1.駅ビルにて
七月を目前に控えた時期。
夕方過ぎの、名古屋郊外に位置するとある地方都市。
高校生の上田裕美は、県境にある北辰高校という県立高校からバスで市の中心部に戻ってきた。
駅の西側に設けられたバスターミナルで下車した彼女は、陽が傾いて若干涼しさを感じられるようになった空気を吸ってから、空を見上げる。
さっぱりと色気なく短くととのえられたショートヘアに、白い身ごろの半袖にネイビーの二本白線入りのセーラーカラー、同じ色合いの膝丈サイズのプリーツスカートという夏服セーラーの出で立ちが、素朴な地方の少女という雰囲気を漂わせている。
私鉄路線とJRの路線が隣接する総合駅の駅ビルを抜けて、駅の東側へと向かう途中、通路の太い支柱に貼られていた広告を見つけて、そこに近づいて行った。
――『スーパーダイナミズム’97』
FMWというプロレス団体が開催する試合の告知ポスターだ。
試合日程に目を向けると、次のように記載されていた。
八月二十一日。第一戦、神奈川、横須賀市総合体育会館。
八月二十三日。第二戦、兵庫、姫路市厚生会館。
八月二十四日。第三戦、広島、府中市ウッドアリーナ。
八月二十五日。第四戦、大阪、茨木市役所前中央公園。
八月二十六日。第五戦、愛知、妙興寺、アピタ駐車場。
八月二十七日。第六戦、福井、小浜市、小浜市民体育館。
八月二十九日。第七戦、愛知、豊橋市、豊橋市総合体育館サブアリーナ。
八月三十日には第八戦、群馬、館林市、館林野鳥の森と~ぶ福寿殿駐車場。
そして、八月三十一日には東京の後楽園ホールでラストマッチが開催されることも示されていた。
裕美は肩掛けカバンのストラップをおでこにひっかけてから、生徒手帳を胸ポケットから取り出す。
そして、一緒に取り出していたちびた鉛筆で、手帳の余白に妙興寺での試合、豊橋での試合の会場情報と日程、チケット販売先をメモしていく。
「おお、今年は私のいる町にもくるんだなあ。夏休みが楽しみだ」
ストラップを肩の位置に戻した裕美は、思わず口に出してしまう。
「ハヤブサ、それに、みちのくプロレスからは新崎人生が参戦するのか……。ミスター雁之助の写真が載ってるってことは参戦するんだよね? だったらハヤブサと対戦する展開なのかな? おお、スーパーレザーも出るってことは、あのチェーンソー入場が生で見られるのか?」
ポスターに載っている覆面レスラーと、同じくらいのサイズで載っている、不気味な継ぎはぎのようなデザインのマスクで顔全体を覆ったレスラーを交互に見て、裕美はついついにやけてしまう。
ポスターを何度も見直して気が済んだ裕美は、家路につこうと東口へと向かい始めたところだった。
「お? 有海じゃん。ひっさしぶり!」
見たことのある顔を見つけた裕美は、JRの改札口を出たばかりの有海に駆け寄っていった。
「裕美? 久し振りだね」
知人に挨拶を返すが、その声にはどこか力がない。
裕美は、有海の夏服姿を観察する。
野暮ったいセーラー服の裕美に対して、有海は白いブラウスにボックスプリーツのネイビーのスカートという、どこか上品な服装をしている。
「おお、これが名古屋の社台高校の制服、実物みるとあこがれちゃうなあ。そっちの高校って、県立高校だけど女子の制服はブレザーなんでしょ? 私の行ってる北辰高校って学ランとセーラー服だからちょっとうらやましいなあ。贅沢を言えば冬服のジャケット姿も見てみたかったなあ」
久し振りの再会を懐かしむ裕美だったが、ふと有海の顔を覗いた時に、その上がったテンションが少し降下してしまった。
「ん? 何かあったん?」
「な、なんでもないよ。それよりも、相変わらず元気そうだよね?」
有海が作り笑いをしていることに、裕美はすぐさま気が付いた。
