、芹梨さんとか青崎さんってどこにいったんだろ」
そもそも、ぼくたち以外に人がいなくなっている。
本当にふたりだけハブられたのかもしれない――そう考えると、なんだか悲しくなってきた。ぼくは心が普通の人よりも弱いのだ、まったく…………。
「英愛くん、なんでそんな泣きそうな顔してんの?」
「………………なんでもないけれど」
勝手な妄想で勝手に泣きそうだった。
冷静に考えて、芹梨さんがぼくをハブるわけがないのだけれども。
「まあ、いいか」
たとえ本当にハブられていたからといって、それが大した問題じゃないことに今さら気付いた。
もし彼女たちがそんなことをする大人なのであれば、むしろこちらから願い下げなのだから。
そういうことじゃないんだがなーもう。
と、呑気に考えていると、
「きゃあああああっ!」
という悲鳴が突如として食堂内に響き渡った。その声量は、下手すれば明媚館全体に届きそうなぐらいだった。
持田さんの声だった。
「だ、大丈夫?」
反射的に心配の声をかけながら様子を見ると、持田さんは床に尻もちをついていた。
そして、ある一点を凝視している――持田さんの視線を辿ってその一点に辿り着いた瞬間、思わずぼくも持田さんと同じような悲鳴を上げるところだった。
男子トイレは完璧に綺麗だった。掃除が行き届いていて、寝転がっても全然清潔なんじゃないかという疑念が湧いたほどにはそれはもう丁寧な仕事ぶりだった。メイドさんはすごい。
だけれど――
人間なのだから、ミスはするだろうし。
ミスじゃないかもしれない。
ただ、勝手に入ってきただけかもしれない。
どんなに綺麗な場所にだって、奴は現れるのか。
持田さんを殺した|(勝手に死人にしてやった)奴の正体は――
黒い。
「ゴキブリ…………」
目に涙を浮かべながらも、持田さんは未だにその黒いものがある一点を凝視している。今までずっと北海道に住んでいたから、存在を完全に忘却していたけれど――そうだ、いるのだ。
こんな無人島にもいるのかよという驚きはおいておいて。
本州には、いるのだ。
Gが。
「持田さんっ!」
名前を呼ぶと、持田さんは一瞬だけこちらを向いた。ぼくは虫がてんで駄目なので、とりあえず一緒にいる人に一度気を取り直してほしかった。でも、きっと彼女もぼくと同じように虫が苦手なのだろう…………。
だったら、どうするべきか。
決まっている。
「逃げよう!」
「う、うんっ!」
持田さんは慌てて立ち上がり、急いで出口に向かう――が。
焦りすぎた。
「きゃっ!」
短い悲鳴の後に、がしゃんという音が食堂内に響きわたった。
「あっ………………」
ぼくは一瞬で状況を理解したが、持田さんは困惑しているようで、またその場に座り込んでしまう。
でも、危ないから。
「持田さん! 早くこっち来て! 座らないで!」
「っ、あ、たてない…………」
どうやら、大きい音に驚いて腰を抜かしたらしい。
ぼくたちは食堂から逃げた。ゴキブリから――そして、テーブルの上に置いてあった高そうな壺を落として割ってしまった罪からも。
いや、後で自首はするけれども。
「ど、どうしよう…………………………」
食堂のやけに重い扉を軽々閉めながら|(そんな力があるのに、ゴキブリ相手にあんな醜態を晒していたのか)、持田さんは声を震わせる。どうやら、あの高そうな壺を割ってしまったことに相当慌てているらしい。
「か、叶愛に、き、きら、嫌われちゃ……………………」
「誰にだって失敗はあるし、嫌わないと思うけれど………………」
そんなに一瞬で友達を嫌いになるような性格には思えないけれど、有栖川さんって。
というか、持田さんの狼狽ぶりが凄まじい。普段はとても明るそうなのに、こういうときはちょっとネガティブなのか。ネガティブというか、心配性というか、なんというか。
あわてんぼう――というか。
「ぼくも、急かしちゃったからね。一緒に謝ろうよ」
「………………うん」
随分としおらしくなった。
つい最近まで未成年だったぼくが、二十歳をとうに超えている|(有栖川さんが二十四歳くらいだから、持田さんと常盤さんもおそらくは同い年だろう)大人をフォローしなければならないだなんて。
まあ、人間ってそういうものか。
「てか――みんな、どこ行ったんだろ」
持田さんが相変わらず震えた声で呟く。そう、そうなのだ。
そういえば、問題は他にもあった。
食堂内にいたはずの芹梨さんと花井さん、青崎さん、そして江國さん。
食堂前の廊下でたむろしていたはずの有栖川さんと常盤さん。
「どうして、いなくなったんだろ」
「ん? いなくなった理由はもう分かったでしょ?」
ぼくが疑問を口にすると、持田さんは不思議そうにそう言った。
………………え?
