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その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第9章 イブキの過去と彼の運命
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第296話 海に生きる龍の乙女

 妲己が日本近海へ来ている。その連絡を受けて加佐郡(かさぐん)を訪れたのは、大江(おおえ)イブキと碓井貞光(うすいさだみつ)である。

 現代で言う舞鶴湾の近くの村に、貞光の愛馬を預けて夕陽に染まる砂浜へ向かう。イブキの知り合いである妖異と合流する予定だ。

 京の支配者がイブキだとしても、海までは支配していない。陸と海では事情が違う。それは大昔から何も変わっていない。

 当然、平安時代でもこのルールは継続している。面倒な軋轢を避けようと思うならば、海の妖異を頼った方が無難だ。

 酒吞童子の威光を使い、無理に押し通る事も出来なくはない。ただ通過するだけなら可能だ。しかし、今回は色々と事情があった。


(とよ)か。私だ、到着した」


 イブキが護符を取り出し、何者かと連絡を取る。どうやら相手に連絡が通じたという事だけは、貞光にも分かった。

 この時代の人間社会には、遠距離通信が存在していない。電話を知らない貞光には、どうなっているのか理解出来ない。

 紙切れ1つで何故連絡が出来るのだろうか。不思議がっている貞光をよそに、目的の相手が海の方からやって来た。

 海から上がって来たというのに、何故か濡れていない十二単らしき衣服。ただ十二単にしては、妙に露出が多い。

 胸元を隠す気が感じられない気崩し具合。元々そういう衣装なのか、わざとそうしているのか。その割に、下品さは感じない。


 不思議な素材で出来た羽衣が、まるで天女を思わせる。イブキとは違った美しさを持つ女性だが、貞光は我が目を疑った。

 よく見れば、肌が明らかに普通ではない。トカゲやヘビのように、細かい鱗がびっしりと隙間なく覆っているのだ。

 イブキは鬼であっても、人間の肌と見た目だけなら変わらない。下手な刃物を通さない頑丈さを持っていても、まだ人間に見える。

 しかし海から来た女性は、人外だと分かる異様さがあった。おまけに頭部には、イブキと違った形状の角が生えているではないか。

 側頭部に2本ずつ、木の枝に似た形状の角だった。イブキの鋭い角と違い、剣呑さよりも神秘的な印象の方が強い。


「待っておったぞ酒吞——いや、イブキと名乗り始めたんじゃったか?」


「そうさ。自分で決めた名ってのも、そう悪くないよ。気になるなら豊も名付けるといい」


 貞光にはよく分からないが、イブキと豊という名の女性は知り合いらしい。人間でない事は初見で把握出来たが、何者かは不明だ。

 困惑している貞光に気づいた豊が、興味深そうに貞光を見ている。その目は、見定めるような雰囲気を感じさせた。


「のう酒て——イブキよ。この男は、わしへの献上品か?」


 遠慮もせずに豊が貞光を指差す。細くしなやかな指には、異様に鋭い爪が生えていた。人間の首ぐらい簡単に落とせそうだ。


「違うよ。彼はサダミツ、私の——番かな?」


「なんと!? あの堅物が男じゃと!? しかも人間とな!?」


 喰らう以外の目的で、男性に興味がないのではないか。そう思われていたイブキが、子を成す相手を連れている。

 昔からイブキを知る豊にすれば、驚愕どころの騒ぎではない。枯れているのではないかと、疑っていたぐらいなのだから。


「そんなに意外かい? 私だって、産む価値を感じたら相手ぐらい作るさ」


「ほぉ~。……ほぉ~。まあ……見た目は悪くないか。味見してもいいかの?」


「ダメに決まっているだろう」


 なんじゃケチな奴めと、豊は少し不満そうだ。イブキにしてみれば、貞光を見せる為に来たのではない。本題は別にある。

 物珍しそうな豊を落ち着かせて、イブキは本題へと移る。こうして海まで来たのは、妲己への対処をする為だ。

 真面目な話へと変わり、豊も空気を読んで詳細を語る。数日前から、少し離れた離島に金毛九尾、妲己が住み着いたという。

 どうしてそうなったのか不明だが、偶然近くを通った豊が異様な気配に気づいた。暫く見張った結果、間違いなく妲己だったという。

