第336話 適当すぎる支配者
碓氷雅樹が修学旅行を楽しんでいる間、大江イブキは雷獣イツカの下へ向かっていた。支配者同士という立場があるので当然だ。
どれだけイツカが適当な妖異だと言っても、支配者として尊重はせねばならない。雅樹を連れて来ているという点もある。
以前に紹介をしているが、覚えているか怪しいところ。イツカのような妖異は、人間の顔を覚えておくのは困難だ。
数ヶ月も経っていれば、十分忘れている可能性がある。人間に対する興味が低い妖異ほど、そうなる確率はどうしても上がる。
人間はあくまで喰らう為の存在でしかない。その認識が変わっていない妖異は、残念ながらまだまだ多いのが現状だ。
半妖である人間が妖異化を始めて、まだ二千年程しか経っていない。地位が向上するだけの実績が全く足りていないのだ。
長野県の幽霊である巴御前が、表立って成功例と呼べる数少ない事例である。それだって、人間の地位を向上させるには遠い。
ようやく永野梓美のように、人間と妖異のハーフが活躍を始めたところ。彼女にしても、生まれながらの妖異である。
どれだけ梓美がこれから評価されても、人間の評価には直結しづらい。人間の価値に気づいている妖異は未だに僅かだ。
その僅かな妖異であるイブキは、いつも通りグレーのSUVで山中を走っている。道なき道を進み、適当な場所で停車させる。
「イツカ、気づいているんだろう?」
太陽が真上で輝く山中にて、降車したイブキが一声かける。山の少し開けた広場で、彼女が待っていると雷鳴が轟く。
目を背けたくなるほどの強烈な閃光が一瞬で収まる。するといつの間にか、奇妙な体を持つ蜘蛛のような生物がイブキの前に居た。
全長は1メートル程と、人間よりは小柄である。しかし蜘蛛にしては異様に大きく、全身に本来蜘蛛が持たない鱗を持っている。
真っ黒な体に、8つの純白の目を持つ彼こそ雷獣イツカ。広島県の支配者であり、問題児として西日本では有名な妖異だ。
パリパリと紫電を纏う姿は、立派に異形の化物をしている。だが残念な事に、口を開けば異様な雰囲気も霧散してしまう。
「なんだよイブキ~、また僕にお説教? 最近は何もしていないじゃないか」
「……お前は何もしなさ過ぎなんだけどね。まあいいや、今日の用事は別にある」
支配者としての仕事をほぼ放棄し、好き勝手しているだけのイツカ。普通ならば下の者が反発するものだが、広島に限っては問題ない。
イツカの配下が嫌な者は、とっくの昔にこの地を去っている。周辺の土地に行った方が、まともな支配が敷かれている。
では全員が出て行ったかと言えば、そんな事はなかった。支配者なんて面倒だからやりたくない。でも支配圏には属したい。
かと言って、イブキのようにまともな支配者だと息苦しい。適当に生きて適当に美味い思いがしたい。そんな妖異は少なくない。
怠惰な妖異にとって、イツカの配下はあまりに都合がいい。だから今もこうして、支配圏として成立している——からこその問題もあった。
「少し前にも伝えたが、広島の海にはヨーロッパの妖異は来ていないか? 返答がないままだけど」
「え~? あ~。う~ん……そんな話、したっけ?」
「あっはっは……どうやら私を怒らせたいらしいね?」
イブキの腕がイツカの体を掴み、ギリギリと締め上げる。真面目な話だというのに、イツカはまるでお話にならない。
悲鳴を上げて抗議するイツカだが、簡単に許すイブキではなかった。しばらくの折檻が続き、イツカが多少はしおらしくなる。
「結局僕が損をするんじゃないか。酷いよイブキ」
長い足を器用に動かしながら、剛腕で掴まれた胴体を撫でるイツカ。渋々ながらも、イツカはイブキの話に耳を傾ける。
「最近、ヨーロッパの方がきな臭くてね。妖異対策課にも調べさせているし、愛宕にも動いて貰っている」
「愛宕? ああ、一条愛宕。イブキの配下の鬼だっけ。それで、ヨーロッパがどうしたの?」
