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プロローグ とある日の出来事

「ねえ、有海ちゃん、もう学校には慣れた?」

 六月を目前にした時期。

 名古屋市営地下鉄一社駅のホーム上で、斎木さいき明乃あけの清水しみず有海あみに話しかける。

 二人はこの春、この駅のすぐ北にある社台やしろだい高校という県立高校へと進学して出会った間柄だ。明乃は名古屋に暮らしているが、有海の方は名古屋の郊外の都市から遠距離通学していたりする。

 二人はネイビーカラーのジャケットと同じ色合いのボックスプリーツのスカートというブレザー制服に身を包んでいる。そのスカートも都会らしいお洒落な着こなしにしたいのか、ウエスト部分を折り曲げて膝から少し上の部分に裾がくるように調整されている。

 そのジャケットもシルバーの縁取りがあしらわれており、どこか都会的な雰囲気を感じさせるデザインだ。

「うん。でも、満員電車はいまだに慣れんね。JRが混雑するのは分かるとして、東山線って、何であんなに混雑するの?」

「いやあ、名古屋って人が多いからね。こればっかりは我慢するしかないかな?」

「学校には文句ないけど、不満があるとしたら通学の苦労かな? でも、学校に行けば明乃と会えるから、それも安いものかもね?」

 有海は屈託なく笑う。

「ねえ、有海ちゃん、一学期の中間考査も先週には終わったし、せっかくだから名古屋の街を覗いていかない?」

「でも、い、いいのかな? 寄り道なんて」

「家と学校を往復してばっかりだと退屈でしょ? 有海ちゃん、入学してからずっとそういう生活だよね?」

「う、うん。言われてみればそうだよね」

「せっかく名古屋の学校に進学できたのに、それじゃちょっと寂しいよ。テストが終わって一区切りついたんだから、名古屋の街を楽しんでもいいんじゃないの?」

「でも、私ってよそ者でしょ? 都会を歩いてて浮いちゃわないかな?」

「心配しすぎだよ。それに定期券があるんだから、街の中心部に行くのはできるでしょ? 有海ちゃんは行き帰りが名古屋駅だし、私だって伏見駅で鶴舞線に乗り換えるわけだから、栄駅は途中の駅でしょ? 行こうと思えば行くことができるんだから。恐がってないで行こうよ。私、有海ちゃんに名古屋の街もちゃんと好きになってもらえるといいなって思ってるもの」

「そ、そうだね。明乃がせっかく誘ってくれてるんだし。お言葉に甘えようかな?」


 栄駅を出た二人が向かった場所は、栄駅のすぐ北にあるテレビ塔のエリアだった。

「へー、これがモスラが繭をつくったあのテレビ塔なの?」

「有海ちゃん、少しマニアな驚き方だよね。でも、都心だといっても、案外緑が多くて落ち着く場所でしょ?」

「うん、ちょっと意外だったなあ。都会のど真ん中にこんな公園があるんだね?」

 有海は周囲の高層ビルと自分たちが立っている緑地の差に驚いている。

「ここはちょうど繁華街の一番端のところかな? ここから南にずっと歩いて行くと、中日ビルやデパートがある場所に出られるよ。もっと南には大須があって、ちょっと遠いけど、歩けない距離じゃないかな?」

「へえ、大須って、ウィンドウズ95ってコンピューターソフトが発売された時にニュースで出てきた場所でしょ? すぐに行ける場所にあるんだね?」

「うん。でも、ここもちょっと恐そうな人が歩いてるけど、大須はここよりも恐い人が歩いてるって言われていたかな? だから私も行ったことは無いんだ」

 明乃の言葉に、有海は少し身構えそうになってしまった。

「でも、いつも出会うわけじゃないから、あんまりビクビクしてもしょうがないよ。それよりも、お店に入るお金は無いかもだけど、外から見る分にはお金がかからないから、デパート街まで歩いていこうよ」


