第317話 捜索依頼
京都市北区にある大江探偵事務所にて、いつも通りの光景が繰り広げられている。夕陽が通り沿いの窓から差し込む。
オレンジ色の光を背に、スタイルのいい女性が高級なデスクに座っている。腰まである長い黒髪が、艶のある輝きを放つ。
ポニーテールに纏められ、毛先が背凭れの根本で揺れる。持ち主は恐ろしい程に整った顔立ちの大和撫子だ。
どうしてか、気怠そうな表情が似合っている。面倒臭そうに書類をめくり、綺麗な指で紙の束をつまみ投げ捨てた。
そのまま引き出しからキセルを取り出し、タバコに火を点けて一息に吸った。吐き出す白い煙が不思議と換気扇の方へ向かう。
「はぁ……まったく。細かな事件が多い」
つまらなさそうに、大江イブキが呟いた。妖異対策課から届いた様々な報告書を、イブキは確認していたらしい。
投げ捨てた書類には、政府高官の印鑑が押されていた。相当に重要な書類らしいが、あまり大切に扱われていない。
「また黒澤会ですか?」
アイスコーヒーをキッチンで入れて来た碓氷雅樹が、制服姿のままグラスを持って現れた。学校から帰って来たばかりなのだろう。
紺色のブレザーを着た雅樹は、学生らしい幼さと男性らしさの中間にある。大人というには少し幼く、子供というには立派だ。
線の細い整った顔立ちは、今時の若い世代からウケが良いだろう。だからと言って、ひ弱そうな頼りない少年には見えない。
良く鍛えられた腕が、捲った袖から見えている。過剰に太い魅せる筋肉ではなく、実用性を重視した程よい厚みだ。
出身地の栃木県から引っ越して来た、那須草子との鍛錬が影響している。夏までと比べると、より引き締まった肉体を得た。
「いや、奴らじゃないよ。元々から妖異ってのは、好き勝手に生きているからね」
「あ~そういう意味ですか」
「君も後で見るといい。メールでも来ている筈だからね」
雅樹は普段通り助手として、冷たいグラスをイブキに手渡す。学校から帰るなり彼は、助手として仕事を始めている。
草子と夕方の鍛錬をする前に、助手の役目を果たすのはもう日課だ。普通の高校生としては、かなり忙しい方だろう。
イブキから言われた通り、応接用のソファに座った雅樹はノートパソコンを起動する。そのままメールチェックを開始。
言われた通り、文書ファイルの添付されたメールが届いていた。もちろん送って来たのは、妖異対策課の京都支部である。
「あれ? イブキさん! 東坂さんが今日来るみたいですよ」
確認したメールの送り主は、ただの職員ではなかった。室長を務めている若きエリート、東坂香澄であったのだ。
たまにこうして、香澄が送信して来る場合がある。その時は、大体厄介な事件の場合か、イブキに伝言がある場合だ。
「ふぅん? カスミがね。また何か頼み事かな」
「多分、そうじゃないですか?」
京都支部の最高責任者が、わざわざやって来るというのだ。ただちょっと会いに来るだけ、なんて可能性は先ず考えられない。
直々にお願いがある時か、大きな報告でもない限り香澄は現れない。酒吞童子を相手に、ちょっとお茶でもなんて有り得ない。
あとは致命的な失態があった場合だろうが、現状雅樹はそんな状況を見た経験がなかった。とても優秀な女性と彼は見ている。
「何でも良いけどね。最近は連中も静かだし」
長野での一件以来、黒澤会は目立った活動を見せていない。京都への攻撃もないまま、秋が終わろうとしている。
寒くなる様子は全く見られないが、季節としてはそろそろ冬。11月へと向かって、カレンダーは進んで行っている。
そんな会話をしていると、狙ったように探偵事務所の入り口がノックされた。雅樹が立ち上がって、ドアを開けに向かう。
「失礼します、イブキ様」
「やあ、カスミ。今日はなんの用かな?」
真っ白なスーツに身を包んだ香澄が、綺麗な姿勢で頭を下げる。耳の下まである黒髪が、お辞儀に合わせてサラサラと流れる。
