第303話 対立した結果
大江山どころか、京の地から出て行ってしまった茨木童子。決別宣言から数日経っても、戻って来る様子は無かった。
弟分がいなくなった事で、大江イブキが悲しんでいるのではないか。碓井貞光は、その点が気になって仕方がない。
だが同時に、あまり大袈裟にするのも気が引ける。子供の喧嘩ではないのだから、しつこく言及するものでもないだろう。
そもそも厳密に言えば、貞光が口を挟む問題ではない。結果的に言えば、茨木童子を怒らせた原因が自分にあると分かっている。
茨木童子は——イブキを女性として愛していた。ただの姉代わりではなかった。その想いを心の傷にしてしまったのだ。
もし自分が同じ立場であったのなら、不快に思う気持ちは理解できる。貞光もまた、イブキを愛している男性だから。
だが悲しい事に、愛が必ずしも報われるとは限らない。ましてや貞光は、高位の貴族として生まれた身である。
本来ならこうして、イブキと共に居る資格などない。家庭を築くならば、貴族として人間の女性を選らばねばならない。
相手が酒吞童子だったから、朝廷がこの関係を認めてくれている。人間と妖異の橋渡しとして、英子の存在は期待されている。
運が良かった。貞光の立場は、その一言で終わらせていいものではない。しかし、そういった一面があるのも事実だ。
「ほら英子様、無理をしてはいけませんよ」
クールな鬼の女性が、幼い英子の面倒を見ている。星熊童子と呼ばれる彼女は、英子の教育係に適任だったからだ。
豊富な妖力を持って生また英子は、妖術を上手く使いこなすだろう事は確実。参謀役である彼女の教えは、将来役立つだろう。
その考えから、彼女が大江山に期間して以降、イブキの育児を手伝っている。今は妖力の使い方を山の広場で指導中。
秋に入り紅葉した木々が、風に揺られて落ち葉を散らす。穏やかな気候の中で、英子が苦心している。とても微笑ましい光景だ。
問題が起きてしまったものの、親として英子の成長を見守る。貞光は目的を見失わず、イブキと共に並んで立っている。
「その、私には分からないが、英子は上手くやれているのか?」
「出だしは順調じゃないかな。流石は私達の娘だね」
貞光の目には見えないが、英子は妖力の操作を成功させている。同じ鬼であるイブキ達には、その様子がよく見えている。
母親であるイブキと似た、紅の妖力が幼い体を巡っていく。手に集中させたり、足に集中させたりして全身へ馴染ませる。
最初はこうした基本的な扱いを通じて、妖力の操作に慣れるもの。その習熟速度が、通常の子供よりもかなり早い。
この調子ならば、英子はイブキ達にも出来ない技術を身につけるだろう。自らの感情を糧に、妖力へと変換するという方法を。
もちろんそれだけなら、イブキ達でも可能ではある。ただその変換効率と総量が、純粋な妖異と大きく違うという事だ。
「それは、つまり?」
「無尽蔵に妖力を操る存在になるかもしれない。そういう意味さ。まあ数千年生きた程度じゃ、身に着かないだろうけど」
「数千年か……私がその姿を目にする日は来ないな……」
英子が頑張る姿を眺めつつ、貞光は思案している。先日茨木童子は、イブキや娘を狙うと宣言して出て行った。
自分を狙うのは構わない。だが愛する家族を狙われて、黙っているわけにもいかない。どうにかして、守り抜きたいと思う。
父親として、男として、そう考えていても実現は難しい。相手はイブキに匹敵する鬼で、自分はただの人間に過ぎない。
ましてやあと20年ぐらいしか、生きている時間が残されていないのだ。寿命のない鬼を相手に、出来る事は限られている。
いつか知りえない未来で、イブキや英子が殺されてしまったら。どうしても不安が拭い切れず、新たな悩みとなってしまう。
「そんな顔をしなくていい。一人前になるまで、私が英子を守り続けるさ」
