第304話 分かたれた道
茨木童子は西日本を出て東日本へ入った。彼は本気で酒吞童子、大江イブキと敵対する道を突き進む。
恋心を拗らせた結果、という意味で考えれば大袈裟だろうか。彼にとっては初恋の相手で、辛かったというのは理解出来る。
ただ、だからと言って敵対するのは過剰反応でないか。そう考えるのが、通常の神経を持った男性の反応だろう。
とは言え、全く意味不明な行動とは断言できない。恋心は時として、命の奪い合いに発展してしまう場合がある。
例えば、古代エジプトの女王クレオパトラ。彼女の人生は、愛憎に塗れた泥沼の関係が切って離せないものだった。
太古の時代を生きた人間ですら、恋を巡って争った。似たような話は、日本の歴史にだって幾つも存在している。
他にも有名な話で言えば、ギリシャ神話がある。アフロディーテとアレス、そしてヘファイストスの関係がまさに愛憎劇。
歴史上、最古の愛憎劇として語られる程、大昔から揉めていた。神ですら拗れるのだから、妖異や人間だって言わずもがな。
大昔から命を奪う理由として、愛情のすれ違いは切り離す事が出来ない。もはや生物として、避けられない定めなのだろうか。
野生動物だって、似たような一面を持っている。例えばオスの熊は、メスを自分のモノにする為、別のオスと作った子熊を殺す。
あまりに残酷な行為だが、生存競争の一環であり、主としての本能でもある。生まれながらにして、そのように出来ている。
陸から海へ視線を向ければ、イルカやシャチは真逆の生き方を選んでいる。彼らの場合は、特定の相手を作らない。
複数の相手と関係を持ち、自由な性交渉を行っている。子作りに関しても、非常に自由で奔放だ。乱婚制という生態を持つ。
しかもイルカに至っては、オスが子育てに参加する事は稀である。悪い表現をするなら、やりっぱなしと言えるだろう。
一夫一妻制が正しいのか、乱婚制こそ正義なのか。地球で暮らす生命に、明確な答えを出せた生物はどこにもいない。
ただその事実を突きつけたとして、茨木童子は納得なんてしない。結局のところ、感情とは合理性と合致するものではない。
感情が合理性を優先する場合はあっても、合理性が感情を抑えきるのは難しい。特に恋愛感情は、効率だけで推し量れないもの。
彼の怒りはある意味正当で、同時に身勝手でもある。厳しい言い方をすれば、彼は碓井貞光に負けた敗北者である。
ただ、貞光がポッと出の存在であるのも確かだ。茨木童子からすれば、20と数年生きただけの存在など未熟の極み。
どうしてそんな男に、負けねばならないのか。そんな悔しさも怒りに含まれている。怒れるまま彼は、駿河国に踏み入る。
「まさか俺が、こんなところまで来るとはな」
平安時代における駿河国は、静岡県の中部から北東部にかけて存在した令制国だ。つまり、東の支配圏になっている。
当然、ここにも支配者がいる。そこへ西の代表、酒吞童子の右腕、茨木童子が侵入して来たのだから反応する。
近くの林から木々の揺れる音が響き、凄まじい雰囲気を持つ何者かが近づいて来る。姿を現したのは、黒髪ショートの女性。
「そこで止まりなさい、茨木童子。どういうつもりかしら?」
鈴の鳴るような声が、鋭く制止を呼び掛ける。強者の余裕こそ感じるものの、声に棘が含まれている。明らかに友好的ではない。
もちろん茨木童子の方も、こうなるのは予想していた。何の警告も受けず、東の支配圏を抜けられるとは思っていない。
「……恋、だったか? 絡新婦の……。安心しろ、どうもこうもない。俺は今日から東につく」
「はぁ? いきなり何を言っているのかしら?」
茨木童子の宣言に、狩野恋が警戒している。刺々しい視線を突き刺す。まだこの頃は、恋としか名乗っていなかった時代。
和服を着た彼女は、日本人形を大きくしたような見た目をしている。放っておけば、夜中に髪が伸びていそうだ。
「酒吞童子に裏切られた。アイツは俺が殺す」
恋は彼の言葉を、まだ信じていない。ただ彼が放った殺意だけは、本物だと思った。明らかに怒気が込められていた。
