第289話 貞光の役割
薄暗い部屋の中で、紫電が弾けた。変身を解いた巨体を持つ妖異、化け蜘蛛がダメージを受けて後退りしていく。
体長は10尺ほどあるようで、人間の倍はあるようだ。普通に襲われれば、簡単に殺されてしまうだろう。
だが人間を騙したつもりの化け蜘蛛は、大いに困惑している。人間の若い男性が、刀を手に持ち冷静な表情で構えているからだ。
ただの刀で妖異を傷つけるのは難しい。しかし男性の刀は、化け蜘蛛を負傷させた。火傷を負ったのか、煙が上がっている。
「貴様……何者だ? その刀はなんだ?」
化け蜘蛛が8つの目で男性を見ている。刀に何かが巻かれていると、その目に映った。何の意味があるのか、彼には分からない。
刀に巻かれているのは、大江イブキが碓井貞光へ託した護符。近づく妖異に反応して、雷撃を発生させる効果を持つ。
人間には何の害もなく、妖異だけを負傷させるもの。貞光と初雪に囮をさせる代償として、譲り渡した品だった。
「……名乗っても構わぬが、蜘蛛に人間の区別がつくのか?」
「貴様は人間にしては大きい。それぐらい分かる」
顔立ちでは区別出来ないのかと、貞光は呆れている。だがそれも仕方ないだろう。人間と蜘蛛は生物として違い過ぎる。
貞光は少し悩んだものの、結局は名乗る事に決めた。彼に任された役目は、化け蜘蛛をこの場に留めるという行為も含まれる。
同時に、武士としての矜持もあった。例え相手が人間ではなかろうと、正々堂々と名を明かしておくべきと考えた。
「碓井貞光、京の都を守る武士の1人だ」
「……では貞光とやら、その刀は何だ? 普通の刀ではなかろう?」
化け蜘蛛はジッと見つめながら、貞光の持つ刀を警戒している。人間の使う武器で、本来は妖異を傷つけるのは難しい。
不可能ではないが、大半の武器が効かない。一部の名匠が鍛えた武器なら、想いが込められた武器なら通用するだけ。
もしくは妖異の方がかなり弱い場合も、人間が傷を負わせられる。この時代は手作りの武器が大半を占めているからだ。
大なり小なり、作り手の想いが詰まっている。工場生産の現代とは違い、平安時代は有効な武器がそれなりにあった。
だがそれでも、深手を負わせるのは難しい。こんな風に、一撃で火傷を負わせるような武器は存在しない筈だ。
故に化け蜘蛛は、警戒心を最大限まで引き上げている。得体の知れない武器を、甘く見るような真似をしなかった。
どうやら愚かな妖異ではないらしい。何故こんな武器を持っているのか。目の前の男は何者なのか知ろうとしている。
この頃はまだ、人間を上手く使う妖異は少なかった。貞光がイブキの手伝いをしているなど、考えもしない。
人間という存在の価値が、改められたのはもう少し後。人間が利口になり、妖異を騙すようになって行った結果だ。
そういう意味では、貞光は最先端を行っている。妖異と手を組んで、別の妖異を罠にかけた最初の人間と言えるだろう。
「敵であるお前に、我々の秘密を教える義理はない」
「兄上、気をつけて下さい」
いつの間にか、初雪が薙刀を手にしていた。そちらにも刀と同様に、イブキの護符が刀身に巻かれているようだ。
密かに伸ばされていた蜘蛛の糸を、振り下ろされた薙刀に焼き切られた。紫電が弾け、薄暗い室内が一瞬明るくなった。
糸で貞光の刀を奪うつもりだったのだろう。化け蜘蛛は会話を続けながら、策を練っていたらしい。抜け目ない相手だ。
貞光は警戒しながら、隠しておいた火桶から種火を取り出す。予め壁に設置しておいた、照明用の松明へ点火した。
炎が室内を照らし、化け蜘蛛の姿をより鮮明にする。おぞましい外見が、嫌悪感を増長させる。同時に、根源的恐怖を誘う。
「なんて大きさなの……」
「初雪、私の後ろに居なさい」
「え、ええ」
流石に勝気な初雪でも、巨大な化け蜘蛛は怖いらしい。大きな虫というのは、それだけで人間に威圧感を与える。
