第344話 怪しい少女
温井ダムでは生存者の確認が行われている。碓氷雅樹と乾英子が施設内を見て回り、無事だった人々を1階へと連れていく。
既に救助された人々が、エントランスで寝かされていた。英子に意識を奪われて、余計な記憶を弄られた後である。
彼ら彼女らは、起きた頃には忘れているだろう。妖異に襲われて人が喰われる瞬間や、恐ろしい思いをした経験も。
ダムの被害は爆発事故などとして、表向きは処理されるだろう。死んだ者については、爆発に巻き込まれた扱いとなる。
体格の似た偽物の死体をあてがわれ、そのまま葬儀を行って終了だ。いつも行われるありふれた終わりに過ぎない。
妖異が絡んだ事件については、こうして処理されていくもの。死体のすり替えについては、毎回行われる対処ではない。
喰われてしまった場合、上半身が残っていればそのまま返す。下半身は事故などで消失してしまったものとして処理する。
だが今回は肉体の大半を失った者がおり、こればかりは致し方ない。生存者や関係者の記憶を利用し、妖術で偽の遺体を再現する。
そう言った作業は、妖異対策課に協力的な妖異が行う。ただしそれは、大江イブキのような大物の仕事ではない。
支配者の配下の中でも、あまり地位が高くない者に任される。早い話が、下っ端の業務だという事である。
「碓氷雅樹、そこに寝かせなさい」
「は、はい」
当然ながら、英子もそんな作業はやらない。こうして事後処理をする程度で、細かい処置までは低位の妖異に丸投げだ。
案外それらの作業は人気で、返礼として人間の感情などが貰えるからだ。質の良い感情が喰らえる為、喜ぶ妖異は多い。
特に地位が低い妖異などは、中々ありつけない報酬である。自らの食欲を満たせるなら、人間に協力ぐらいしてもいい。
そんな風に考える妖異も結構居るのだ。人気があるだけあって、進んで志願する者が列をなして待っている。それは広島も変わらない。
支配者が適当であっても、美味しい報酬な点は変わらないからだ。ましてやイツカなんて、やりたい者がやれと投げ出した。
「こういう所だけは、広島のいいところだわ」
英子が唯一広島を認めている点は、そう言った事情が関係している。広島県はイツカが適当な分、人間の味が上昇し難い。
より美味しい人間を、自ら集めようとしないからだ。喰えれば何でもいいと考えており、イブキとは方針が大きく違う。
だからこそ下っ端達は、美味しい魂の持ち主を求める。他府県に出る程の気持ちはなく、かと言って努力するつもりはない。
そんな妖異達にとって、この制度はとても有難い。お陰で事後処理だけは、とても早い土地として成り立っている。
「ダムの人間はこれで全部ね……次はキャンプ場の方か。碓氷雅樹、行くわよ」
「ま、待って下さいよ!」
「お母さまの助手なのでしょう? シャキっとなさい」
相変わらず当たりの強い英子だが、嫌がらせまでするつもりはない。雅樹を放置して跳躍するような真似もしない。
やろうと思えば置き去りに出来るが、そんな幼稚な当てこすりをする年齢でもない。曲がりなりにも学園長でもあるのだから。
ただ不愉快なのは変わらず、一向に仲良くならないというだけ。両者の間に刻まれた溝は、あまりに深く簡単に改善しない。
雅樹は関係改善を願っているものの、現状は一切上手く行った試しがない。原因が自分にある為、怒るわけにも行かずこの通り。
好きな相手が誰なのか、ハッキリ出来れば前進する。そこまで分かっていても、雅樹は自分の心に自信が持てない。
(難しいなぁ……)
英子を追いかけた雅樹は、エントランスを出てダムの入り口へ向かう。徐々に濃霧が晴れていき、終わったのだと雅樹は理解した。
恐らくは不自然に見えないよう、少しずつイブキが異界を消している。濃霧が突然一気に晴れたら、あまりにもおかしい。
誰かが動画を撮っていた場合、事後処理が面倒になる。余計な手間を省く為、自然現象のように見せているのだろう。
もうかなり慣れた雅樹は、そのぐらい想像が出来る。危険がなくなったのなら、あとは友人達の番。そう彼が考えた時だった。