「いやいや、何もないわけないでしょ? 知らない仲じゃないんだからさ、ね? 何か話してみてよ」
有海が何かに耐えている表情をしているのを、裕美は見逃さなかった。
「まあ、ここじゃ話しにくいんだったら、ちょっと駅西の公園にでも行かん?」
「ええ? あれこれ一か月も街の不良に脅迫されてる?」
有海の告白に、裕美は驚きと怒りが入り混じった返事をした。
有海と、彼女の友達が五月の終わりに、息抜きも兼ねて栄の街を散歩していた時に、地元の不良女子グループに因縁をつけられ、それを機に二人はそのグループに度々呼び出されたり、連れまわされたりして徐々に追い詰められているそうだ。
しかも狡猾なことに、そのリーダー格の少女は二人とは別に同じような年頃の、気の弱そうな、逆らうことのできない雰囲気の高校生の少年を一人手駒にしているようで、二人の知り合いに偽装させた彼を校門で待たせ、二人を自分の所まで連行させているそうだ。なまじ制服姿のため、学校側も別の高校の子が友人を待っているのかな、と誤解してしまう。極めて厄介な相手だ。
最初はこの少年も有海にとっては憎い存在だった。
だが、ある時、こんなこともあった。溜まり場でグループのリーダーが「今日もあいつらをちゃんと連れてきたんだな。お前ってほんとうに可愛い奴だなあ」と言って、有海と友人に見せつけるようにその少年の顔を自分の胸の谷間に埋めるように抱きしめてから、顔のあちこちに執拗にキスを浴びせたり、舌を彼の口内に侵入させて濃厚に絡みつかせたり、少年の体のあちこちをまさぐりだしたり、といちゃつきだした。その光景を見せられた有海と友達は青ざめたそうだ。
それからすぐに、発情しきった、でもゾッとするような妖しげな美貌で「久し振りにあたいの家に行くよ。みんなで一緒に楽しもうぜ。何だよ? そんな不安そうな顔をするなって。大丈夫だってば、どうせ家族なんか家に寄り付かねえからよ」と言ってから、気まぐれに有海と友人だけを先に家に帰らせたのだ。その光景と笑っていない彼の表情、後日に迎えに来た彼の身体から立ち込める何人もの女達の妖しげな甘さを感じる香りを嗅がされると、少年も同じように不良女子グループの餌食になったと察してしまい、そのことを思うと、彼をどうしても憎み切れないらしい。
やり方がとても汚いことに、裕美は内心で憤りを感じていた。
それ以上に、裕美を怒らせているのはそのリーダーの女子が有海を本当に屈服するまで甚振ろうとしていることだ。その手段が、卑劣極まりなかった。
「その不良女が、有海の友達の女の子に援助交際をさせるって本気なの?」
「恐くてそんなこと考えたくないよ……。でも何でなの? あの女、私が憎たらしいんでしょ? だったら私に援助交際をさせればいいじゃないの? なんで私の友達にさせようとするのよ……。ああ、もういや! どうしてなの?」
「デリカシーの無いこと聞いちゃうのを許してよ。その子、まだされてないよね?」
裕美の恐る恐るの質問に、有海は首を縦に振る。その仕草に、裕美はホッと肩をなでおろすのだった。
「でも、恐いの……。そいつ、私が大人しく従ってくれる御褒美だからって言って、友達はその間は援助交際をさせるのは待ってやる。でも、そろそろ心からの土下座をするかどうか決めておけ、その態度次第でお友達は援助交際になっちゃうよ。あと、ポリ公に告げ口したら、すぐにでもお友達はおじさんの慰みものだ、って言われてるの。それに、もうあいつらにはめられた女の子達が何人もいて、その子達は実際に働かされてるなんてことまで教えられて……」
有海は顔を両手で覆い、首を何度も左右に振って取り乱す。
「……は! ね、ねえ、ここの周りに人はいないよね? 誰か私達の会話を……」