「分かった? どうして?」
「ゴキブリが出たからに決まってるでしょ? こんな豪邸にゴキジェットなんて置いてないだろうし、そーいうのを用意するまではここに近寄らないようにしたんじゃない?」
ああ、そういうことか…………。
「ゴキジェットが届くまでは、割っちゃった壺の片付けもできないのか」
「ぐっ…………」
ぼくが何気なく呟いた言葉は、どうやら持田さんの心を突き刺してしまったようだ。
「あ、ごめん」
「いや、わたしが悪いから、いいの…………!」
ようやく落ち着いてきたなと思っていたのに、また泣きそうな顔を取り戻しそうな持田さん。
と、
「あれ、小春泣いちゃってる…………?」
突然聞こえた、後ろからの声。
気配が微塵も感じ取れなかった。
「………………常盤さん」
「ふたりとも、ここは危ないよ。ゴキブリ出ちゃったから、早く離れよう…………?」
常盤ほたる――が、いた。
「ほたるーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
長音符と感嘆符の数が微妙に一致しておらず、なんだかモヤモヤとした気持ちになった。もしかすると、ぼくはA型なのかもしれない。血液型で性格なんて決まらないだろうとは思うが。
元々流していた十倍の涙を目から垂れ流しながら、持田さんは常盤さんにタックル――ではなく、常盤さんに抱き着いた。とんでもない勢いだったので、一瞬目を疑った。
「ほたるほたるほたるほたる! どうしよどうしよどうしよう! どうすればいいと思う? ねぇねぇねぇねぇ!」
もはや叫び声に聞こえるくらいの音量で、持田さんは常盤さんに縋る。
どう考えても説明不足だったが、常盤さんはすべてを理解した様子で言った。
「大丈夫だから、安心して…………」
ある程度、人の考えていることが分かってしまう能力。
芹梨さんの何倍も『特別』で『天才』な常盤ほたるに――ぼくは、少しだけ苦手意識を持っていた。
ああ、思い出してきた。そういえば、柏も天才だった。
「おふたりは、なにをされているのでしょう?」
今ようやく気付いたことなのだけれど、常盤さんの後ろには有栖川さんもいた。
「分かんないけれど、多分イチャイチャしてるよ」
「羨ましい限りです」
泣き喚きながら人に引っ付くほうに妬いているのか、泣き喚いている人に引っ付かれているほうに妬いているかのどちらかで話が変わってくる気がした。
有栖川さんが泣き喚いているところなんて、想像が付かないけれど…………。
そんなことを考えていると、有栖川さんから疑問が投げかけられた。
まったく、予想外の方向から。
「英愛さんは、どうしてほたるのことを苦手でいらっしゃるのでしょうか」
「え」
思わず、変な声を出してしまう。
どうしてバレているのだろう――まさか、有栖川さんも芹梨さんや常盤さんと同じように読心術の使い手だったのか?
もちろん、ぼくの読みは外れていた。
「なんで?」
「英愛さんが、『天才』を苦手とするタイプだと思ったからです」
なるほど…………。
確かにその気はあるかもしれない。
「でも、もしぼくが天才を嫌っているなら、芹梨さんと仲よくしているのはおかしいんじゃない?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま口に出すと、有栖川さんは少しだけ考えてから答えた。
「これはあくまで私の考えなのですが…………、芹梨澄美さんは、天才ではありません」
それは本当に意外な答えだった。
なにが意外だったかって?
