第313話 十日続ければ ③
くすんだ赤色の鳥居は、長年ここにあった事を示す。月光を受けて暗闇にそびえ立つ姿は、どこか不気味さを感じさせる。
柱に巻き付いた蔦が乾燥して、枯れかけているようだ。鳥居が蔦の生命力を吸い取ったように見え、見る者の気色悪さを煽る。
鳥居の先には、長い石段が丘の上まで続いている。その周囲には木々が茂っており、鈴虫の鳴き声が響いている。
時刻はもうすぐ零時を迎えようとしていた。薄暗い神社からは、人の気配がまるでない。鳥居の前に立つ宮村万理華以外には。
「……」
月と星、そしてスマートフォンのライトだけが頼りの状態。田舎の静けさが、今は人間の恐怖心を刺激してしまう。
この状況で怖いと微塵も思わないなら、人として何処か壊れてしまっている。正常である程、不安に思うことだろう。
「行かなきゃ」
だがそれでも、万理華は進まねばならない。彼女は、民間の伝承に頼らねばならない理由があった。誰にも言えない秘密が。
沸き上がる恐怖心を抑え込み、万理華は鳥居をくぐった。噂になっている通り、日付が変わる前に敷地内へ入る事が出来た。
あとは零時までに境内へ上がり、時間通りに鈴を鳴らして願いを3回心の中で繰り返す。それで一度目の参拝は終了だ。
古びたボロボロの石段を踏みしめ、万理華は上へ登っていく。神社仏閣が持つ独特の雰囲気が、今はどうにも恐ろしい。
人間ではない何者かが、敷地内に居るのではないか。そんな想像を誘発し、良くない考えがどうしても浮かんでしまう。
上に行く程、木々の影になり光源が減ってしまう。月と星々の光が途切れて、暗闇が万理華の周囲を侵食していく。
スマートフォンの科学の輝きでは、照らした部分しか明るくならない。暗くなっている場所から、何かが飛び出して来るのでは。
考えなくてもいい事ばかり、万理華の脳内を埋めていく。雑念となって、彼女の心を弱らせる。それでも、万理華は進む。
参拝に失敗すると、悪い方へ効果が傾く。吉凶が失礼な参拝者を襲う。そう言われている以上、今更止まっていられないのだ。
想像の恐怖と、神罰のどちらが怖いかという話だ。居るかどうかも分からない何者かより、神の怒りの方が恐怖として強い。
「早く行かなきゃ」
ギリギリの時間を選んだのは、昼間でも静かな境内で待機したくなかったから。真夜中に10分も立っていたら気が狂いそう。
万理華はそう考えたのだが、見事に当たっていたと実感した。こんな独特な空気の中で、長時間待って居られない。
婚活の為にやって来るような、頭がお花畑な女性とは違う。万理華はその思いを強くした。どう考えても、ホラー映画より雰囲気がある。
創作された偽りの恐怖と違い、周りを囲む静けさは本物である。いつの間にか、鈴虫の鳴き声はパタリと止まっていた。
ただ彼女が歩む足音だけが、唯一の環境音となっている。彼女の緊張と共に、心拍数が少しずつ上昇していく。
(大丈夫、お化けなんていないわ)
神聖な場所で、幽霊が出る筈ない。万理華はそう言い聞かせながら、彼女は足を動かす。もうすぐ石段を登り終える。
あとは石造りの鳥居をくぐり、本殿へ行って鈴を鳴らすだけだ。時間にして、5分と掛からない行為に過ぎない。
だというのに、本殿をやたら遠くに感じる。物理的な距離は、もう50メートルもないというのに。果たして気持ちの問題なのか。
それとも、願いの内容がそう思わせてしまうのか。いずれにしても、あまりゆっくりしている時間はもう残されていない。
「あと5分……」
万理華は境内へ到達し、石で作られた道を進んでいく。同じ素材と思われる灰色の鳥居をくぐった時、万理華は思わず立ち止まる。
「っ……誰?」
誰かの声が聞こえた。確かに聞こえた筈だと、万理華は周囲を見渡す。月明かりの差し込む境内には、万理華以外に誰もいない。
