第341話 霧に包まれたキャンプ場
章タイトルを少し変更しました。
市原真希達が襲撃を受けていた頃、碓氷雅樹達が居るキャンプ場にも魔の手は伸びていた。急に濃霧がキャンプ場を包む。
多くの人々は困惑しているものの、一部の者は状況を正確に理解していた。言うまでもなく、霧の出現前に雅樹は気づいた。
明らかに知らない妖異の気配がしている。鋭い感覚で察した彼は、急いで班のメンバーを集めた。名目は危険だからという理由だ。
「え~でも、こんぐらい平気じゃね?」
クラスメイトで友人である相葉涼太は、あまり気にしていない様子だ。京都市内では濃霧なんて先ず遭遇しないからだろう。
むしろ物珍しさに、雅樹以外の男子達は興味を引かれている。あまりにも警戒心が足りず、非常に危険な空気が広がる。
「いや、濃霧は危険だ。俺は山育ちだから分かるんだ。下手すると遭難だってあり得る」
「そ、遭難って。大袈裟じゃない?」
女子の一部にも、緊張感が足りていない。だがこの状況をどうにかしようにも、雅樹は都合のいい説明が出て来ない。
妖異が近くに居るなんて言っても、誰にも伝わらない。異界に取り込まれたなんて、もっと理解させるのが難しい話だ。
どうしたものか悩みつつも、安全の為に乾英子との合流を提案する。大人の判断を仰ごうというのは、真っ当な意見である。
幸いにも井本深雪が彼の言い分を支持し、一旦は教師達と話し合う事を選ぶ。霧が濃いのは事実で、都会っ子に判断は厳しい。
アウトドアの経験だって所詮は素人。ボーイスカウトの経験者である涼太でも、山のプロという程に精通はしていない。
「貴女達、こんな所に居たのね」
キャンプ用品を運んでいた雅樹達の傍へ、ちょうど良いタイミングで英子がやって来た。雅樹の護衛も兼ねているので当然か。
同時に近くの霧から、背の高い女性が姿を現す。美しく長い黒髪を、後頭部で纏めてポニーテールにしている。
女性にしては高い180センチという長身の、腰辺りまで毛先が届いている。スラリとしたパンツスーツ姿に良く似合っていた。
しかし女性らしい膨らみはしっかりとあり、モデルもビックリの素晴らしいボディラインを誇る。まるで美を極めたかのようだ。
気怠そうな表情を浮かべているが、芸能人でも中々見られない整った顔立ち。大和撫子という言葉は彼女の為にあるのだろう。
切れ長の双眸は、真っ直ぐに雅樹を見ている。一瞬だけ紅い輝きを宿したが、その光に気づけた人間は雅樹だけだ。
左手に持った気品のあるキセルからは、真っ白は煙が上がっている。ちょうど喫煙をしていた最中だったのだろう。
雅樹の方へ歩みを進めながら、彼女はキセルを口元に運ぶ。肉厚の真っ赤な唇が、キセルを咥えて煙を吸った。
ただそれだけの動作に、恐ろしい程の妖艶さが洩れ出ていた。偶然見ていた人々が、ゾクリと背筋が震えるのを感じた。
そこに男女の差などなく、男子だけでなく女子にも頬を赤らめる者が出ていた。しかし彼女は気にせず、雅樹へ向かって声を掛ける。
「マサキ、状況は分かっているね?」
「多少なりは。それで、俺はどうすれば?」
今ここに何故、大江探偵事務所の有名人が居るのか。当たり前のように登場して、雅樹と会話しているはどうしてか。
学園長は彼女の登場に何故反応を示さないのか。雅樹以外の生徒達は、複数の疑問を浮かべているが割って入れない。
テキパキと会話を進める彼らを、ただ見ているしか出来なかった。おまけに英子がすぐに指示を出し、一時避難が決まってしまう。
同行している他の教師が先頭にたって、生徒達は避難に向かって移動していく。もちろん、雅樹達だけをその場に残して。
涼太達が避難へ向かった後には、イブキと雅樹、そして英子しかいない。ここからはいつも通り、霊能探偵と助手の時間だ。
「さて、白昼堂々とバカをやった奴を探しに行こうか」
イブキが堂々と宣言し、雅樹と英子が頷く。まさか夕暮れ時すら待たずに、異界を出現させる妖異が居るとはイブキも思わなかった。