何があったのか知らないが、考慮する点はあると判断する恋。冷静に考えれば、一旦受け入れても損はしない。
発言が嘘で、寝首をかこうとしても茨木童子は単独だ。支配者である恋の目を盗み、好き勝手行動するのは不可能に近い。
ずっと見張っていれば、どういうつもりか分かる。迷惑を掛けないのであれば、利用する事だって出来るかもしれない。
何より茨木童子と酒吞童子が潰し合うなら、東の妖異は特しかない。勝手に殺し合ってくれるなら大歓迎だ。一切信用せずともよい。
「ふーん……それで、結局何をしに来たのかしら?」
「酒吞童子を倒すには、まだ少し力が足りない。俺に都合のいい支配圏が欲しい」
茨木童子は力をつける為、どこかの支配圏で生きる人間を喰らいたい。かと言って西日本で活動すれば、イブキに彼の行動が知らされてしまう。
だが東日本ならば、イブキに情報は流れない。彼は最初からこうして、打倒イブキを条件に交渉をするつもりでいたのだ。
自分の手を汚す事なく、酒吞童子を排除出来るのならば。そう考えて手を貸す者は、必ず出てくる筈だと茨木童子は考えた。
信用されなくても構わない。彼の目的は東の妖異と仲良くする事じゃない。イブキ達さえ殺せれば、後はどうでもよかった。
初恋の女性を殺し、その肉体を喰らって1つになる。それだけを目的として、彼はイブキを殺すつもりでいるのだ。
「俺達が殺し合って、お前らに損はないだろう?」
「……まあね、それはそうよ。で、いつ戦うつもりなのかしら?」
「出来るだけ早くだ」
茨木童子はゆっくり時間を掛けるつもりはない。それでは憎き男を殺せない。イブキの目の前で、貞光を殺してこそ意味がある。
恋心が憎しみに反転した今、如何にイブキを苦しめるか考えている。理想形としては、イブキの前で男と娘を殺す事。
よりにもよって、人間の男なんて選んだ事を後悔させてやりたい。自分を選んでおけば、こんな未来はなかったと示す。
彼の考えている事は、ストーカーなどと変わらない思考である。ガールズバーやコンセプトカフェの店員を、逆恨みして刺殺する犯人のような発想だ。
世が世なら、生まれ次第で犯罪者として捕まっていただろう。やけに粘着質な嫉妬と恨みが、ドロリと渦巻いている。
「大きく出たわね。勝算はあるのかしら?」
「ある。だがその為には、多くの人間を喰わねばならん」
短期間に大量の人間を喰らい、妖力の差を埋める。そして大江山へ向かい、イブキ達と対決する。それが彼のプランだ。
恋は彼の目的を理解したが、かと言って自分の支配圏を使用させる気はない。だが、ここで借りを作らせておく価値はある。
状況を利用し、最大限の利益を狙う。絡新婦らしい狡猾な思考を巡らせる。自分は損をせず、一方的に得をする立場を狙う。
そうなれば、彼女が選ぶ方法は決まっている。自分の支配圏ではなく、他者の支配圏を売ってしまえばいいのだ。
「なら武蔵国へ迎えばいいわ。今あそこは、支配者継承問題で揉めているの。誰かに肩入れすれば、アナタの意見も通るでしょう」
「ほう、それは丁度いい。それで、お前なら誰が有力候補だと思う? ああもちろん、お前にとって一番都合のいい相手で構わない」
恋の意思を察した茨木童子が、彼女と交渉を始める。恋の都合と茨木童子の都合。お互い抱えている打算をすり合わせる。
茨木童子の目的と、恋が今後得る利益。双方が納得出来る落としどころを探り合う。両者の交渉は、そう長い時間を必要としなかった。
「じゃあ、そういう事でよろしく頼むわね」
「そちらの要望を飲んだ以上、自由に通行させて貰うぞ」
茨木童子は恋の望みに沿う代わり、東西の自由な行き来を契約させた。どちらも共に、考えている事は全く同じである。
妖異の契約を破るのなら、殺してしまえばいいだけ。どちらも強者だから出来る思考だ。話し合いは終わり、茨木童子は移動を開始。
現代でいう東京、武蔵国へ向けて出発する。離れていく彼の背を眺めながら、恋は楽しそうに笑みを浮かべていた。