          ※


 二人は久屋大通公園をひたすら南下していった。

「もうすぐ衣替えかー。それにしても、テスト大変だったよね?」

「うん。授業とかも想像していたよりも難しかったよね?」

「私もついていくのがやっとって感じだよ。甘く見ていた私をちょっとだけ怒ってやりたいかな?」

 有海の軽口に、明乃は「私も」と相槌を打つ。

 中日ビルのすぐ近くにある噴水のところを抜けようとしたところだった。

 明乃は正面からすれ違おうとするガラの悪い服装をした、同じぐらい年頃の少女の集団の、そのうちの一人とぶつかってしまう。

 いや、有海の視点から見れば、わざとぶつかってきたと言って間違いない。

 厳ついデザインのジャージ姿という服装といい、顔つきといい、どこか荒んだ印象を受ける。おそらくは高校にも通っていないで、街をうろついている集団にも思えた。

「ご、ごめんなさい」

 明乃は平身低頭で謝り、ぶつかってきた少女も、ジロリと二人を睨んでからすれ違っていった。

「今の、絶対にわざとぶつかってきたよね?」

 有海は不審そうにチラリとだけ少女の集団を見てから、小さい声で明乃に話しかける。

 明乃も「う、うん」と力なく返事をするだけだった。

「ごめんね、せっかく名古屋の街を楽しんでもらいたかったけど、何か恐くなっちゃったね。帰ろうか?」

 明乃の提案に、有海も頷いた。

 その時だった。

「おい、あんたたち、ちょっといいかな?」

 先ほどのすれ違ったガラの悪い女子の集団が引き返してきて、声を掛けてきたのだ。

「な、何でしょうか?」

 明乃は緊張した声色で、女子の集団に受け応えをする。

「あたいの財布、なぜか無いんだよね? あんたたち、見てない?」

 何を言われているのか飲み込めない二人はお互いの顔を見合って戸惑うばかりだった。

「さっき、あんたとすれ違いざまにぶつかったよね?」

 少女の一人は、明乃をジッと見て話す。

 ――あれはあんたがわざとぶつかったんじゃないか。

 有海はそう言いたかったが、威圧感に言葉が出てこない。

 女は明乃に近づいていくと、無作法にジャケットの両サイドについているポケットを上から触って探りを入れる。

「あれ?」

 わざとらしい声とともに、明乃の制服の右ポケットに手を突っ込んでから見せびらかすようにゆっくりと引きあげていく。

 その女の手には、見覚えのない財布がにぎられていた。

「あんた、すれ違いざまにあたいから盗んだの?」

「エリカ、そいつの制服ってあの社台高校のじゃね?」

「言われてみればそうだよね? あんな勉強ができるお利口さんの学校に通ってて、お洒落な制服着てるってのに、油断ならない子だよね?」

 明乃は完全に恐怖でかたまっている。

「ま、財布が戻ったし。でも、あたいは被害者だから、ちょっと学校に苦情でも入れたい気分だよね?」

 有海は絶句した。

 強請ゆするつもりだということがはっきりと分かる言い草だからだ。

「あんた、いくら持ってるの? お小遣いをくれたら学校には苦情入れないでおいてあげるけど?」

 彼女の問い詰めに、明乃は膝を振るわせて下を向いてかたまってしまう。相手への恐怖といわれの無い罪を押し付けられる不安でパニックになっているのは目に見えていた。

 有海も、正直怖かった。

 だが、その理不尽で一方的な一言には我慢がならなかった。

「あんたたち、いい加減にしなさいよ!」

 恐くて逃げたい気持ちがあったが、友人を置いては逃げられない。でも、黙って見ていたら要求がさらにエスカレートしそうで放っておけなかった。

「ぶつかってきたのはそっちでしょ。それに、この子はずっと通学バックを後ろ手に持って歩いていたのよ。何ですれ違いざまにあんたから財布を盗めるのよ! 言いがかりはよしてよね!」

 恐怖を抑えながら、有海は明乃を助けたい一心で反論する。

「こっちこそ、あんたたちのことを交番に行って話を……」

 その口が止まってしまう。

「声がでかいんだよ、死にたいのか?」

 女子達は集団で取り囲み、死角を作っていた。

 そして、糾弾された女、エリカの右手には、刃を出したばかりのバタフライナイフが握られていたのだ。

 死という具体的な恐怖に打ちのめされた有海は、声を出せなくなってしまう。

 その彼女の怯える表情をみた女は、ニヤリと笑みを浮かべた。

「お前、ちょっと付き合えよ。おい、あんたもあたいの財布を盗んだんだろ? ついてきてもらおうか?」

 二人は栄の繁華街にある狭い路地に連れ込まれていた。

 明乃は複数人の不良女子に囲まれて逃げられないようにされており、有海はエリカというわざと明乃にぶつかってきた少女に胸倉を掴まれ、壁に押し付けられている。

「お前、よくもあたいに恥かかせてくれたな?」

 エリカはすでにバタフライナイフをしまっている。だが、下手に動けば何をされるか分からない。

「でも、あたいは結構優しい人間さ。今はすげえ不機嫌だけど、お前が一言、ごめんなさいって言えば機嫌は直るぜ。どうする?」

 この女、エリカの言っていることなど、有海には信じられなかった。

 それに、恐怖で上手く言葉を出せない。

「おいリン、今吸ってるタバコくれない?」

 仲間の一人から、エリカは空いている方の手でタバコを受けとると、有海を人を殺してもおかしくなさそうな殺気を放つ眼光で威嚇しながら口にくわえて一口吸う。するとたちまちタバコの赤い火がはっきりと有海の目に飛び込んでくる。

