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その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第9章 イブキの過去と彼の運命
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第293話 厄介な問題

 月明かりの下、夜の草原を駆けていく2つの影。前方を走っているのは、人のようなシルエットをしている。

 必死で走るそのスピードは、人間だとするなら妙に速い。何故ならその後を追うのは、どう見ても馬に乗った人影だ。

 中肉中背の人間が、馬より速く走るなんて有り得ない。鍛え抜いた肉体だったとしても、やはり馬には勝てない。

 だがどう見ても前方を走る何者かは、全力で走る馬から逃げている。追いかけている側が、中々追い着けない様子。

 前方の人影が逃げ切るには速度が足りず、追う側には一手が及ばない。そんな絶妙な拮抗は、一瞬で崩れ去った。


「どわっ!?」


 後ろから追いかけていた者が、馬上から弓を放った。足下に矢が刺さり、前方を走る人影がバランスを大きく崩した。

 勢いに乗っていたのもあり、盛大に転倒してしまう。地面をかなりの勢いで、ゴロゴロと転がっていく人影。

 狙い通りの結果となり、追い着いた馬から人影が跳び下りる。着地した人影が、腰の鞘からゆっくりと刀を抜いた。

 暗い夜の草原にて、月の輝きが2つの影を照らす。抜かれた刀には、護符が巻かれているようだ。


「そこまでだ。もう諦めろ」


 月と星の光が、長身の中性的な男性を晒す。京の都に仕える武士、頼光(よりみつ)四天王の若き天才、碓井貞光(うすいさだみつ)が立っていた。

 刃先を向けた相手は、貞光より5歳ほど年上に見える男性だった。しかし、どういう事か体が一気に縮み始める。


「ひぃっ!?」


 どうやら怯えているらしい男性は、変身が解けたのか1匹の狸に変わってしまった。元に戻った、という方が正しいか。

 人のフリをしていた化け狸だったらしい。しかし妖異であるならば、人間の貞光を怖がる必要は本来ない筈だろう。

 では何故怯えているかと言えば簡単で、勝負をして負けたから逃げ出したのだ。護符の効果と貞光の剣技は相性がいい。

 相手は人間だと侮って襲い掛かり、綺麗に返り討ちに遭った。そこで化け狸は、とある噂について思い至ったのだ。

 曰く、酒吞童子が人間を使っている。曰く、酒吞童子の下にやたら強い人間がいる。曰く、酒吞童子の支配圏では人間に注意しろ。


 どの噂も、最近になって流れ始めたもの。人間である貞光からすれば、4年前から言われていた事。もう5年目に突入している。

 だが妖異達にとっては、その程度はごく最近の噂でしかない。情報を確かめたわけでもなく、何となく耳にした程度の話。

 噂の頭には、「どうやら」「噂に聞いた話だが」「眉唾だとは思うが」という前起きが必ず付随する程度の信憑性だった。

 もちろん末尾には、「——らしい」「——と聞いた」「——だそうだ」という言葉もセットで付く。この程度、信じるには微妙なライン。

 だが化け狸の眼前には、噂を証明するような人間が立っている。たったひと振りの刀で、妖異に対抗して見せた。


「これ以上逃げようというなら、足を斬らせて貰う」


 化け狸には理解できない。何故かこの男が持った刀は、妖異を斬るだけの力がこもっている。事実、一度斬られている。

 今は再生しているが、確かに化け狸は胸を深く斬り裂かれた。このような人間の反抗など、経験した事が彼には無かった。


「まっ! 待ってくれ! 降参だ! もう逃げない!」


 化け狸は貞光に従うという意思を見せる。短い腕を必死に降って、尻尾を下に降ろし小さくなっている。

 無抵抗の相手を斬りつける程、貞光は容赦のない人物ではない。警戒は解かないが、構えを崩して自然体に戻る。

 そこへ追いかけて来た存在が、大きな音を立てながら着地した。長い黒髪に紅く輝く目、額から2本の鋭い角を生やした美女。

 酒吞童子、大江(おおえ)イブキが月の輝きを受けている。まるで女神の降臨でも起きたのかという、神々しさを感じさせる。


「ダメじゃないかサダミツ。狸を簡単に信用したら」


「安心してくれ、信用はしていない。何かしそうな素振りがあれば、すぐさま斬り捨てる」