「落ち着いてよ有海! ここには有海と私しかいないってば」
「あいつの言いなりになってる男の子、彼氏のフリして、私が名古屋駅の改札をくぐるまで見張ってるのよ! もしかしたら、後をついてきている? そんなことになったら裕美も巻き込まれちゃう、それじゃ私のせいでまた……」
裕美は有海の腰掛けているベンチの空いているスペースに腰掛けて、彼女の肩を抱く。
「……恐い思いをしてるんだね」
裕美のささやかな声掛けに、有海は思わず涙が零れてしまう。
「裕美、私はあの女に頭を下げた方がいいのかな? 明乃を助けたいの、私のせいなの」
「ねえ有海? 約束してくれないかな? そんな奴に土下座なんて絶対にしないで。絶対にあんたの友達を自由にするつもりなんてないんだからさ」
「でも、それじゃ明乃が……」
「ねえ、有海? 私も力になれないかな?」
有海は首を横に振る。
「だめだよ、あいつら危険すぎる。言葉が通じない。裕美が乗りこんだら殺されるか、私みたいに甚振られてボロボロにされちゃう」
「安心してよ。乗り込むなんてしないから。でも、その不良女子グループがとんでもないことをしてるってことが分かったから、あいつらに気が付かれない形で情報を手にいれられそうだね。有海、ありがとう」
裕美は、抱いた有海の肩をぐっと引き寄せる。
「裕美、本当に危ないことはしないよね?」
「うん。安心していいよ。いい作戦が思い浮かんだから。あいつらは私のことは知らんでしょ? だから、有海は絶対に心をあいつらに渡さないように気を張ってて。あんたが折れなかったら、あいつらだって友達を汚せれないはずだから。つらいし、恐いだろうけど、できるだけ持ち堪えててね」
有海は裕美にもたれかかり、力なく「うん」と応える。
「でさ、私からも有海に相談があるんだけど」
裕美の言葉に、有海は顔を上げる。
「今度、妙興寺のアピタスーパーの駐車場でFMWの試合があるんだよね? 駅ビルにもポスターが貼られてるよ。夏休みの終わりを彩るイベントとして、一緒に観戦しよ?」
「はは、裕美って相変わらずプロレス好きだよね?」
「おお、覚えててくれたんだ。何だか嬉しいな! どう? 素敵なイベントじゃない?」
「いやあ、でもプロレスって恐い男の人がお互いに潰しあってて恐いじゃない。イベントと分かってても、あまり気乗りしないかな? ごめんね、気を遣ってくれたのに」
有海の断り文句に、裕美はがっくりと肩を落とした。
「そんなに気を落とさないでよ。さっきは返事できなくてごめんね。裕美の制服だって似合ってるよ」
「これ、中学のセーラー服を使いまわしてるだけだって。変わったのはた胸当てに学校が指定するカシオペア座のマークを刺繍でいれたぐらいやん」
「そういえば、朝比奈さんっていたよね? 彼女、元気にしてる? 裕美と同じ北辰高校に行ったんでしょ?」
「ああ、葵のこと? 相変わらずマイペースだよ」
「惜しいことしたよねえ。私、噂では朝比奈さん、社台高校を受験するってことを聞いていたんだよね。お互い合格したら、もしかして通学中に仲良くなれたかも、って。あの子、かっこいい顔もしてるし、背も高いからあのブレザー似合ってただろうなあ」
「ええ、有海は葵と仲良くなりたかったん?」
裕美は驚きの声をあげて、有海を見るのだった。
「うん。でも、あの子は何か近寄りがたい雰囲気だったじゃない? でも、電車通学だったら同じ時間の電車になるわけだから、少しずつ近くなるかも? とか思ってたりしてたんだよね。ねえ裕美、彼女の学校での様子ってどんななの?」
「ああ、そういうことね。まあ、そのあたりの話はアスティのドトールでアイスコーヒーでも飲みながら話さん?」
裕美の呼びかけに、有海も「うん、そうしよっか?」と頷いた。




