第316話 十日続ければ ⑥
7日目を迎えた宮村万理華は、夜の神社へやって来た。老人に会ってから以降、向けられる視線は非常に強くなっている。
そう思っているのは、自分の勘違いなのか。万理華はもう分からなくなっている。7度目ともなれば、神社の雰囲気には慣れた。
だから余裕が出来た故、という問題もあるかもしれない。可能性だけの話であれば、色々な考え方が出来てしまう。
ただ気のせいというには、明らかな圧を感じているのも確かであった。勘違いと断定出来ない程、異様な雰囲気を感じている。
『お社様にだって、願いを選ぶ権利があると思わないか?』
万理華は老人の言葉が、どうしても忘れられない。石段を登りながら、グルグルと思考が堂々巡りを続けていた。
自分がやっている事は、本当に正しいのだろうか。こんな方法を頼った自分の選択は、間違っていないのだろうか。
7度目の参拝へ向かう最中で、何度目か分からない迷いが湧いて来てしまう。4日目の夜から、少しずつ浸食して来た自分への迷い。
本当に向かうべき場所は、他にあったのではないか。選ぶべき道は、ここではなかったのか。どうしても考えてしまう。
人間は焦りから、極端な行動を取ってしまう場合がある。事件を起こしておいて、自ら現場に戻るなどが良い例だろう。
生活苦に強盗行為を行って、雑な逃走計画で逃げようとする。捕まらないと思い込んで、あっさり警察に捕まる。
そんな話は溢れており、視野狭窄に陥っていないかと万理華は思う。今の自分は、何を考えて行動しているのだろうか。
大丈夫だと言い聞かせて来たが、本当に大丈夫なのだろうか。自分の願いは叶っていいものか。正しい——願望であるのか。
境内まであと少しという位置で、万理華の足は止まった。自分が今正気を保てているのか、自信を失ってしまったからだ。
ふと冷静な自分が戻り、帰るべきではないかと思う。しかし、途中で辞めた場合のリスクが気になる。結果、足は先へ進む。
「……えっ」
境内へ登り切った時、空気がガラリと変わった。刺すような視線が、万理華に向けられている。その正体は、小さな少女だ。
万理華が知っている幼い子供。3歳になってから、良く話すようになってくれた子。1週間前に、容赦のない暴力で死んだ我が子。
「なっ……なんで……」
有り得ない、ここに居る筈がない。だってあの子の死体は、交際相手の男性が山へ捨ててしまった。確かに地面に埋めた筈。
明らかに曲がってはいけない方向へ、首が曲がってしまっていた。こんな風に、生きて立っているのはおかしい。
そもそも3歳の子供が、関東から遠く離れたこの村へどうやって来たというのか。死んでいなかったとしても、起こり得ない状況。
生きていてくれた。そう思う喜びも一瞬浮かんだものの、冷静にこれは異常だと思う自分がいる。万理華は身動きが取れない。
悩み続けたせいで、幻覚を見てしまっているのか。頭を振ってみても、本殿の鈴の下に見覚えのある子供が立っている。
「晴……ちゃん……」
我が子の筈がないのに、どう見ても自分の子供。自分の産んだ子ぐらい、見間違えずに判断できる。だが、これはおかしい。
暴力を振るう恋人に蹴られて、死んでしまったのだ。間違いなく自分の目で確認し、嫌な記憶として死に顔も覚えている。
無かった事にしたい。もう一度やり直したい。そう願った万理華は、縋る思いでこの村へやって来た。記憶にあった伝承を頼りに。
確信があったわけじゃない。ただふと思い出し、勢いで家を飛び出した。やり直す事が出来れば、次こそは間違わない。
「ママ……どうして……」
「ちっ、違う! 私はそんな!」
我が子を守る気はあった。でも彼氏が怖くて、暴力に怯えて萎縮していた。そして生まれた僅かな隙が、娘の死を招いた。
別れた旦那との子であっても、疎ましく思ってはいなかった。自分はちゃんと母親として、子供を大事にしていた筈だ。