当然。
「有栖川さんでも、間違うことってあるんだね」
「…………………………人間ですから」
人間はミスをする生き物で、その事実を否定するつもりはまったくない。
でも、まさかこんなに簡単な問題を間違えるとは――意外だった。
芹梨さんが、天才じゃないわけがないのに。
「ごめんなさい! 食堂にあった壺、壊しちゃった!」
「怪我はしていませんか?」
「してない」
「よかった…………」
という感じで、持田さんの謝罪は終わった。もしかするとここは、かなり平和な世界なのかもしれなかった。平和だからといって、問題が起きないわけがないのに。
そう――未だ未解決の問題。
ゴキブリがあのだだっ広い食堂を占拠しているという最大の問題。
「北海道出身だったから知らなかったけれど、あんなに嫌な存在なんだね…………」
「そもそも、英愛くんは元から虫が苦手でしょう? ゴキブリだけが例外なわけないじゃないですか」
いつの間にか戻ってきていた芹梨さん。
「虫だって生きているんだ。ならば、きちんと命に対する敬意を持って接するべきだ」
言いながら、花井さんは片手に丸めた新聞紙を装備していた。新聞紙でゴキブリを潰すという行為に敬意を見出すことができる素晴らしい作家としての才能を発揮している。
もし花井さんが常盤さんばりの読心術を持っていれば、きっとぼくの文章に憤死するだろう。
………………花井さん、ねぇ。
人気作家。
「芹梨さん、花井さんとなに話してたの?」
気になったことを、そのまま芹梨さんに訊いた。思ったことをそのまま口にする勇気を持ったほうが人生を生きやすいというのはぼくの持論で、でもそれはただなにも考えていないだけだった。
「彼の半生を語ってもらいました。よかったです」
小学生並みの感想だった。
つーか、作家の半生を聞いてただけなの?
「作者なんて、作品の周辺機器みたいなものだってこの前言ってたじゃん」
「それはその日読んだ小説の受け売りです」
実は影響されやすい女、芹梨さんであった。多分、彼氏が喫煙者なら絶対にタバコを吸うタイプ――あ、てかそもそも芹梨さんって喫煙者なんだっけ。刑事だし納得だけれど。
「刑事って基本くさそうだよね」
「もしかして喧嘩売ってますか?」
実は売ってたり。
「疚田くん、きみの話は聞いた」
「え?」
花井さんがいきなり話に割り込んできた。別に悪いことじゃない。
「ぼくの話?」
「芹梨くんの助手なんだって? それはとても興味深い」
ああ、なるほど。
助手だなんて言葉、ほぼ探偵絡みでしか聞かないもんな。
「助手ってほど大したことはしてないんだけれどね…………」
「いえ、本当に助かってますよ」
芹梨さんの言葉。
きっと今、芹梨さんは沖縄旅行帰還直後の仕事を思い出しているのだろう。ぼくがいなかったら、彼女の仕事は倍になっていた。
「私にとって、英愛くんは生活必需品です」
「芹梨さんはそれで人間を表せるとでも思ってるの?」
人を人とも思っていない|(物理)のか。なんとなく、そんな気はしていたが。
「冗談ですよ。英愛くんは、今の私のいちばんです」
「…………………………」
いちばん、か。それはとても光栄なことで、ぼくは喜ぶべきだったんだろうと思う。
でも――ぼくは、違う。
ぼくにとってのいちばんは、昔からずっと変わっていない――
芹梨さんじゃ、ない。
「そっか」
「嬉しそうにしてください」
「仲が良いことはとても良いことだ」
花井さんが微笑ましそうな顔|(微笑みである)をしながら、ぼくたちを見守っていた。
夕食は、各々に用意された部屋で済ませることになった。
みんなが一緒でないことを悲しんでいた有栖川さんだったが、こればかりはしょうがない――食堂以外に、九人全員が揃って食事できる場所なんて廊下ぐらいしかないらしい。椅子もテーブルもないけれど、床がある。
そんなわけで、ぼくと芹梨さんが同室だ。
「美味しいですね」
「うん」
あまり面白くない食レポだった。