 領土を巡って、豊もまた妲己との戦いに赴いた経験を持つ。見間違えでも幻でもないと、豊は自信を持って証言した。


「あの気配、間違いなくあの女狐じゃ。わしが間違える筈もない」


「……なるほど。分かった。案内してくれ」


 豊が確認したという離島へ向かう事を決めた。案内役を了承した豊の体が、一瞬だけ眩い光を放った。思わず貞光は目を瞑る。

 次に貞光が目を開けた頃には、巨大な龍が砂浜に出現していた。かつての伝承に聞くような、ヘビのような巨体。

 とぐろを巻くようにしているが、それでもあまりに大きい。真っ直ぐ体を伸ばせば、体長は33尺(10メートル)を越えているだろう。

 立派な左右対称の4本角。大きな爪は、牛すらも容易く葬るだろう。貞光の脳裏に、1つの単語が思い浮かんだ。


「龍神……様……」


「ははは! そう見えるか! じゃが、わしは神ではないぞ」


「そ……その声は……」


 いつの間にか消えていた女性と、眼前に佇む巨大な龍。どちらも同じ声を発しており、何が起きたのか貞光は思い至る。

 だが同時に、信じられないとも思った。イブキや貞光と変わらない背丈の女性が、こんな巨体へ変化するなど有り得ない。

 とは言え、イブキは鬼神と呼ばれた酒吞童子だ。見た目は美しい女性でも、恐ろしいまでの強さを持っている。

 龍に変化する女性が居たとしても、おかしくないのだろうか。貞光の中で、常識と目の前の現実が激しく争う。


「ああ、すまない言っていなかったね。彼女は龍女(りゅうじょ)という妖異だ。龍であり、女性でもある」


「サダミツと言ったか? 改めてよろしくな!」


「は、はい……」


 未だに受け止めきれていない貞光の手を引き、イブキは龍の姿となった豊の背中に飛び乗る。すると豊が海へと進み始める。

 まるでウミヘビのように、器用な動きで砂浜を踏破し着水する。少々不安そうにしていた貞光だが、乗り心地の良さに気づく。

 無駄な揺れを一切感じさせず、船のような波を裂く感覚もない。非常に穏やかな移動で、足下に不安を感じない。

 もし彼が現代人であったなら、高級車にでも乗った気分になっただろう。それだけ安定した移動が続いている。

 水平線の向こうに、夕陽が沈みつつある。暗い夜の海は、どこか不気味だ。しかし、乗っているモノが特殊過ぎて怖くない。


「ふふん、どうじゃサダミツとやら? わしが人間を背に乗せてやる機会は、そう多くないからな。幸運な事だぞ」


「え、ええ。こんな乗り心地は経験した事がありません」


 貞光の回答に満足したのか、豊は上機嫌に海を進んでいく。ご満悦な豊だが、周囲へ振り撒く威圧感は凄まじいものがある。

 海の妖異達が、ご機嫌な豊の気配を感じて怯えている。一体何をするつもりなのだろうと、極力距離を取って縮こまった。

 この時期の舞鶴湾は、豊が最強の存在だった。人魚を始めとした海の妖異は、誰も豊に逆らうだけの力を持っていない。

 そんな存在が、同格かそれ以上の強さを持つ酒吞童子を連れている。新たな争いでも始まるのか。そう勘違いしても仕方ない。

 恐れ戦く海の妖異達をよそに、イブキ達は海上を進んでいく。目的地である孤島までは、もう少しかかる予定である。


「イブキど——イブキ、海には……彼女のような龍が大勢いるのだろうか?」


 思わずイブキ殿と呼び掛けた貞光は、慌てて呼び方を変えた。あれ以来イブキは、呼び捨てでないと不機嫌そうな表情を見せる。

 そんな可愛らしい一面もあったのかと、貞光は少し驚いた。同時に、年頃の乙女に見えて心が大きく揺さぶられた。

 新たな表情に嬉しくも思いつつ、怒らせないようにしようと注意もしている。今回については、上手く回避出来たようだ。


「ま、豊ほどの存在はそう多くないね。もっと小さな龍女なら、それなりにいるけどね」


「そ、そうか……ならいいんだ」


 色々な妖異を見慣れて来た貞光だが、流石に豊ほどの巨体は初めて見た。彼女のような存在が、多数居ては困ってしまう。

 その場合、朝廷になんと説明すればいいのか。そんな貞光の悩みは、どうやら杞憂で済んだらしい。

 夕陽が完全に沈み、月が天頂目掛けて昇っていく。月光を反射する海の上を、イブキ達は進んでいく。

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