「おい、謝るか? 目ぇ、一つなくなっちまう前に決めな?」

 タバコの燃え口をじわりと有海の顔に近づけていく。

 恐怖で返事ができないのに、無慈悲にもタバコは有海の目に近づいてくる。

 有海はパニック寸前になってしまう。

「ご、ごめんなさい」

 力なく、弱弱しく有海はエリカに詫びる。

 それに勝ち誇ったエリカは笑みを浮かべてタバコを有海の顔から離していく。

「よし、あたいも機嫌が直ったぜ」

 エリカはそう言うと、持っていたタバコのフィルター部分を有海の口に捻じ込む。

 リンという少女、エリカと回されて口にくわえられていたものをむりやりくわえさせられる。その不衛生な行為に、有海は嫌悪感とそれを強要してくる相手への恐怖でパニックになりそうだった。

「仲直りの印に吸いな」

 吸いたくなんかない。だが、エリカに顎を掴まれているから、タバコを吐いて捨てることができない。

 しかも、酸素を吸うためには呼吸しなければならない。その動作を通して、タバコの煙が肺に侵入してくる。

 有海の目尻に涙がにじむ。

 吸いたくもないタバコを無理矢理吸わされ、その不快感に泣きそうになってしまう。

 エリカにタバコを口から取ってもらった瞬間、有海は激しく咳き込む。

「お前、ずいぶんと生意気な奴だな? どこの区の中学の出だ?」

 エリカは、うずくまって咳き込みながら目尻に涙を浮かべる有海をのぞき込む。

「お願い、有海ちゃんにこれ以上ひどいことはよして」

 明乃は震える声でエリカに懇願する。

「その子、この街の子じゃないの。もう許してあげて。毎日遠い街から苦労しながら通ってるけど、それでも弱音を吐かずに一生懸命に努力してる頑張り屋さんな子なの! これ以上有海ちゃんを苦しめるのはやめて。この子の頑張りを踏みにじらないで! お願いだから……」

 涙混じりに必死に訴える明乃をエリカは冷たく、ボーっと見つめるだけで何の反応も示さない。

 膝をついている有海に「いつまで座ってるんだ? 立てよ」と声を掛けながら、襟を掴んで無理矢理立ち上がらせる。

「お前、よそ者だったのか? どうりで礼儀知らずな筈だ」

 エリカに捕まったままの有海は「ごめんなさい、ゆるして」と力なく懇願することしかできなかった。

「だめだ。お前、本当に謝ってるわけじゃなくて、ただあたいから乱暴されたくなくて平謝りしてるだけだろ? それが通用すると思ってんのか? 許してほしかったら心からの土下座をしな。そしてあたいに縋って許しを乞えよ」

「違うの、私は乱暴されてもいい。でも、明乃は帰してあげて。私が生意気なことをしちゃったから、あの子、巻き込んじゃったの。お願いだからあの子は放してあげてよ」

 有海は首を横に振って、ひたすらに許しを請う。

「明乃? それってお友達のことか? え、何? お前、この状況なのに自分じゃなくてお友達の心配をしてんのか?」

 予想していない反応に、エリカは少し拍子抜けになってしまった。

 そして、エリカは不良仲間の少女達に囲まれている明乃をつま先から頭の上まで、舐めるように観察していく。

 さらに、自分が拘束している有海の髪の毛を掴んで、無理矢理顔を上げさせる。

 その顔を覗き込んだエリカは、思わず軽薄な口笛を吹いた。

「お前、貧相な体してるけど結構可愛いツラしてるじゃねえか。お友達の明乃ちゃんだっけ? あの子もかなりの可愛い子ちゃんだし、おまけにいいカラダしてるじゃねえか。これは面白くなってきたぜ」

 口角を上げて笑みを浮かべると、不気味に舌なめずりをするのだった。

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