第300話 人間の可能性
大江イブキと碓井貞光の娘、英子はとても利口だった。親の知識を受け継いだというだけでなく、生まれ持った才能だ。
冷静で常に思考を巡らせている。知識として知っている情報と、実際に観察した結果をすり合わせている程である。
例えば林檎という果物が赤い、という情報は知っている。甘い果物だとも把握している。だが、実際に食べた経験はない。
そうであるならば、英子は食べてみるという行動に出る。感触や実物の色味、匂いに味と全て確かめて認識を深める。
彼女の知性的な部分と、好奇心については貞光の影響が大きい。物事を知る感動とは、根源に感情の存在がある。
ただの妖異であったなら、知っている情報をそのまま鵜吞みにする。親から受け継いだ情報を、自分で確かめはしない。
感情が人間より希薄な為、知りたいと思う心の動きがないのだ。イブキ並みに長生きならば、暇つぶしで調べるだろうが。
ただその領域に至るのは、軽く数万年と生きた個体ぐらいである。知っている情報を確かめるなんて、妖異にとっては無駄な事。
例えば朝に太陽が昇り、夜は月と入れ替わる。それだけ知っていれば十分で、何故そうなるのか知ったとしても意味はなし。
幾ら妖異であっても、時間を自由に操る能力はないのだから。太陽と月について知ったとて、何が出来るわけでもない。
「これが雀……か弱い存在」
大江山の一角で、英子が自然と戯れている。好奇心旺盛な娘を、少し離れた位置から両親が見守っている。
英子が生まれてから、ずっと繰り返されている光景だ。生まれたばかりでも、英子は危険な真似を一切やらない。
高い知性がある為に、人間の子供のような危なっかしさがない。子育てとしては、かなり楽な部類に入るだろう。
知識欲を満たしている娘を尻目に、イブキは普段通り盃を傾けている。朝廷から贈られた酒は底を尽きない。
「やはり英子は優秀だ。すぐに妖術を使いこなすだろう」
娘の才能を見出したイブキは、満足そうに酒を飲む。いつか作るつもりだった後継者が、望み通り成功例だったからだ。
支配者という立場に飽きていたイブキだったが、かと言って折角整備した土地を、台無しにされたくはないと思っていた。
そうである以上は、自分の子か部下に任せるべきだ。部下にするか、子供にするか。最近イブキが悩んでいた事。
部下でもいいのだが、人間の可能性について全員が懐疑的だった。イブキの思考にまで、まだ着いてこれていない。
いずれ人間は更に進歩し、新たな可能性を作り上げる。きっと誰にも想像出来ないような、不思議な未来を紡ぐ。
これまで人間を観察した結果、イブキはそのように考えた。事実として、既に人間が幽霊となって妖異化している。
それ程までに人間は、強い感情を持つようになった。だがこれは、恐らく始まりに過ぎないだろう。イブキはそんな気がしている。
だからイブキは、貞光を見出した。魅力的な魂に、強い意思と豊かな感情。相手が鬼だとしても、決して屈しない心。
感情の濃度も濃く、得られるエネルギーが多い。次世代の妖異を作るならば、この男こそが相応しいと彼女の直感が訴えた。
もちろん男性として、純粋に好みだったという点もある。弱者でありながら、生き様まで弱者に甘んじていない点も良い。
「サダミツを選んで正解だった。君の子は強くなるよ、間違いなくね」
「……そう言われても、私には良く分からないな」
「それだけ人間には可能性が秘められているって事さ。この世に半妖として生み出したのは、色んな意味で正解だったのかな。まあ1万年後には、失敗と思うかもしれないけどね」
妖異の将来性や、人間の未来なんて貞光には分からない。きっと都がいつまでも繁栄していくのだろう。その程度しか想像できない。
まさか人間が科学を発展させていき、空すら飛ぶようになるとは思いもしない。今はまだ、平安の世でしかないのだから。
「よく分からないが、英子が幸せに生きてくれればそれでいい」
