第318話 移動中の車中にて
四国と本州を繋ぐ瀬戸大橋。その上をグレーのSUVが走行している。依頼を受けた大江イブキが運転する車だ。
朝の瀬戸内海を太陽が照らし、青い海がキラキラと輝いていた。助手席に座った碓氷雅樹は、何気なく窓の外を見る。
彼がここを通るのは、これで2回目となる。まだイブキと出会って間もない頃に、徳島県へ調査に行った時が最初だった。
初めて見た生の海に感動し、同時に海の怖さを教えられた。今となっては、それも過去の話。もう雅樹は海で何度か戦っている。
海で暮す全ての妖異を目にしたわけではないが、それなりの数と遭遇した。1回目から数ヶ月が経過し、色々と変わった。
「用事があったんじゃないのか? 玉藻前」
「別に? 私じゃなくても話は通せるもの。妹達に任せるわ」
後部座席には、剣道着姿の那須草子が座っている。疑うように目を細め、鋭い棘のある視線をイブキへ向けている。
対するイブキは、素知らぬ顔で運転していた。最近、イブキと草子の間で新たな火種が燃え上がった。もちろん原因は雅樹だ。
ついに彼の貞操にまでイブキが手を染め、草子はかなりの怒りを見せている。雅樹が幼い頃から狙っていたので、それも無理はない。
永野梓美までも争いに参加し、最近雅樹の周りは少々騒がしい。何かあるとこうして、視線や言葉に棘が仕込まれている。
ただし全員が揃って、雅樹に交際を強く迫ってはいない。強制させるのではなく、選ばれる事に意味があるからだ。
圧倒的な強者女性達だからこそ、各々自分に自信を持っている。最近は梓美でさえも、イブキと草子に勝つ気でいる。
そんな状況の為、雅樹としては少し肩身が狭い。全員が魅力的だからこそ、一番を選ぶという選択を取るのは難しい。
純粋に好意があるという意味では、全員に対してそうだ。女性としてだけでなく、内面も含めて雅樹は彼女達を好ましく思う。
人間と妖異、種の違いによる価値観の差はある。理不尽だと思う事はあるし、急に喰われてしまう日も少なくない。
だがそれも含めて、彼女達なのだと雅樹は見ている。全てを推し量れないからこそ、今より先を見てみたいと思っているのだ。
「あ、あの~香川県について知りたいなぁ——って」
だが雅樹は、恋愛経験が圧倒的に不足している。こんな状況になって、上手く女性をコントロール出来る能力はない。
どうにか話題を逸らして、場の空気を換えようとする事しか出来ない。つまりは、いつも通りという事に他ならない。
「香川県についてかい? まあせっかくだし今の内に教えてあげよう。玉藻前の相手をするより有意義だ」
「ちょっと酒吞?」
余計な一言を入れたイブキを、草子がより強い視線で見つめる。そんな彼女を無視して、イブキは香川県について話し始めた。
「香川、というか四国だね。あの地は結構特殊なんだよ。あそこには、狐の妖異が存在しない」
四国地方には、狐の伝承が殆ど存在していない。代わりに、狸にまつわる話は多い。それは、狐の妖異が居なかったからだ。
伝承として残る僅かな例を挙げるなら、弘法大師の可愛がっていた狐だろう。最初の頃こそ、狐は彼に従っていた。
しかし、だんだん調子に乗り始め、人を騙すようになってしまう。最後は弘法大師の策により、四国から追い出されてしまう。
ただしこれは、あくまで人間の残した伝承だ。妖異にとっての真実ではなく、あまり話の本筋とは関係がない。
「四国は元々、鬼が牛耳っていた土地だからね。マサキでも、鬼ヶ島ぐらい聞いた事があるだろう?」
「ええ、まあ。桃太郎に出てくるアレですよね?」
「あれは四国がモチーフなんだ。人間が残した伝承にしては、事実に近い内容だね」
鬼は妖異の中で、かなりの上位に位置している。そんな鬼が大勢居た関係で、パワーバランスはかなり偏っていたのだ。
彼らの傘下に入れば、四国の地でも生きていける。だがお互いに妖異同士で争っていた頃は、必ずしもそうではない。