イブキは少し前に起きた移民問題を説明する。もっとも、この説明は二度目である。覚えていないイツカをイブキは睨む。
しかし、これ以上の折檻をしているほど暇でもない。また忘れたら足の1本ぐらいは引き千切るぞ、という威圧を放ちながら話す。
現在、妖異対策課の京都支部を通じて、イブキはヨーロッパを調べさせている。妙な動きをしている集団が居ると思われる為だ。
騒動の中心に居るのはセイレーンのマリーという女性。冷泉翠と同じく人魚の一種であり、特徴は歌で海の男達を誘惑する点だ。
腕が鳥の翼になっているという、外見的な違いも持ち合わせている。彼女が何をしているのか、まだハッキリとは分かっていない。
「何やら新しい集団を作ったらしい。規模はまだ、大した事はなさそうだけどね」
「ふーん、そうなんだ。でも、海の連中がどうしようが関係なくない?」
適当な管理しかしていないイツカらしい感想だ。まさかそこまで説明が必要なのかと、イブキは頭を抱えたくなる。
「お前ねぇ……そうはいかないだろう。大昔と今は違う。人間は海を大勢で移動するし、貿易だってしている。無関係ではいられない話だぞ」
人間を生み出したばかりの頃なら、海の妖異と連携する必要性は薄かった。適当に人間を配分しておけば、争いになる事ない。
積極的に関わるような理由もなかった。しかし人間が海へ進出を始め、徐々にそうは言っていられなくなって行った。
小舟で数名が出ていく時代はとっくに終わり、今では一隻で数百名という規模で海へ出ていく。好き放題攻撃されては陸の妖異も困ってしまう。
そうならないように、本来なら協議を重ねているものだ。しかしイツカは、適当に丸投げしているので分かっていない。
イブキはもちろん、周囲からも言われている筈だが興味がないのだろう。本当に困った奴だとイブキはため息をついた。
「だってさ~あんな爆弾を落としてもこうなるんだよ? どうでも良いじゃん、人間が千や万と死んだところで」
「はぁ……そう言いたくなる気持ちは分かるがなイツカ、これはそんな単純な問題じゃないんだ」
「えぇ~そういう事じゃないの~?」
確かにイツカの主張だって、全てが間違っているとは言えない。どれだけ大規模な戦争を繰り返しても、人間は未だ滅ばない。
減るどころか、世界の人口は年々増加して行っている。イツカの言うように、どうでも良いと考えるのは仕方がない。
だがそれも、長い目で見れば話は変わる。ヨーロッパの移民が広島の海に住み着けば、将来的にどうなるか分からない。
海の妖異同士で争いが激化し、人間の生活に影響が出始めれば。徐々に別の都道府県へと、移住して行く流れが出来てしまう。
住みにくい土地だと日本全体が思われば、人間は日本という国から居なくなる。情報の拡散が早い現代で、そうなっては困るのだ。
「SNSとかってやつ~? 僕それ、良く分かんないんだけど」
「分からなくても構わない。とにかく、海には注意をしていてくれ。お前だけの問題じゃないんだ。分かったな?」
「面倒くさ——わ、分かったよぉ! イブキは強いんだから、もっと優しくしてよね!」
未だに非協力的な姿勢を見せるイツカだったが、イブキの笑っていない笑顔を見て態度を改める。もう怒られたくはなかった。
イブキはイツカが監視をサボらないよう、定期的に報告をさせる約束をした。破れば当然、イブキのお仕置きが待っている。
流石に今回は不味いと思ったイツカは、大人しく従う事にした。彼は非常に不服そうだったが、イブキには逆らえない。
困った面倒事を代わりに解決して貰ってもいるので、頭が上がらないというのもある。そんな状態だったから、彼は見逃してしまった。
広島県内で好き勝手に動いている人造の妖異と、一瞬だけ妖異の力を放った年若い人間の少女に。この日、イブキへ報告される事はなかった。




