第308話 未来へと続く道
碓井貞光の死後、大江イブキは生き方を少しだけ変えた。自由に生きつつ、貞光の魂を追い続ける道を選ぶ。
それは決して、縛られるという意味ではない。彼が望んだ生き方を守り、それでいて自らの欲も満たすという道。
いつか生まれ変わる彼を待ちながら、英子を育てる母として生きる。寿命のある人間には厳しくても、妖異であるイブキには簡単だ。
永遠を生きる彼女には、何年待つ事になっても構わない。例えそれが、千年や万年という時間であったとしてもだ。
何よりイブキは、西日本を代表する妖異だ。彼女に回ってくる些事は多く、定期的に助力を求められる。
そもそも貞光の死後、200年ほどで厄介な出来事が起きてしまった。金毛九尾、妲己が日本へ何食わぬ顔で移住して来た。
最初は若藻と名乗っており、正体を隠して潜伏。のちに鳥羽上皇から気に入られて、朝廷へ入り浸るようになった。
間の悪い事に、この頃はイブキが京都を離れていた。茨木童子を通じて、娘である英子の情報が東へ流れていると悟ったからだ。
知られているのなら、東の妖異が英子の命を狙うかもしれない。貞光との約束を守る為にも、一時的に姿を隠していた。
英子の修行も兼ねており、長期に渡って京都を部下に任せていた。そのせいで、妲己の暗躍を許してしまう。
上手く立ち回った妲己は、イブキの部下を誑かした。美しき妖狐の魅力に、あっさりと篭絡されてしまったのだ。
茨木童子との戦いで、主力を失っていた事も災いした。星熊童子らが生きていれば、妲己の暗躍は失敗していただろう。
だが、居ない以上は仕方がない。京の都は一時的に、妲己の侵略を受けていた。玉藻前と名を変えた彼女は、餓えていたのだ。
自らへ向けられる愛情に。大陸での争いに疲れた玉藻前は、ただ愛が欲しかった。愛されていたかった。ある意味、彼女も被害者である。
しかし、彼女の暗躍は途中で終わってしまう。安倍晴明の子孫、安倍泰成に妖異だと見抜かれて逃げ出す羽目に。
「はぁ……で? 私のいない間に、あの女狐にしてやられていたと?」
入れ替わるように、イブキが英子を連れて一時帰省。イブキであれば、多少変装していようが、妲己の妖力に気づく。
京の地に妲己の妖力が色濃く残っていれば、誤魔化せるわけがない。しくじった部下達が、土下座でイブキの前に並んでいた。
「い、いえその……巧妙な変装をしておりまして……」
「ふーん、見抜けなかったんだ?」
「そ、それは、ですね……その……あの……」
言い訳を並べ立てようとする妖異の男性達。どうもおかしいと思っていた女性陣は、冷たい視線を彼らに向けていた。
大江山には、鬼以外の妖異だって暮らしている。大蜘蛛や山姥、烏天狗や一反木綿など。様々な種族が生活している。
だというのに、軒並み男性達は妲己へ浮ついた気持ちを抱いていた。彼らからすれば、仕方がないだろうと言いたくもなる。
なにせ妲己は、イブキと双璧をなす東洋の美女。世界でもトップレベルの女性を前に、男として思うところぐらいある。
大将で憧れのイブキを、人間の男に取られてしまったのだ。茨木童子ほどでなくても、失恋に涙を呑んだ男達はいるのだ。
「ちょっとぉ! アンタら反省してんの!?」
「なぁにが新入りの妖狐よ! 超のつく古参じゃないの!」
イブキの背後に立つ女性陣から、厳しい指摘が飛ぶ。嘘に嘘を塗り固め、女性陣を誤魔化し続けた男性達は言い返せない。
ちょっと優しくされたから。傷心を癒やしてくれたから。理由は様々あるものの、結局根本にあったのは下心である。
大江山のアイドルというべき相手が、娘を産んだというのは辛いだろう。だがそれはそれ、これはこれである。到底許されない。
「……お母さま、男性というのは皆こうなのですか?」
英子の純粋な疑問が、男性陣の心に突き刺さる。幼子の穢れなき瞳が、彼らの良心をゴリゴリと抉り取っていく。
「少なくとも、サダミツは浮気者じゃなかったかな」
イブキの一言が、男性陣へのトドメとなる。男として、人間に負けた。彼らのプライドが、ガラガラと音を立てて崩れていく。