無数の毛が生えた体、合計で8本もある足。頑強そうな顎は、人間の頭部より大きい。丸みのある肉体は、大木のような太さだ。
化け蜘蛛を警戒しながら、貞光は少しずつ距離を詰める。ここで化け蜘蛛を逃がすわけにはいかない。釘付けにする必要がある。
「はぁっ!」
貞光が刀を振り上げ、勢いよく振り下ろす。いつまでも喋っている場合ではない。相手は最初から殺しに来ている。
化け蜘蛛のペースに合わせる必要などない。鋭く振り下ろされた刀身を、化け蜘蛛の太い足が受け止めようとした。
護符の効果が発動し、雷撃が弾ける。化け蜘蛛の足が焼かれ、弾き飛ばされてしまう。その隙を突いて、貞光が連撃を仕掛けた。
刃が何度も化け蜘蛛へ向けられ、電撃が周囲を照らす。貞光の攻撃が、化け蜘蛛を追い詰めていく。閉所であった事も貞光を有利に運ぶ。
ここが林や森の中であったなら、化け蜘蛛は縦横無尽に動き回れた。だが人間のサイズに合わせて作られた室内は、彼にとってあまりに狭い。
「このっ! 人間風情がっ!」
化け蜘蛛が悔しそうに顎を鳴らす。ただの人間に追い詰められている現状が、彼のプライドを強く刺激したのだろう。
「おや? サダミツだけで随分な成果だね」
「っ!?」
イライラしていた化け蜘蛛が、慌てて背後を振り向いた。そこには、高身長の美女が立っている。紅い輝きが化け蜘蛛を見ていた。
村娘と変わらない軽装で、堂々と仁王立ちしている。それが本来の私服姿なのか、それともただの気分だろうか。
肉感のあるグラマラスな肢体が、惜しげもなく晒されている。妖艶な微笑みを浮かべながら、盃を手に酒を飲む。
化け蜘蛛など脅威とすら思っていないのか、あまりにも余裕を感じさせる態度だ。向けられた敵意をあっさり受け流す。
「貴様っ!? 酒吞童子かっ!? 何故ここに!?」
侵入はバレていない筈。そんな化け蜘蛛の予測を裏切り、支配者が自ら姿を現した。こんなに早い段階にも関わらず。
関所を越えた初日の夜に、もう動き出していた。いつどうやって気づかれたのかと、思考を巡らせる化け蜘蛛。
そして思い至る1つの可能性。何故か準備万端の状態で、待ち構えていた2人の人間。こうして姿を見せたイブキ。
「ま——まさか、人間などと手を組んだというのかっ!?」
「そうだよ。効果はほら、覿面だっただろう?」
いつも通りの口調で、イブキが化け蜘蛛の問いに答えた。この程度、なんて事はないと言わんばかりの、気怠げな口調だった。
実際、上手く引っ掛かった化け蜘蛛は何も言い返せない。ただの人間と思い、失態を犯した。相手は人間だからと、逃げようとしなかった。
最初の負傷が無ければ、抵抗された時点で逃げていれば。こうして最悪の形で、イブキと遭遇する事は無かっただろう。
今更逃げようとしても、すでに捕捉されてしまっている。相手は強大な鬼で、山へ逃げても追いかけて来るのは確実。
本当の姿を見られている以上、人間に化けたとしても意味がない。誤魔化す手段としては使えない。そうであるならば——。
「ま、待って貰おうか。まだ何もしていないだろう? 貴様の支配圏で、俺は問題を起こしていない」
「……ふぅん、それで?」
「ここで俺を殺せば、問題になるのではないか? 罪なき妖異を殺すのだから」
かなり苦しい言い訳だが、一応筋は通っている。彼は現状、関所を越えてから誰も殺していない。そこに嘘は含まれていない。
化け蜘蛛がここで生き延びるには、戦うよりもこの道を選ぶ方が早い。イブキにも手を出していない。あくまで人間と戦っただけ。
人間を相手に苦戦したという事実は、悔しいが認めるしかない。襲おうとして失敗したという汚名を被れば、生き延びる道が残る。あくまで、彼の中では。
「その理屈は通らないなぁ。お前より前に来た連中から、色々と尋問した後だからねぇ。お前の目的ぐらい分かっている」
「まっ! 待——」
長く伸びた爪が、化け蜘蛛の額を貫く。深く刺さった爪が抜かれると、化け蜘蛛の体が崩れ落ちる。そして、灰となって消えて行った。




