4.名古屋駅へ
学校休業日の土曜日。
裕美はテレクラのなかで交わしたヒロシとの約束通り、新幹線改札口に立っていた。
服装も、打ち合わせ通りにカーキ色のハーフパンツに、美穂から購入させられたバッドばつ丸のTシャツにしてある。
念のために早く起きて、朝風呂と入念な洗顔とシャンプーをしてから出かけたせいなのか、微妙に心は落ち着かない感じだ。捜査のためなのに、相手はまだ顔も知らない中年男なのに、なぜか人生初めてのデートみたいな気分になってしまうのだ。
左手首に巻いてある腕時計で時間を見ると、午前十時半を指している。あと三十分ほどでヒロシがここにやってくることになっている。
裕美は名古屋駅の広さと人の多さに改めて驚いてしまっている。
何度か自分好みのTシャツを探しに大須というディープなエリア(不良のたまり場でもあった)まで脚を運んだことがあるが、そういうことを除けば名古屋は特別の用事が無い限り近寄らない都市だった。
有海はこの大都市の高校へと進学し、この街で青春を送るはずだった。
なのに、どこで歯車が狂ったのだろうか、街を徘徊する不良女子グループに捕まって、しつこい脅迫まで受けてしまう理不尽な目にあっている。
グループのリーダーの名はエリカ。
これは有海から聞いた重要な情報だ。
ヒロシと言う男が、もし有海を追い詰めている不良女子グループの顧客だったら、その名前を口にするかもしれない。
だが、やはり心配事もある。
援助交際と言う名目で逢うのだが、それは方便であり、ヒロシと肉体関係を結ぶ気は毛頭ない。だが、そのリスクも排除しきれない。
自分の描く理想のシナリオは、ラブホテルに行く前に情報を喋らせて退散することだ。それができれば、無傷で逃げることができるだろう。
問題は、どうやって途中で帰ることをヒロシに納得してもらうかだ。
「すいません。ちょっと道を尋ねたいんですが……」
あれこれと思案する裕美に、女性が声を掛けてきた。彼女は夏にもかかわらずダークブラウンのジャケットにスラックスというスーツ姿だ。
「出張で東京から名古屋に来たんですが、全然場所が分からなくて……。商談のために西区の庄内通と言う駅に行きたいんですが、どうやって行けばいいんでしょうか? 知っていたら教えていただけますか?」
裕美は困ってしまった。
名古屋はそんなに訪れたことがないし、知っている駅も大須にアクセスするための上前津駅ぐらいだ。そんな駅の名前はチェックしていない。
「あのー、すいません。私、名古屋に住んでるわけじゃないんで、ちょっと分からないんですよ」
「そうですか……。困ったなあ、このままだと時間が間に合わないかも」
「あの、道案内はできないんですけど、反対側の桜通り口ってところには、交番もありますし、そこでお巡りさんに聞くと教えてもらえると思いますよ?」
女性は「ありがとうございます。そうしてみますね」と答えて、桜通り口へと向かって行った。
その女性を見送って、裕美はもう一度時計を見る。
約束の時間まで、あと十数分ほどだろう。
必死に今日の自分の作戦をシミュレーションしていたときだった。
「もしかして、ユミちゃんかな?」
男性の声を聴き、裕美はその声のした方に振り向く。
目の前には、中背の太り気味に思える中年男性が立っていた。雰囲気的にサラリーマンをしていそうな印象であるが、今着ているスーツは、仕事着というよりも他所行き用のために用意している感じがある。
ルックスも、どこか冴えない。
「……もしかして、ヒロシさんですか?」
裕美は男の素性を確かめるために聞いてみた。
「うん。僕がヒロシだよ。よかった、ちゃんとユミちゃんに逢えたよ。もしかして、そうとう待たせちゃったかな?」
「い、いえ。私もさっき来たところですし」
警戒していた分、ヒロシの見た目に少し拍子抜けしてしまう。とても複数の少女と援助交際をしている男には全然見えないからだ。
「うーん、ユミちゃんがどんな感じの女の子か、すごく楽しみだったんだけど、期待以上の女の子で嬉しいよ。ちょっと男の子っぽいファッションなのも、その健康的な小麦肌のおかげで、かえって可愛いかもね?」
不意打ちのコメントに、裕美は不覚にも顔を赤くさせてしまった。
「そ、そうですか? 私からすると地黒でかっこ悪いなあって思いますよ?」
「そうかな? 東京で流行ってるガングロみたいな作った黒さじゃないのって、貴重だと思うよ? ユミちゃんって、もしかして高校では陸上か水泳を部活でやってたりする?」
「そこは、……ひ、秘密ってことでよろしくお願いします!」
ヒロシのペースに乗せられかけた裕美は、取り繕った返事で、何とかこの場を切り抜けようとする。さすがに陸上部とストレートに答えるわけにはいかないだろう。
「そ、それよりも、せっかく逢えたんですから、そろそろデートしませんか?」
「ああ、そうだったね。先ずはお昼にしようか? 栄のデパートにある高級レストランに案内するよ。今からいけば、予約はしていなくても入店できるはずだから」
「ちょ、ちょっと待ってくださいヒロシさん。高級レストランって、何だか気後れしちゃうじゃないですか? その、ファミリーレストランとかではダメですか?」
裕美は高級レストランという言葉に怖気づき、庶民向けの飲食店をリクエストする。正直、大人の男性とのデートだからといって高級レストランに行くのは何だか違うように思えてしまうからだ。
