第315話 十日続ければ ⑤
晴れやかな朝の村は、のどかで透き通った空気に包まれている。深呼吸をすれば、都会では味わえないクリアな酸素を吸えるだろう。
陽射しが降り注ぐ村の木々には、赤みが差しており秋を感じさせる。住人が育てているのだろう、栗の木に大きな実がついている。
もう少し育てば、重みで自然と落下してくるだろう。どこかで鳥の鳴き声が響き、爽やかな朝の到来を満喫できそうだ。
だがそれは、何も思う事のない人間であればの話だ。懸念事項を抱えている宮村万理華は、とても楽しんでいる場合ではない。
「……」
短い黒髪を秋風に揺られながら、花柄の青いワンピースを着た万理華が歩いていく。穏やかそうな出で立ちだが、表情は真剣そのもの。
ただ前を見据えて真っ直ぐ歩いていく。途中ですれ違った老婆が、珍しそうに万理華を見る。知らない人間が居るのは、珍しいからだろう。
定期的に訪れる夫婦達は、村の人々から認知されている。お社様のお陰で結婚した者達として、もう受け入れられているからだ。
その反面、万理華のような存在を、ここ10年は見ていない。多少は好奇の視線を向けられても仕方ない。だが今の万理華にはいい迷惑だった。
「っ!?」
何者かの視線について、考えていた彼女は過剰に反応した。いきなり顔を向けられて、老婆は少し困惑している様子だ。
あまりに強い視線を向けられて、何か悪い事でもしたような気分になっている。一方で万理華の方は、無関係な相手と判断した。
どう見ても道端を歩いていた老婆にしか見えない。手には農作業用のバケツと、草刈用の小さな鎌が入っている。
これで万理華を監視している存在だと判断するのは、少々無理があるというもの。こんな監視者がいるわけないのだ。
視線を前に戻した万理華は、老婆を無視して歩いていく。呆然としている老婆は、そんな彼女の背中を不思議そうに見ていた。
似たような出来事が数回あり、万理華は少しイライラしていた。余計な事で神経を使わされてしまったからだ。
村人に恨みはないものの、少々不愉快ではあった。観光客が珍しいのは理解出来るが、ジロジロ見られては気分が悪い。
謎の視線が気になっている事も手伝い、そこそこのストレスにはなる。かと言って、直接苦情を言えるような性格をしていない。
不機嫌を他者にぶつけられるタイプでもない。結果、変わった観光客という評価を受けていた。万理華の認知しないところで。
そんな出来事もありつつ、万理華は古びた神社に辿り着いた。鳥居の近くには、半壊した状態の石碑が建っている。
「なんとか宮かな? 神社の名前?」
崩れてしまっているせいで、神社の正式名称が分からない。インターネットで調べた際にも、正式名は記載されていなかった。
お社様と結婚成就について調べたら、昔大学で聞いた通りの伝承が書かれていた。ただそれだけを頼りに、万理華はここまで来た。
村人もお社様としか呼んでおらず、記事を書いた者も正式名を知らないようだった。村長ともなれば、何か知っているかもしれない。
だがそんな事まで、万理華は知りたいと思わない。今まで気にしていなかったから、視界に入らなかっただけの話だ。
「……よし」
少々不安に思うものの、万理華は改めて鳥居をくぐる。夜と比べると、見えてくる景色が違っている。
神聖な雰囲気はあるけれど、恐ろしさは特に感じない。紅葉が進み始めた雑木林と古びた石段。ただそれだけしかない。
まるで別世界のようで、万理華は若干首を傾げた。果たしてここは、同じ場所なのだろうか。思わずそう思ってしまった。
何が違うというわけではない。断言出来る要素は何も無い。だが何故か、違うと思えて仕方ない。これが昼夜の違いなのか。
それとも、参拝をしている者だけが感じる差なのか。確かな事は何も言えず、気のせいという可能性も否定できない。
「気にし過ぎ……なのかな?」
