第342話 混乱する現場
温井ダムは現在、混乱に包まれていた。謎の巨大な生物が襲来し、施設の一部が破壊されてしまった。
ダム内に避難した市原真希と西条彩は、怯えながら隠れている。幸いにも頑丈だったからか、崩落まではしていない。
職員と共に事務所内へ籠り、真希は震える事しか出来なかった。何故だか彼女には分からないが、謎の怪物による攻撃は止まった。
先ほどまでは激しい攻撃を受けていたが、今は異様なまでに静まり返っている。衝撃による揺れもなくなり、僅かな平和が訪れた。
「せ、先生、あのバケモノ、どこかへ行ったんでしょうか?」
「……分からないわ」
真希は不安そうに彩を頼るものの、ただの保険医に分かる事なんてない。初めて見た生物で、名前すら分からないのだ。
妖異なんて存在を知らない彼女達に、相手の正体や目的なんて分かる筈もない。ただ人間を襲うという事しか知らない。
ダムの職員達も同様で、この状況を理解なんて出来ない。今はどうするべきか、話し合いが行われている最中だ。
「なあ、どうする?」
「どうと言われても……」
「逃げた方が良いんじゃ?」
誰も確かな事が分からず、取るべき最善の手が見えない。このまま留まるべきか、それとも外へ出て濃霧から離れるか。
少なくとも、視界を確保すべきではないのか。そうは言っても、どこまで濃霧が続いているのかも不明な状況だ。
決まらない方針と、次々湧いて出る疑問。そもそも逃げるなんて可能なのか、という問題だってあるのだから。
相手は空を飛ぶ事が可能で、移動速度もかなり速い。おまけに攻撃的で大きな体を持っている。外で見つかれば終わる。
ダムの中に居たとしても、いずれ壊されてしまうかもしれない。天井を破壊して職員を襲う瞬間を、真希達は目にしていた。
不幸な出来事としか言えず、喰われてしまった職員は一方的な被害者だ。ただ、偶然破壊された天井の近くに居たというだけ。
彼は攻撃をしようとする素振りすら見せなかった。バケモノに気づく暇もなく、頭から巨大な狼の口で喰らいつかれてしまった。
一瞬の出来事ながら、真希達の脳裏に強く刻みこまれた。口の中に入っていなかった両足が、千切れて転がる瞬間を見た。
血だまりに沈んだ人間の膝から下。真っ赤に染まった制服のズボン。目撃した女性陣の絶叫が響き渡り、大騒ぎになった。
あまりの恐ろしさに、男性職員だって悲鳴をあげた程だ。まるで怪獣映画の一幕みたいで、その癖やけに現実味がある。
「ここに居るって思い込んでいる内に、車で逃げないか?」
「だが……遠くへ行ったという保証もないぞ?」
まとまらない議論だが、ある程度の方向性を持ち始める。今の内に逃げてしまおう、という意見が勢いを持ち始める。
ダムに戦う為の武器なんかない。だが警察署まで行けば銃がある。効くかは別として、訓練を受けた警察官だっている。
自衛隊の駐屯地まで行けば、もっと沢山の武器が置かれている。自衛隊員だって居るので、今より遥かにマシであろう。
そんな空気が生まれ、脱出の声が高まり始めた。だが反対する者も当然ながら居た。無暗に外へ出る方が危険だと考える者達だ。
何より警察や自衛隊に対処出来る問題なのか、という疑問を持つ者も居る。結局のところ、大きく分けて2つの派閥に割れた。
「脱出する者は着いて来てくれ。早く逃げよう」
「残る者はもっと下へ行こう! バリケードも作って助けを待つ!」
こう言った事態で、非常に良くある光景が繰り広げられている。思い切って逃げるか、留まって籠城を決め込むか。
定番の2択だったが、真希と彩は前者を選んだ。上京学園の仲間達が、まだキャンプ場へ残っている筈。2人は彼らとの合流を目指す。
幸いにも、ワンボックスワゴンで同行してくれる職員も見つかった。仲間を助けようという2人を見て、感化された若い男性だ。
怖がりながらも勇気を見せる女性達と、キャンプ場に残された学生達。どちらも見捨てるという選択は出来なかったのだろう。