「え? そうなの? うーん、でもせっかくのデートなのに安いお店というのもどこか寂しいでしょ?」
「で、ですけど、そんな高級なお店はかえって落ち着かないですよ! ほら、私は田舎の人間なんですよ?」
「ふーむ、なら桜通り口にある名鉄百貨店のお店でひとまず昼食を摂るってのはどう? そこは都心の高級レストランってわけじゃないし、かといってファミリーレストランみたいな庶民のお店ってわけでもないよ? それで許してくれるかな? 僕もユミちゃんをしっかりとエスコートしたいんだよ」
高圧的なところは全く無いのに、先回りするように裕美の選択肢を奪っていく。
これ以上駄々をこねるわけにはいかない、という不思議な空気に支配されるまま、裕美は「ひ、ヒロシさんがそれで良いのなら」と答えてしまうのだった。
午後の少し遅い時間帯。裕美はヒロシと一緒に、鶴舞公園の奥まった場所に設けられている庭園の中を散歩していた。
ヒロシが案内した名鉄百貨店内のレストランで昼食を摂った裕美は、その足で地下鉄を使って栄に行き、いくつかのデパートでウインドウショッピングを楽しんだ後に「少し落ち着ける場所に行きたい」とリクエストを出したのだ。
都心から少し離れた場所に位置していて、緑が豊かな場所でもあり、夏の始まりの時期にも関わらずどこか涼しい。
休憩もかねて、四阿のベンチに並んで腰かける。
「へえ、ユミちゃんは、最近、部活をやめたいなあって思ってるの?」
「そうなんですよ。まだ退部届を出せていないんですけど。入学したときは、まあ中学の時と似たようなノリかな? って思って入部したんですけど、何か性格の悪い先輩がいたり、顧問の先生も高圧的だったりするから、もう嫌になっちゃって。連休明けぐらいからずっとサボってますね」
裕美はさも本当の話のように語る。
が、もちろんこれは作り話だ。実際に性格の悪い上級生や、独裁者のような教師がいるわけではない。だが、先輩後輩の関係にはそれなりに厳しいし、公立高校の部活といえども練習が生ぬるいということはありえない。そうであっても、そういう部分も含めて部活として取り組んでいるという自負はある。
それに、連休明けから部活をサボっているのだったら、もう少し白い肌になってもよさそうなのだから。
「でも、部活をやらなくなっちゃったら、何かやることがなくなってしまって、つまらないんですよね? で、最近は本屋で『egg』とかを買って可愛い女の子ってどんなのかな? なんてリサーチしてるんですよね」
当然、裕美は『egg』を購読したことは一度もない。そのかわり『週刊プロレス』は過去のものを含めてストックがたんまりとある。この雑誌を定期的に購読してる同じクラスの女子が仲良しグループで回し読みをしていて、時々おすそ分けみたいに見せてくれるのを(まったく興味は無いが角を立てたくもないので)眺めてみたくらいだ。とはいっても、田舎の公立高校だ。彼女達にとっても、ギャルやファッションというのは異世界のものごとみたいに受けとめているのだろう。結局、垢抜けない地方の女子だったりする。
「でも、読者モデルの女の子達を見てると、やっぱり気後れしちゃうんですよね。派手で露出度の高い服を着てて、谷間もばっちり見えてるし。私、ぺったんこですからねえ。くびれもなくて、全体にすとーんってなってる体型ですし。部活サボってるのに、一向に肌が白くなってくれないし」
作り話ではあるものの、胸が小さいことやくびれがない体型というのにどこか負い目を感じているのは本当だ。走ることや跳躍に支障が無いというのはありがたいのだが。
「それはどうだろうね? 僕はユミちゃんのこと、魅力的だと思うよ。胸があったり、くびれがある方が魅力的って思う男も多いけどね。でも、そのくびれがない体型だって、今はもう辞めたいって思ってるそうだけど、これまで一生懸命運動に励んできたからなんだよね? それに、ユミちゃんの魅力って、胸ってわけじゃないと思うよ。全体に引き締まってるし、それに何かいつまでも見ていたくなるような、そういう安心感のあるルックスじゃないかな?」
ヒロシの口説き文句に、裕美はまたしてもドキッとしてしまう。
「えー? 何かそれ、すごくお世辞っぽいですよ? ヒロシさん、それはこれまでお付き合いした女の子達の全員に言ってないですか? 彼女達に使った口説き文句、興味あるんですけど?」
このままでは相手にペースを握られてしまうと察知した裕美は、ヒロシの褒めちぎりをかわそうと反論を試みた。
「どうしても、僕の言うことを信じられない?」
ヒロシは裕美に尋ねかえした。
裕美も「それはそうですよ」と投げ返す。
「そう、なら信じてもらえるように特別な場所に案内するね? タクシーを拾ってくるから、一緒にそこへ行こうよ」
雲行きがあやしくなるのを、裕美は肌で感じた。
しかし、断る状況も見いだせないまま、導かれるようにタクシーに乗り込んでしまう。
タクシーは、二人を乗せたまま名古屋のとある地区に到着して、そこで送迎を終えた。
ヒロシはタクシードライバーに代金を支払うと、裕美を連れだって歩いていく。
ついて行った先にあった施設に、裕美は危機感を抱く。
それはどう考えても、ラブホテルだったからだ。
「さ、ユミちゃん。入ろうか?」
立ち尽くす裕美に、ヒロシは自然に声をかける。
断れない空気を作られて、裕美はついにラブホテルの無人フロントまで足を踏み入れてしまったのだった。