特に妖狐の場合だと、鬼と対立している場合が殆どだ。鬼と同等の強さを持つ妖狐は、四国に居れば真っ先に狙われる対象だ。
「狐は昔から姑息な奴が多くてね。鬼から毛嫌いされて狙われたのさ」
「あら? 力任せな鬼が野蛮なだけでしょう? 私達は利口に生きているだけよ」
イブキによる妖狐評を草子が訂正する。このように、大昔から折り合いが悪いのだ。どうしてこうなのか、彼女達自身も知らない。
気に食わない。馬が合わない。出会えばとにかく殺し合い。そんな歴史があった為に、鬼が中心だった四国に妖狐はいない。
ただし、一部の例外は存在している。例えば大阪府の支配者、葛の葉も妖狐である。だが彼女を、イブキは認めている。
真っ正面から戦うようなタイプは、むしろ鬼から好まれる傾向にある。逆に策謀を巡らせる草子とは、折り合いが悪い。
この辺りは難しいところで、全員が鬼と仲が悪いとは限らない。その程度の説明に留めて、イブキは次の話題に移行する。
「その代わり、狸の妖異は多くてね。ほら、徳島の小松を覚えているかい? あいつが良い例さ。まあ連中も、完全に信用は出来ないけどね」
狸もまた策を弄するタイプだが、彼らは鬼と対立しなかった。上手く関係を築くことで、共存のルートを開拓した。
良く言えば、世渡り上手。悪く言えばゴマすりが上手い。また戦闘力はそこまで高くないのも、鬼から狙われる理由が薄かった原因だ。
逆に妖狐は高みを目指し、九尾の狐という頂きへ至った。尾の数が多い程、高い妖力を持つ強大な妖異である。
妖異最強の座を狙う狐と、狙わなかった狸。その差が如実に出た結果だ。鬼へ取り入って狸はその地位を確立した。
「あ~。小松、茂さんでしたっけ? 商売が好きっていう」
「そう。あいつのような狸は多い。自分達の利益を最優先に生きている」
強いかどうかより、利のあるなしを優先する。それが狸の妖異であり、上位の者はちゃっかりと力だって付けている。
計算高いという意味でなら、妖狐とそう変わらない。ただ方向性が違ったというだけだ。そんな狸達の多い土地が四国である。
もちろん、狸ばかりではない。先程の説明通り、昔から鬼が多く生活している。最多が鬼で、次点が狸。そして3番目は——。
「天狗も結構多いね。日本全体で見れば、結構偏っているのさ。まあ、だからって依頼の答えはまだ出ないけど」
「天狗かぁ……ちゃんとした天狗とは、まだ会ってないな」
京都を襲撃された際、クローンの天狗なら雅樹も目にした。しかし、それは意志なきコピー。会話なんて交わしていない。
どういう存在か、良く分からなかった。会ってみて判断しようと思う雅樹は、自分の異常さに気づいていないままだ。
普通、妖異との接触を喜ぶ者はいない。自殺願望者や破滅主義者、相当なドMでもない限り。会って考える必要なんてない。
だが雅樹は、妖異に慣れ過ぎている。もう会うぐらいなら、普通に受け入れている。もちろん、怖くないとは言えないが。
「天狗が攫った可能性って、あるんですか?」
「あるんじゃないかしら? 人間を喰らう目的か、性的な目的かは分からないけど」
雅樹の質問に草子が背後から答えた。少し身を前に出された事で、彼女の気配が雅樹へ近づく。独特の甘い匂いが、雅樹の鼻腔をくすぐる。
話へ集中したいのに、彼の集中がやや乱される。もちろん意図しての事で、軽いイタズラのようなもの。意識を自分へ向けさせる為。
遂に彼女とも関係を持ってしまった雅樹には、少々刺激が大きい。初恋の女性と、そういう関係にまで至ったのだから。
「ほらマサキ、狐はすぐこれだ。悪い女に関わらない方がいいよ」
「ヤニ臭い鬼なんかより、よっぽどいいわよねぇ?」
再び始まってしまった争いを、雅樹は止められない。どうしようか悩み、放置して事件に関する考察をする事を決めた。