「さあ、2人とも行きましょう!」
「は、はい!」
平凡ながら人情のある男性が、真希と彩を連れてダムの外を目指す。エレベーターで1階へ戻り、エントランスへと向かう。
その途中で、再び激しい振動が温井ダムを襲った。グラグラと揺れて立っていられない。真希と彩は、慌てて壁に手を伸ばす。
激しい振動と共に、エントランスの窓ガラスが全て割れてしまった。吹き飛ぶガラスの破片が、彼女達の足下まで転がって来た。
もしやまた、あのバケモノが来たのではないか。脱出を狙った者達は、嫌な予感を覚えて固まる。冷たい汗が背中を流れ落ちて行く。
誰も動けず立ち止まっていると、突然エントランスの方から誰かが飛ばされて来た。真希と同じ制服を着た男子生徒だ。
「ちっ! 斬り落とせなかったか」
やけに綺麗な刀身を持つ日本刀を手に、綺麗な受け身をとって地面を転がり立ち上がった。それなりに整った顔立ちは、やけに闘志を感じさせる。
「……うっ、碓氷君!?」
こんな登場をする男子高校生など、この辺りに1人しかいない。霊能探偵、大江イブキの助手であり真希の同級生。
碓氷雅樹が妖刀小鴉を手に立っていた。普段見せない戦意溢れる姿は、真希にとってあまりにも意外だった。
それは雅樹にとっても同様で、転落したマイクロバスを見て真希達は死んだと思っていた。喰われたと思い、彼は怒っていたのだ。
故に釣られて姿を見せた人造妖異へ、全力の一撃を加えた。左腕を大きく斬り裂いたものの、太すぎて斬り落とせず。
思わぬ一撃を受けた人造妖異が反撃し、雅樹が防御し弾き飛ばされた。そして今こうやって、真希達の目の前へ現れた。
「い、市原さん!? 西条先生まで!? 生きていたのか!」
「そ、そうだけど……それ、どうしたの?」
雅樹も驚いているが、真希達はもっと驚いている。高そうな日本刀を持った雅樹が、いきなり飛ばされて来たのだから。
とりあえず真希としては、雅樹の手に持った刀が気になった。そんなもの持っていなかった筈で、見るからに本物らしい輝きだ。
まさか真剣だというなら、銃刀法違反という法律が頭に浮かぶ。模造刀であったとしても、やはり所持している意味が分からない。
「ああいや、これは良いんだ。それより無事で良かったよ!」
雅樹はしれっと小鴉を納刀しながら、真希と彩へ近づいた。いつも以上に優しい表情を見せる雅樹に、真希は思わず心がざわめいた。
そんな場合じゃないと分かっていても、つい考えてしまったのだ。彼が自分を探しに来てくれたという事実が嬉しかった。
「だ、だけど! 外にはあのバケモノが!」
「それならもう、大丈夫だから」
嬉しいと思いつつも、外のバケモノはやはり怖い。そう思って警告した真希だったが、雅樹は解決したと言わんばかり。
真希達は理解出来なかったが、雅樹だけは気づいていた。もう何度も浴び慣れた膨大な妖力の一端、その圧力と流れを感じた。
囮役の雅樹と入れ替わりに、イブキが妖異の相手に回った。遠く離れていく気配から、逃げた妖異を追っていると雅樹は判断した。
そうなればもう、時間の問題だろう。どこかで見た作りもの臭い妖異は、恐らく黒澤会のもの。ならイブキが負けるとは思えない。
冷静に判断した雅樹は、真希と彩へキャンプ場に戻ろうと提案する。丁度そのタイミングで、乾英子も姿を見せる。
「市原さんに西条先生、戻りましょう。バスの運転手はどこです?」
「が、学園長!? そ、それが……」
生徒の真希に話させるわけにもいかず、彩が運転手の死を告げる。直接見てはいないものの、状況的に生きてはいない。
雅樹は残念そうにしているが、英子はあまり気にしていない様子だ。英子はその場に居た真希達避難者の意識を奪い記憶を操作した。
まだダムに残っている者達も同様の処置をせねばならず、英子はエレベーターに乗り込んだ。雅樹は現場に残り、眠る真希達の護衛を担った。