「そこに居るのは誰? 隠れていないで出て来なさい」
英子が突然声を上げて、茂みの方を見ている。何事だろうと雅樹は小走りで彼女の下へ向かう。霧の向こうが、雅樹には良く見えない。
だが鬼である英子は、その程度なんの障害にもならない。ジッと鋭い目を向けて、姿の見えない何者かが出て来るのを待つ。
暫くの沈黙が流れ、霧の向こうから可愛らしい少女が顔を見せる。着衣が真っ白なワンピースだった為、一瞬生首かと雅樹は思った。
「怖いお姉さんだなぁ。そんなに睨まなくても」
飄々とした態度を見せる少女を、雅樹は見た記憶がなかった。腰まである長い黒髪が、風に煽られてサラサラと流れる。
年齢は同い年ぐらいで、人並みにオシャレもしている。美少女と言っても差し支えなく、下唇の近くにあるホクロがセクシーだ。
身長は160センチほどで、平均的な背格好だ。スタイルは結構良いようで、モデルをやっていても違和感はない。
「君は、誰なんだ? 地元の子?」
「う~ん、旅行客なんだけど~」
雅樹が近づいて来る少女に訊ねるも、ハッキリとした返答はない。名前を名乗る様子は見えず、ただ距離だけが縮んでいく。
「ねぇ、君! 結構モテるんじゃない?」
いきなり少女が笑顔を浮かべながら、雅樹に向かって言い放った。何の脈絡もなかったので、雅樹は困惑するしかない。
「え、何の話? 特にモテるって事はないけど」
雅樹の前まで来た少女が、ニコニコと笑いながら雅樹に顔を近づける少女。無害そうな外見と態度で、雅樹に告げた言葉。
「そんな筈ないよ~だって君、こんなに美味しそうなんだもん」
「っ!?」
突如として吹き荒れる膨大な妖力。目の前の少女から放たれた異質な気配は、明らかに妖異そのもの。雅樹は咄嗟に体を動かす。
いつの間にか、少女の黒髪は銀髪に変わっていた。日本人らしかった黒い瞳には、紫の輝きが怪しく揺れている。
「碓氷雅樹っ! 下がりなさいっ!」
「あははっ!」
珍しく焦りを滲ませた声で、英子が警告を発する。ただの人間にしか見えなかった少女が、いきなり強者のオーラを発している。
自分でも勝てない相手だと、英子はすぐに察した。妖異の社会において、英子はまだまだ若造に過ぎない立場である。
千年と少ししか生きておらず、数万年生きた妖異には勝てない。どういう理屈か不明だが、目の前の少女は一人前の妖異だ。
だがこれだけの妖力を有するなら、気配を完全には断てない筈。何故正体を見抜けなかったのか、英子は混乱していた。
一瞬にして状況が変化し、緊張が走る雅樹と英子。謎の少女は雅樹へ向けて、容赦なく右腕を心臓に向けて伸ばした。
「くそっ!?」
ギリギリのタイミングで、雅樹は小鴉による防御に成功する。少女の腕を刃で受け止め、衝撃を受け流し耐える。
小柄な見た目ながら、凄まじい膂力を持つ少女に雅樹は驚愕する。あと少しでも判断が遅れていれば、間違いなく重症を負っていた。
厳しく鍛えられた雅樹の勘が、一瞬でその事実を悟らせた。ドッと冷たい汗が噴出し、雅樹は慌てて後ろへ飛んだ。
「無事なの!?」
すぐに英子が追随し、後方へ跳んだ雅樹の横に着地する。英子が見る限り、雅樹に外傷は見られない。顔色はかなり青いが。
「な、なんとか……」
「油断するな坊主! あやつ、只者ではないぞ」
小鴉が警戒促し、雅樹は改めて小鴉を構える。まだ生きているのは、追撃がなかったからだ。連撃を受ければ非常に危険である。
雅樹と英子が正面を見据える。銀髪の少女は攻撃した時の姿勢で固まっていた。それだけでなく、何やら話している様子。
「ねぇ博士、うすい——まさきって人、関わったらダメな人だっけ? うん、うん……分かった~」
少女の長い髪に隠れていたが、どうやらワイヤレスイヤホンを着けていたらしい。恐らくは誰かと、会話をしている。
「私、帰るね~じゃ!」
「なっ!? 待ちなさい!」
あっさりと踵を返した少女は、一瞬で姿が見えなくなった。英子の静止が虚しく響き、雅樹は思わず尻餅をついた。