いや、江國さんの作ってくれた料理はとても美味しかったのだ。おそらく、今までに食べた料理の中でもトップレベルで。しかし、ぼくたちの語彙力がその美味しさを表現できないというだけの話だった。
青崎さんと花井さんが同室で、旺季さんはひとり部屋。有栖川さんと持田さん、そして常盤さんが同じ部屋。旺季さんだけズルいなあと思ったが、ペアで固定すると旺季さんと同じ部屋になる人が有栖川さんになりかねなかったので、やっぱりひとり部屋でいてくれてよかった――と芹梨さんは言った。
…………あ、そうだ。
そういえば、芹梨さんに訊きたいことがあったんだった。
「どうして芹梨さんは平気なの?」
自覚できるレベルで説明不足な|(しかも突拍子もない)ぼくの質問に、芹梨さんはなんの疑問も抱かずに答える。
「慣れたんです」
どうして有栖川さんの前なのに芹梨さんは動揺しないの? 平気になったの? 平気になったならそれはどうしてなの? ――というぼくのメッセージを、きちんと受け取ってくれたみたいだ。
それにしても――慣れた、か。
自分より運動神経が優れている人を現行犯逮捕するために一週間程度で運動音痴を克服しプロのスポーツ選手ばりに運動できるようになったという実績を持つ芹梨さんがなにを成し遂げたところで、大してなにも思わない。
というか、思えなかった。
「慣れた、か」
「私の回答は、英愛くんの期待に沿えませんでしたか?」
「ぼくは誰かに期待なんてしないよ」
無駄ではないのかもしれない。
だけれど――それは、あまりにも怖かった。
「ぼくはチキンなんだ」
「美味しいんですね」
芹梨さんは、鶏肉が好きなのだろうか。
夕食を終えて食器を返しに行く途中、ぼくは青崎さんと出くわした。
「おっ、疚田か」
「青崎さん」
彼とは明媚館内であまり会話していなかったので、どういう人だったかをすでに忘却しかけている。
まったく興味がないというのも理由としてはあるのだけれど。
「マジでゴキブリ最悪だよな。あいつのせいで、有栖川も悲しんでたし」
「有栖川さんファンクラブの人が知ったら、ゴキブリが絶滅させられちゃいそうだね」
ゴキブリと人間の戦争が起こってしまう…………。そういえば、芹梨さんにおすすめされた作品|(読んでないけれど)の中にそんな感じの漫画があった気がする。
ただでさえ人類共通の敵なんだもんなあ。戦争になってもおかしくはないよなあ。
「そういえば、良いこと教えてやろうか?」
「ん?」
青崎さんがなにやら悪い顔をしていた。良いことって、なに? 薬物とか?
「薬物が良いことなわけないだろ。ただの有益情報だよ」
「有益情報………………?」
なんとなく、嫌な予感しかしなかった。そして、的中してほしくないことは的中するのだった。
「実は…………明媚館の食堂の壁って、完全に防音なんだよ」
「…………そうなんだ。それで?」
「ああ、だから――ヤれるぜ、お前」
そういうことか。
「音漏れを気にすることなく性行為ができるってこと?」
「直接的だな。ああ、そういうことだ」
死ね。
まあでも、確かにそうか。
確かにそうか――というのは、食堂の壁が防音であるという情報のことであって、ヤれるとかのことではない。
さっきのゴキブリとの邂逅にて――持田さんは、悲鳴を上げた。あれは冗談抜きで、明媚館全体に響くような声量だった。しかし、それなのに有栖川さんたちは、持田さんの悲鳴にまったく言及しなかった。
まあ、ただの偶然かもしれないので、なんとも言えないが。
「ぼくはさすがにヤらないけれど、青崎さんは誰かとそういうことするつもりなの?」
訊いて、すぐに後悔した。わざわざ訊いてやる必要なんてなかったじゃないか。
「これから探すんだよ。有栖川は、もう別れてるしなー」
「ふうん………………」
失敗すればいいのにと、心の底から願った。
ここらで適当に切り上げて部屋に帰ろうと思ったところに――また、背後から声が聞こえた。
「おふたりとも、なんのお話をされているのですか?」