 共に行動を続けて5年目。貞光とイブキの間で、以前より更に気安いやり取りが交わされた。色々な意味で、親しくなったからだろう。

 家族以外には硬い口調だった貞光が、イブキの前で随分と柔らかい話し方に変わった。まるで長年連れ添った相棒同士のよう。

 そんな空気を纏いながらも、化け狸をしっかりと警戒している。逃げ出す暇なんて、最初から与えるつもりがない。


「さて狸、お前の処遇はどうしようかな?」


 イブキの紅い目が、地面にひれ伏す化け狸を見つめる。それだけで、力の差を感じて彼は怯えて震えるのみ。


「しかしイブキ殿、こやつはまだ人を殺していないのだろう?」


「まだ感情をつまみ喰いしただけだね。殺してもいいけど、許してやってもいいってところかな」


 貞光の意見と、イブキの言い分を聞いて化け狸は必死で謝罪する。どうしても、生きる為に必要な捕食であった事。

 無許可なのは悪いと分かっていても、耐える余裕がなかった事。そして、彼はただの野良に過ぎず、迷惑をかける気はない事。

 ただ住める場所を探して、あちこち渡り歩いているだけだと話す。許して貰えるならば、配下として働く意思まで見せる。


「配下ねぇ……別に今は要らないかな」


「そっそんな!? 何でもします!」


「落ち着きなよ。私は要らないってだけだ」


 イブキは損害が軽微だった事から、見逃してやる事を決める。特に悪意が感じないと、会ってみて分かったからだ。

 配下となりたいなら、阿波国(あわのくに)、現代で言う徳島県へ向かう事を勧めた。そこには、同じ化け狸の支配者がいるからと。

 酒吞童子の紹介だと言えば、悪い扱いは受けないとまで宣言する。あまりの好待遇に、化け狸は涙を流して感謝する。


「あ、ありがとうございます! このご恩は決して忘れません!」


「やめなよ、ただの気まぐれだ。早く行け」


 ヒラヒラをイブキが手を振り、化け狸は何度も頭を下げて離れていく。寛大な措置に、貞光は優しい表情でイブキを見る。

 お前まで、そんな表情をするかとイブキが不機嫌そうに貞光を見返す。怒らせる気はなかったので、貞光は弁明をする。


「待ってくれ、イブキ殿の器を讃えたいだけだ。お人よしだなんて思っていない」


「本当かい?」


 そういうとイブキは、貞光へ瞬時に近づいて彼を捕まえる。そのまま唇を奪い、感情を容赦なく喰らってしまう。

 伝わった感情の中に、イブキを揶揄するような意図はなかった。どこまでも、イブキに対する愛情しかこもっていなかった。

 たまに貞光は、イブキを笑う時がある。面白がっているのか、純粋な好意なのか。イブキはまだ判別が出来ていない。

 人間と深い交流をしたのは、貞光が初めてだった。だから、分からない事は色々とあるのだ。まだ少し、交流が足りていない。

 どうにも分からない時は、こうして貞光を直接確かめているのだ。妖異だからこそ出来る強引な確認方法だ。


「ふーん、本当だったみたいだ……うん? ちょっと待ってくれ」


 感情を喰われた貞光を放置して、イブキは懐から1枚の札を取り出す。遠距離連絡用の術を仕込んだ特別な代物だ。


「どうした? 珍しいな、お前から連絡なんて」


 イブキに連絡を寄越したのは、現代でいう舞鶴湾に住み着いた妖異。いずれ辰野豊(たつのとよ)と名乗るようになる、龍女(りゅうじょ)からの連絡だった。

 何やら深刻そうな会話が続き、その間に貞光は復活していた。途中から話を聞いていたので、彼には分からない事だらけだ。

 加佐郡(かさぐん)、現代の福知山市から舞鶴市の辺りで何かが起きた。それ以外分からず、連絡を終えたイブキへ訊ねる事にした。


「一体、何があったのだ?」


「厄介な女狐の話だよ。北の大陸——あ~今は、(とう)だっけ?」


「ん? ああ、(そう)の事か。唐だったのは、40年ほど前の話だ」


 907年に唐から宋へと国名を変えた国。今でいう中国大陸。かつてそちらで猛威を振るっていた妖狐が、日本の離島へ住み着いた。

 そんな情報が、イブキの下へ回ってきた。昔から因縁のある敵対的な相手であり、非常に厄介な問題である。

 どこから説明するべきか。イブキは説明に迷いながら、貞光に話を始めた。中国の三大悪女、妲己にまるわる話を。

歴史捏造はいつもの事ですが、ここから更に捏造を入れます。

殷王朝を追われる前の草子と、追われた後の話を少しだけ挟みます。

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