常々からクールな彼女は、非常に知的な印象を受ける。実際優秀であり、全国の妖異対策課で最年少の室長となった女性だ。
イブキと良好な関係を維持し、妖異に関する事件へ対処を行っている。かなりの美女だが、結婚はまだしておらず子供もいない。
高嶺の花過ぎて、男性が気後れしてしまうのだろう。普通に接している雅樹が珍しいだけで、一般的な男性は声すら掛けるのを躊躇う。
草子という幼馴染のお姉さんと、イブキという極上の女性達を知った雅樹の弊害だ。ある意味で良い事だが、少々美人に慣れ過ぎている。
「実は、警察からの協力依頼がありまして……」
「ふぅん」
香澄はデスクに座るイブキへ近づき、持って来た資料を手渡す。封筒は妖異対策課ではなく、警視庁のものであった。
イブキが資料を手に取るのを待ってから、香澄が事件に関する情報を話す。先月東京で起きた、虐待事件が事の発端にある。
交際相手の連れ子を殺した男は、すでに殺人や遺体遺棄の容疑で逮捕された。しかし、死亡した女児の母親が行方不明となっている。
シングルマザーであり、現在は死体遺棄の容疑で追っている。だが西日本へ来た事は分かっていても、その後の行方が不明だ。
「正確に言えば、香川県まで行った事は確認されています。ただ、滞在していた山村で姿を消しておりまして。それ以降、どこの監視カメラにも姿は確認出来ず」
「……なるほど。その近辺で妖異に攫われたか、喰われてしまったと?」
「あくまで可能性ですが」
失踪中の母親、宮村万理華の写真が印刷されている。それなりにモテそうな外見の女性だ。少なくとも、イブキにはそう見えた。
同時に、そういうタイプほど悪い男に引っ掛かり易い。今回の資料を見る限り、そのパターンだろうとイブキは判断した。
一通り目を通してから、彼女は雅樹へ資料を渡す。今の内に見ておけという事だ。当たり前に受け取った雅樹を、香澄は少し目で追う。
以前よりも、イブキと雅樹の距離が近く見えたからだ。本当に僅かな差に過ぎないが、明らかに心の距離が変わっている。
まさか、と思うも今はプライベートを探る時ではない。視線をイブキに戻した香澄は、改めて調査の依頼をイブキに求める。
「香川の妖異対策課でも、調査はしましたが結果は出ず。何が起きたのか、さっぱりでして」
「で、私の出番というわけか。いいよ、受けておこう。マサキの勉強にもなるだろうし」
あっさりと受けたイブキが、やはり香澄は気になる。雅樹を鍛えているのは知っているが、これまでにない優しさがあった。
言い方の微妙な差、言葉選び、声のトーン。本当に細かな事ではあるが、香澄の勘が告げているのだ。何かがあったと。
そんな時、探偵事務所へ新たな来客が姿を見せる。剣道着をまとう金髪の美女、向かいで暮らす雅樹の師匠。
「ちょっと酒吞、まー君に何をさせて——ああ、貴女ね」
「お久しぶりです、草子様」
時間になっても雅樹が道場へ現れず、草子が様子を見に来たのだ。これもまた、香澄を疑わせる新たな要因となった。
以前は香澄が案件を持ち込み、会話が長引いても草子は迎えに来なかった。助手としての仕事をしていると判断するからだ。
だがどういう事か、少しの遅れで草子は姿を見せたのだ。これまでであれば、見られなかった行動だ。しかも——彼女まで雅樹と距離が近い。
同郷の少年とお姉さんというには、妙に近い距離感。師弟という点を考慮しても、何かがおかしいと香澄は思う。
「また酒吞がまー君に手を出したのかと思ったわ」
「ふんっ、お前がそれを言うか。狐の癖して泥棒猫になる奴が」
イブキと草子の交わされる言葉を聞き、香澄は全てを察した。どうやら、そういう事らしい。香澄はゆっくりと雅樹へ体を向ける。
「碓氷君、今度少し——お話をしましょうか。教育に関する話を」
「えっ……あの……」
妙に圧を感じさせる香澄に、雅樹は何も言えなかった。ただニッコリと笑う香澄の目が、物凄く怖かったので素直に頷いた。