責められるような事を、自分はしていたつもりがない。毎日育児を頑張りながら、シングルマザーを続けていた。
慣れないパートも始めて、努力していたのだ。娘を死なせてしまったのは、自分じゃなくて彼氏の方。自分は殺していない。
「どうして……」
「違う! 私は! 私は!」
連日に及ぶ自己正当化。自分は悪くない、自分は大丈夫だという認識。そんな中で、行っていた神頼み。この神社への参拝。
精神的に不安定だった万理華は、我が子の姿を見てより不安定になっていく。心が乱れて冷静さを失い、ただ自分を守ろうとする。
同時に浮かぶ自身を責め立てる言葉。そもそも離婚したのが間違いじゃないか。今の彼氏を選んだ結果がこれだろう。
結婚しようとした事が、転落人生の始まりではないのか。両親の反対を受け入れていれば。逃げるように実家を出なければ。
その言葉は全て、万理華が思い浮かべたものなのか。それとも、違う別の何者かが語りかけている言葉なのだろうか。
「どうして、ママ」
「違う! やめて! 来ないで!」
静かな境内で、万理華の叫びが響き渡る。彼女に見えている娘の姿は、現実に存在していない。居る筈がないのだから。
人間の幽霊が誕生するには、幾つかの条件が揃っていなければならない。ましてや遠く離れた位置になんて、出現出来る要素がない。
では彼女が見ている姿は何なのか。自身の行いを後悔する心が、生み出した幻覚。もしくは、精神がおかしくなってしまったか。
理由はどうであれ、万理華を苦しめているのは確実だった。正常な判断力を失った万理華は、時間の経過に意識が行っていない。
日付が変わる前に鳥居をくぐり、今は境内の入り口で止まっている。正式な手順に従えば、零時に鈴を鳴らさねばならない。
「私は! 大変だったの!」
立ち止まった万理華は先へ進めず、娘の姿に翻弄されている。零時までもう、それほど時間的な余裕は残されていない。
そこへ今度は、映像が流れ始める。万理華と娘、そして彼氏の3人が揉めている光景だ。あの日、娘を死なせてしまった日。
まるで第三者が事件を見ていたように、正確に再現されている。彼氏が吐く暴言、泣き叫ぶ晴、怖がって竦む万理華。
彼氏が癇癪を起して少女を蹴飛ばす。吹き飛んだ晴の体は、壁に激突して止まった。駆け寄る万理華が、娘を抱き起す。
息をしていないと理解した万理華。その時、目の前で起きていた光景が万理華の表情にフォーカスされた。
「……違う……私は……笑ってなんかいない!」
まるでもう、子供の世話をしなくていい。そんな気持ちを現すような、安堵の表情を浮かべている映像の万理華。
本物の彼女は否定しているが、心のどこかで理解してしまった。自分が育児に疲れていた事。別れた男の娘であるという事。
精神を病んでしまったとしても、不思議ではない状態が続いていた日々。遺体を埋める際の映像に変わり、また万理華の表情が映る。
やはり安心したような顔をしていた。その光景は、果たして万理華の心が見せた幻影か。それとも、本当に神が見ていたのか。
「違うの……やめて……来ないで……」
娘の姿に怯えた万理華は、少しずつ後退りしていく。本殿の鈴から離れていき、石段の方へ向かう。後ろ向きにゆっくりと。
心を乱していた彼女は、置かれた現状を正確に理解していない。彼女の背後には、もう道は残されていない。それでも——万理華は下がった。
「あっ……」
スローになる万理華の意識。背中から石段の下へ向かって、体が落下していく。手を伸ばしても、誰かが掴む事はない。
それは娘を助けられなかった彼女に対して、皮肉のような状況だ。夜空が視界に入り、月が浮かんでいるのが見える。
時刻は零時ピッタリと、本来なら鈴を鳴らすべき時。しかし、万理華は鳴らせなかった。彼女は1人、地面に向かって落ちて行った。