スマートフォンのライトをあちこちに向けても、やはり人間の姿はどこにもない。今のは恐怖心が生んだ幻聴だろうか。
万理華はそう思う事で、無理矢理納得させて先を急ぐ。妙な寒気を感じながらでも、進む以外にもう選択肢はないのだから。
静寂と戦いながら、万理華は本殿へ辿り着く。古びた賽銭箱の上には、年季の入った鈴紐がダラリと垂れ下がっている。
その先には、やや汚れた鈴が付いている。零時になったら鳴らすべく、万理華は太い綱を掴み時刻へ意識を向ける。
「59分……」
零時まで60秒を切り、刻々とその時が近づいている。始めた以上は、もう成功させるしかない。綱を握る手に力が入る。
涼しい秋の夜だというのに、汗が万理華の額を流れていく。彼女の緊張感は、頂点へ達しようとしている。そして残り10秒となった。
「10……9……8……7……」
声に出しながらカウントを進め、その時を迎える。零時となった瞬間に、万理華は鈴を必死で鳴らす。ガラガラという音が境内に響いた。
その瞬間だけ、妙に爽やかな空気を感じた。しかし万理華は、それよりも願い事を優先する。自分の願いを3回、口の中で繰り返す。
手を合わせて、ゆっくりと停止する。どれぐらいそうしていたのか、万理華は瞑っていた両目を静かに開けた。
「……出来た、のかな?」
特に何かが起こるでもなく、境内は静けさを取り戻している。ただ何故か、見られているような気がしてならない万理華。
口には出していないのだから、誰かに知られる心配はない。もし気になった女将が、密かに着いて来たとしても大丈夫。
自分は何も失敗していない筈だ。そう脳内で繰り返し、万理華は本殿を離れていく。石造りの鳥居を再びくぐる。
「っ!? ……気のせい?」
境内を去ろうとした瞬間、強い視線を万理華は感じた。これもまた、勘違いなのだろうか。それとも——本当に神が見ていたのか。
どう判断を下そうにも、確かな情報があまりに少ない。勘違いかもしれないし、本当に誰かが居たのかもしれない。
あまり嬉しくはないが、伝承は嘘で村人が隠れて見ている。考えられる可能性なんて、幾らでも浮かんで来てしまう。
ただ万理華は、境内を探し回る気にはなれなかった。やはり人の気配は感じないし、嘘だなんて思いたくないからだ。
偽りの伝承で終わられたら、万理華の苦労は泡と消えてしまう。無意味だったなんて、思いたくはない。それだけは嫌だった。
「もう帰ろう」
人の居ない古びた神社の怖さと、考えたくない想像。どうしても悪い方へ、万理華の思考が流されてしまう。
この行為を、10日続けねばならない。せめて終わるまでは、ネガティブな思考になりたくない。万理華は頭を振って石段を下る。
どう足掻いたところで、タイムリミットは決まっているのだ。もう参拝の1回目を終えてしまった。残るはあと9回連続行うだけ。
願いが叶わなければ、万理華の人生は転落していく一方だ。どうにか逆転する為に、彼女はこの伝承に縋った。
大学時代に学んだ授業で、この伝承について知っていたから。当時の大学教授が、この神社に関する伝承を話していた。
「……大丈夫……大丈夫……きっと、何とかなる」
小さな声で呟き、彼女は平常心を保とうとする。余計な事を考えないよう、呪文のように繰り返し言葉にしていく。
そうでなければ、不安に押しつぶされそうだから。もしこの行為が、何か間違っていたら。伝承はまやかしだったとすれば。
嫌な想像が浮かんでは消え、大丈夫だと言い聞かせる。今の万理華には、そうする事しか出来ないからだ。神に頼るしかない。
困った時の神頼みとはよく言うが、それでも仕方がなかった。うわごとのように大丈夫だと言いながら、彼女は神社を出ていく。
「大丈夫……私は大丈夫……」
万理華の姿はあまりにも危うく、不審者として通報されてもおかしくない。彼女の目には、正気と思えない暗い輝きがあった。