ただ1つだけフォローができるとするなら、彼の生まれ変わりである少年は流され易い。もっとも、今この場では何の意味もない話だが。
「そうですよね! お父さまはいつもお母さま第一でした」
こうして英子の父親に対する神聖視は、熟成されていく事になる。千年ほど未来で、ある少年に厳しい目を向ける理由はここから始まっている。
とは言え、それは今重要な問題ではない。土下座で沙汰を待つ男性達は、最悪首が飛ぶ事もあり得ると思っていた。
支配圏を奪われてこそいないが、他国の妖異に好き勝手させてしまった。支配者の代行をやっていた彼らの罪は重い。
だがイブキは、厳しい処分を下さない。少し柔らかくなったのは、大切な部下達を一度に失ってしまったからだろうか。
右腕であった弟分まで、封印せざるを得なくなった。今は彼の出身地である摂津国、大阪の支配者である葛の葉に預けてある。
「はぁ。まったく……しばらくは、馬車馬の如く働いて貰うよ」
どうしてもイブキは、殺す判断が下せなかった。玉藻前を暗躍させたのは、自分の不在にも問題があったと思っているからだ。
そして、貞光との日々も影響している。本当に少しだけだが、イブキは丸くなった。母親になった結果でもあるだろう。
元々の容赦のなさ、苛烈さ自体は失っていない。ただ身内に対する対応が、以前と比べて優しくなったのは確実だ。
貞光と出会う前のイブキであれば、見せしめに誰か殺していたかもしれない。そこまで行かずとも、追放はした可能性がある。
戦力をこれ以上減らせない、という冷静な判断も含まれている。右腕と四天王を失っているのだ。これ以上の戦力低下は痛手だ。
「お、おお! 寛大な処置、感謝いたします!」
「勘違いしないでよ? あくまで私は、というだけだ。後ろの彼女達が、どうするかは決まっていないよ?」
「うっ……」
とても良い笑顔の女性陣が、イブキの背後でニコニコと笑っている。その目は笑っておらず、強い意思が込められている。
折檻は覚悟しておけ。彼女達のまとうオーラが、言葉を必要としない無言の圧になって放たれていた。男性達は、ただ震えるのみ。
よその女にかまけた挙句、嘘までついて誤魔化していた。その上で、デレデレと尻尾を振っていたのだ。怒られて当然の話。
「これでも戦力だから、殺さないようにね」
「ええ、もちろんです大将。簡単に殺したりしませんとも」
「うふふふ……」
メスの大蜘蛛が糸を張り、逃げ出せないよう男性陣を囲む。女性の烏天狗達が逃げないよう、上空から見降ろしている。
鬼の女性達が、立派な金棒を肩に背負って歩いていく。様々な妖異の女性達が、お仕置きの為に座っている男性陣へにじり寄る。
真っ青な顔をした男性達は、ただ震えて待つしかない。弁解の余地はなく、彼らを弁護する者はどこにもいなかった。
これ以上は見ておく必要もないと、イブキは英子を連れて現場を離れる。本日の鍛錬を、娘につけてやらねばならない。
「さて——行くよ英子」
「はい、お母さま」
イブキは英子を連れて、大江山の頂上へ向かう。誰にも邪魔をされずに、集中して行う為だ。余計な喧噪は邪魔になるだけ。
もちろん、それだけではない。もう何度も、貞光と共に英子を連れて行った場所だから。時間で言えば、大した期間ではない。
貞光が父親で居られた時間は、とても長いとは言えない。それでも、イブキ達にとっては特別な場所。思い出が詰まった場所だ。
イブキと英子は、人間ではない。だからこそ、いつでも貞光の姿を思い起こせる。例えこの場に彼が居ないとしても関係ない。
人間の脳と違い、記憶が衰えていく事はない。例え何万年経ったとしても、記憶の中の貞光を鮮明に思い出せるのだ。
「始めよう英子」
「お願いします!」
貞光が死してなお、彼女達の生活は続いていく。親子としての時間は、未来へと紡がれていく。そして、彼女達は再び出会う。
2026年になってから、貞光の魂を継ぐ者と。何の偶然か、運命の悪戯か。貞光と同じく、碓氷の苗字を持って生まれた少年と。