「す、すまない。疑っているわけではないんだ」
複雑なのはイブキの方だろうに、気を遣わせてしまった。貞光は自らの至らなさを恥じた。考えたところで、意味なんてないのだから。
どうであれ、茨木童子は怒っている。その矛先は自分達で、抗うしかないのだ。望む望まないに関係なく、事態は動きだしている。
一番良いのは、両者が和解する事だ。酒吞童子とその弟子であり、弟分でもある茨木童子が再びを手を取り合って生きていく。
最も丸く収まるのは、平和的な解決だ。仲の良かった者同士で、殺し合いなんてやらない方がどう考えても良いだろう。
とは言え悲しい事に、人間だって似たような争いをしている。偉そうに何かを言える程、貞光は無知に振る舞えない。
「難しいものだな……争いが無くなる日は、来ないのだろうか……」
貞光は平和な世を願っている。誰だって、危険な世界で生きていたくない。その筈が、何故か悲劇ばかり起きてしまう。
京の都は、治安が悪くなる一方だ。妖異という存在だって居るのに、人間同士で騙し合い、足を引っ張り合っているばかり。
醜い争いを繰り返し、人が死に誰かが悲しむ。もう何度も見た光景に、貞光は嫌気が差している。どうしてこうなるのかと。
「仕方がないんだサダミツ。誰かの幸せは、誰かの不幸でもある。そんな世界で、私達は生きているんだ」
「……ままならないものだな」
裕福な者が居れば、貧しい者だっている。屋敷で恵まれた生活をしている者と、住む場所すらない者だって居る。
どこかで誰かが病気に苦しみ、別の誰かが完治して平穏を取り戻す。誰も不幸にならない世界が、実現した例はない。
光があれば、闇もある。太陽が昇り、沈めば月が空を支配する。どちらかだけを選ぶ事なんて、誰にも出来ないのだから。
茨木童子の件だって、突き詰めれば仕方がない事だ。イブキは最初から、茨木童子を番う相手として見ていなかった。
どう足掻いても、いつか問題になっただろう。結局彼の意見は、イブキが彼を選ばなければ報われないのだから。
「きっとアイツも分かってくれるさ。私がサダミツを選んだのは、子孫の能力を考慮してのこと」
イブキは昔から、ただ鬼の子をなす事に懐疑的だった。本当にそれでいいのかと、漠然と思い続けて来ていた。
実際問題、妖異は滅びかけてしまった。考えなしに、子孫を増やすべきではないと考えた。そんな中、見出した答えが英子だ。
想定通り、無尽蔵の妖力を持つ妖異になれれば。少なくとも、餓死による絶滅は避けられる。新時代の妖異となるかもしれない。
答えが出るのは時間が掛かるものの、試してみる価値は高かった。最低でも滑り出しは上々と言ったところだ。
「そうか……分かってくれるといいが……」
「アイツは馬鹿じゃないからね。その内帰ってくるさ」
この頃はまだ、イブキは茨木童子を信じていた。一時的な対立に過ぎなと思っていた。しかし、そんな未来は訪れない。
どうにも埋められない溝が出来てしまい、敵対以外の道はなくなる。本気の殺し合いを、弟分とする羽目になってしまう。
それだけ茨木童子にとっては、重要な要素だったのだ。悲しいすれ違いは解消する事なく、悲劇へ向かって突き進む。
イブキと英子を中心とした鬼達の温かな日々は、遠くない未来に破壊されてしまう。他ならぬ茨木童子の手によって。
上手く行っていた筈のコミュニティは、崩壊へと向かっている。だがイブキと貞光は、まだそんな未来を知りもしない。
「お母さま、お父さま、見てください!」
「へぇ~もう鬼火を出せるのか。やるじゃないか」
「あ、危なくないのか? 火傷しないでくれよ」
今はまだ、平和な家族として生活している。生まれたばかりの娘と、その成長を見て両親が褒める毎日。
一方その頃、心を乱した茨木童子は東へ向かっていた。怒りと憎しみを滾らせつつ、更なる力を得ようとしていた。