「わっ!」
悲鳴を上げたのはぼくで、位置的に青崎さんは有栖川さんに気付いていたはずだから、彼はとんでもない裏切り者だった。とても、許されることではない。
「久しぶりだな、有栖川。元気にしてたか」
「本当にお久しぶりですね、青崎くん」
元気にしてたかという問いを華麗にスルーした有栖川さんは、そのまま説教に入った。
「私のお友達に、不埒なことを教えないでください」
「あ、聞いてたのか」
「あなたの声はよく通ります。品のないお話も見事に筒抜けですから、もう少し気を付けては?」
「ごめんって。気を付けるから」
有栖川さんは、思ったより元カレに厳しかった。というか、人を説教とかできる人なんだね、有栖川さんって。優しすぎて虫も殺せなさそうな人だと思っていたんだけれど。
ごめんごめん、と青崎さん。
「昔と変わらないな」
「あなたも、変わりませんね」
付き合っていた頃のふたりはどういう感じだったのか、少しだけ気になってきた。
どうして別れたのかも、ぼくは知らないし――まあ、他人だから知らないのは当たり前だけれど。
ちょっと気になる。好奇心が旺盛になっているのかもしれない。
「そういえば、ふたりは付き合ってたんだっけ。どうして別れたの?」
気になったことはすぐ口にする性格を直したほうがいいと言われたことはこれまでに一度もない|(ぼくにそういうことを言ってくれる人なんて今までいなかったし、芹梨さんはそんなことを言うタイプではなかった)――だけれど、この癖は矯正するべきなんだろうなと今初めて思った。
「疚田英愛さん」
青崎さんは目を逸らし、有栖川さんは言った。
「いくら仲の良い友達であっても、踏み込んではいけない一線があります」
「そうだね、ごめん」
普通に謝罪した。
ぼくは、謝れる男なのだ。
「素直であることは美徳です。今後も大切にしてくださいね」
「うん」
自分を偽った結果、ぼくは色々なものを失った――だから、ぼくは知っていた。
素直で損をすることはあるけれど、それだけじゃないってこと。
「…………じゃあ、そろそろ行ってくる」
「はい。おやすみなさい」
「またね、青崎さん」
「おう」
気まずくなったのかぼくの発言が彼の逆鱗に触れたのかなんなのかは知らないが、青崎さんはいきなり去っていった。まあきっと真実は、彼にも用があったということなのだろう。
ふたりきりになったので、少し有栖川さんを観察してみる。
「……………………お風呂上がり?」
「あら、よく分かりましたね」
「さすがに分かるよ」
探偵でなくとも容易なコールド・リーディングだった。
「髪、乾かさないの?」
「面倒なので、自然乾燥を待ちます」
「禿げちゃうよ」
「もし私が禿げてしまったら、みなさんは私に失望されるでしょうか?」
「どうせ美しいよ」
「うふふ」
中身のない会話である。
というか、有栖川さんが『面倒なので』というセリフを発するだなんて意外だった。
「それは私を聖人視しすぎていると思いますよ。私はそこまで真面目な人ではありません」
真面目であろうとしているだけです――と、有栖川さんは言った。
それはもう真面目なんじゃないかという突っ込みはタスクキルしておく。
「でも、真面目であろうとって、なんで?」
品行方正系の清楚美少女を目指しているのかは知らないが、わざわざそうあろうとしている理由がいまいち分からない。まあ、個人の自由だし、理解できない目標なんてこの世にはたくさんあるんだろうけれど。
それでも――友達のことぐらいは、理解しておきたいな。
柄にもなく。
ぼくの質問に、有栖川さんは答えた。
「私には野望がございます。今のままでは到底実現できないような、絵空事にすぎませんが」
宇宙一の美女に似つかわしくない単語が出てきた。『野望』?
「それって、どんなの?」
ぼくが訊くと、有栖川さんは恥ずかしそうにはにかんだ。
「世界平和です」
そして、有栖川さんの野望が叶うことはなかった。