娘を見ながら優しい表情を浮かべた貞光を見て、イブキは満足そうに微笑む。少しだけイブキは、家族というものが理解出来た。
身内や仲間は知っていても、家族だけは知識としてしか知らなかった。鬼として世界に生まれた——原初の妖異であったから。
彼女のように、親がいない第1世代の妖異が居る。誰もが親を知らず、兄弟姉妹を知らず、弱肉強食の世界を生きて来た。
後から生まれた者達を見て、家族という存在を知った。関係性は理解出来た。しかし、家族を持とうと思わなかった。
必要性を感じない程、彼女はあまりに強かった。寄り掛かる相手を求めなかった。だが今は、少しだけ考えを変えた。
「それについては安心しなよ。君が死んだ後も、私が英子を見守り続けるから」
「……出来るなら、私も最後まで見守りたいのだがな……そうだ! 幽霊、とやらに私はなれないのか?」
幽霊になってまで、英子の傍に居ようとする貞光。純粋な愛情を向ける彼が、イブキの心を温める。今まで知らなかった感情だ。
異性を愛するという気持ちを、まさか持てる日が来るなんて。イブキにとって、思いもよらない変化だった。
人間と親密に接した事で、新たに生まれた感情。人間が成長を続けた事で、訪れる事になった機会。予想外だが、悪くはない。
今のイブキは、人間との新しい共存関係に未来を見ている。いつかまた、思いもしない展開を見られるかもしれないと。
「幽霊はオススメしないなぁ。基本的に知能が下がるし、妖異としても最弱だからね」
「むぅ……それは困るな。弱くてはイブキと英子を守れない」
「君は死んでも戦う気かい?」
どうにかして、妖異になれないか。そんな風に考えるのは、貞光の人間性故か。あくまで守る側であろうとする。
半分は妖異なのだから、何かしらの形で妖異になれないか。娘の将来を心配し、貞光は色々と考えてしまう。
きっと英子は、イブキに似て麗しい乙女になるだろう。そうなると、良くない男達が群がるかもしれない。
皇族の血も引く以上は、人間から見た価値も非常に高い。1人の父親として、不安要素があまりにも多過ぎる。
英子の成長速度に驚いてばかりで、それらを考える余裕がなかった。しかし今は、色々な事を考える時間が沢山ある。
「……いや、やはりイブキ、私も妖異にならねばならない」
「やけに強硬だね? サダミツが妖異になるのは難しいよ?」
人間は感情を糧に、妖力へと変換する能力を持たない。イブキ達が作ったのは、あくまで食料としての生命だ。
新たな食用の妖異を生んだだけでは、根本的な解決にならない。結局それでは、妖異が妖異を喰らう連鎖が終わらない。
妖異ではない生命であり、同時に感情豊かな存在である事。妖異にとって必要だったのは、自分達に都合のいい餌だった。
それも結局は、幽霊になり妖異へと進化する道が出来てしまったが。だが今更になって、作り直しは手間が多過ぎる。
何よりせっかく育てた人間を、全て処分は勿体ない。一度定着したものを、大胆にリセットするのは反対意見も多い。
「あ~でも、一時的になら妖異になれるかもね」
「何!? 本当か!?」
イブキのひと言を聞いて、貞光が食い気味に反応した。自分も妖異となって、イブキ達と共に生きて行けるのかと。
「落ち着きなよ。一時的にって言ったでしょ? それにまだ仮説で、確証もないしね」
残念ながら、貞光の望む答えは出て来なかった。イブキが考えた仮説に過ぎず、恒久的な妖異化ではない。
あくまで一時的な上、リスクに目を瞑るならば可能だろうというだけ。実用性に欠ける突貫作業のようなもの。
もし成功したとしても、1日も妖力を保持出来ないだろうとイブキは言う。結局元の人間に戻り、リスクを清算せねばならない。
とは言え、どんな方法か気になった貞光は聞いた。それは後にイブキが、二度と人間に教えないと決める禁断の方法だった。
思っていたより書くべき内容が多くなり、想定より少し話数と文章量が伸びました。
310話ぐらいには、この章を終わらせる予定です。