朝と夜で雰囲気が違うなんて、そう珍しい話ではない。例えば夜の海なんて、昼間と違って独特な怖さを感じさせる。
明るい間は爽やかな風景なのに、夜は底知れぬ闇が広がる。そういうものだろうかと、万理華は一旦保留して先へ進む。
神社の雰囲気がどうかなんて、今重要な問題ではない。夜に誰かが隠れて、万理華を監視しているのかどうかが問題だ。
願いが叶うという意味では、人間じゃない何者かの視線であって欲しい。村人の誰かであったなら、伝承の信憑性が薄れる。
だが人間でない誰かだというなら、なおの事失敗は許されない。本当に吉凶が訪れるなら、もう後戻りは出来ないのだから。
「大丈夫……私は大丈夫……」
また自分に言い聞かせながら、万理華は石段を登っていく。靴底の低いローファーが、小さな砂利を踏む音を響かせる。
もはや登り慣れた石段を上がり、万理華は再び境内へ到着。やはり誰もおらず、夜に見た時と同じ状態になっていた。
明るい分、見え方は違うものの昨夜と同じ。夜に鳴らした鈴が、今も変わらず本殿にある。石造りの鳥居の見た目も変わらない。
「でも……なんだか……」
同じ景色である筈なのに、やはり何かが違うと直感が訴えている。不思議に思いつつも、万理華は境内を調べて回る。
石灯籠の周辺や、本殿の裏側。周りを囲む木々の影。見て回った限りで言えば、隠れる場所はそれなりにあった。
だが人の足跡は全く見られなかった。昨夜も村人が隠れていたなら、足跡ぐらいは残っている筈だ。人が消した様子も見られない。
せいぜい狸か狐のものらしい痕跡しかない。これで誰かが隠れていた説は、かなり薄くなったのではないだろうか。
少なくとも、人間の視線ではない。では一体何者によるものか。本物の神様なのか、そう考えた万理華に声が掛かる。
「そこのお嬢さん、ここに何か用かい?」
「ひゃっ!?」
誰もいないと思っていたら、竹ぼうきを持った老人が姿を見せた。突然だった事もあり、万理華は情けない悲鳴を上げてしまう。
立っていたのは70代ぐらいの男性だ。かなり背が曲がっているようで、平均的な身長の万理華より少し背が低かった。
細い目は開いているのか分からず、眠っているようにも見える。だが夢遊病の患者ではなく、竹ぼうきで掃除を始めた。
「あっ、えっと、その……」
「願いがあるのなら、夜に来た方がいいよ」
「それは……知っています」
万理華は老人を管理人のような存在だろうと考えた。もしくは、近所に住んでいるだけの物好きな村人の1人であるのか。
どちらであっても、警戒するような相手ではない。何かしら害するような気があったのなら、すでに行動している筈だ。
ただ掃除している人を、不審者のように扱うものでもない。どちらかと言えば、万理華の方が不審者に近い存在だろう。
参拝をするでもなく、境内をグルグルと回って探し物をしていた。怪しさで言えば、老人を遥かに上回ってしまっている。
「そうかい。お嬢さんの願いは、正しき願いかな?」
「え……それは……」
そんな事を聞かれると思っておらず、万理華は返答に困ってしまう。村人は皆、結婚が願いだと判断するのではないのか。
宿の女将は真っ先にそう勘違いしてくれていたのに。目の前で掃除をしている老人は違うらしい。どう答えるか万理華は悩む。
「正しいとか正しくないとか、何か関係あります?」
万理華が言えた回答は、質問で返すというもの。核心的な事は一切告げず、それらしい言い分として通る内容だ。
「関係はないよ。でもね、お社様にだって、願いを選ぶ権利があると思わないか?」
「……えっと」
万理華は老人の答えに何も返せなかった。知らない他人を、わざわざ言い負かす必要はない。万理華の願いは万理華のもの。
だがどうしてか、万理華はどうにも気になった。神社を去った後でも、ずっと老人の言葉が頭に残った。そして、また夜を迎える。