こんな行為をすれば、普通は支配者に目をつけられる。もしもここが京都府だったなら、異界を出現させた時点でイブキが現れる。
ただ広島県に限って言えば、この程度で支配者は反応しない。イツカは人間の生死に対する興味がなさ過ぎるからだ。
「イツカの部下ってオチだけは、ないと思いたいけどね」
「お母さま……イツカさんでも流石にそれは……」
英子からすれば、イツカはあれでも大先輩だ。母親に毎度手を焼かせている相手としても、一応敬意は払うべき相手だ。
困った表情を浮かべながらも、ギリギリの擁護を入れておく。そんな結果だったら、流石に評価を下げざるを得ないと思いつつ。
「イブキさん、クラスメイトがバスで移動中です。もしかしたら……」
「……私が雇った者も同乗しています。出来れば先に救出したです」
親子の会話に横槍を入れた雅樹を、英子が横眼で睨みながら補足する。肩身の狭さを感じつつ、雅樹は英子の言葉に頷いた。
何であれ今は、上京学園の関係者が最優先だ。地元の人間まで守る義務はないが、雅樹は出来れば助けたいと思っている。
皆が周囲から居なくなり、濃霧で他の客も視界が悪く雅樹を見ていない。今の内だと雅樹は判断し、妖刀小鴉を呼び寄せる。
雅樹が左腕に着けた数珠が僅かに輝き、次の瞬間には鞘に納められた日本刀が握られていた。何が起きたのか、小鴉はすぐに察した。
「また揉め事か? よく巻き込まれるな坊主」
「あ、ははは……今回もよろしくお願いします」
乾いた笑い声を上げながら、雅樹は小鴉の指摘を受け入れる。望んで巻き込まれてはいないが、確かに事件と関わる頻度は多い。
その分人助けの機会が増えるものの、喜ばしい話とは言えない。お祓いにでも行った方がいいのか、雅樹は複雑な想いだ。
とは言っても、今は妖異の対処をする方が先だ。お祓いを受けるかどうかは後回しで、妖異を探しに行かねばならない。
もちろん妖異がおらず、異界が出来ただけという線も残っている。そちらであったなら、大きな危険はないので安心出来る。
しかし、今回は昼に堂々と異界を広げている。こんな方法を取ったなら、妖異が関わっている可能性は非常に高い。
「今回は気配がしっかりあるね。隠れる気は……一応あるみたいだ」
突然現れたイブキに気づいたのか、妖異の気配が薄くなっていく。雅樹でも感じ取れる程であり、今はもう居場所が分からない。
隠れたのならそちらは様子見に留め、真希達の安否確認を優先する。同時に、イブキもかなり気配を薄く抑えておいた。
これで雅樹が囮役をやれば、高い確率で妖異が釣れるだろう。焦らなくても、雅樹は釣り餌として非常に魅力的なのだから。
「じゃあマサキは私が。英子は案内を頼む」
「分かりました」
雅樹の前でイブキが屈んで、雅樹を背負う姿勢を取る。妖術で転移をして来た為に、現在はイブキのSUVがない。
この状況で移動をするなら、人間である雅樹を背負った方が早い。イブキか英子、どちらでも良いが英子は嫌がると分かっている。
なら議論なんてするまでもなく、イブキがこうすればいい。それでも英子は、雅樹をまた睨んでいるけれども。
母親の相手として、相応しくないと思う男がまた仲良くしている。こんな状況であっても、娘として英子は複雑なのだ。
それでも母親の指示を優先し、英子は道案内を始める。鬼の脚力で跳び上がったイブキと英子は、木々の上を渡っていく。
「部下と生徒は温井ダムへ向かいました。方角的には、あちらでしょう——風景を変えていない?」
英子は人間離れした視力で、濃霧の向こうを見ている。人間には不可能でも、鬼にとってこんな霧は障害にならない。
視界に映った光景を見て、英子は訝しんでいる。異界を作ったというのに、地形は殆ど変わっていなかったからだ。
「面倒だったのか、そこまでの力がないか……ま、どっちでもいい。行くよ英子」
「はい、着いて来て下さい」
雅樹を背負ったイブキと、英子が濃霧の中を進んでいく。誰もその姿を捉えられず、ひっそりと彼らは動き始めた。




