第288話 罠を張る貞光
京と近江国との境。逢坂の関からほど近い人里。関所を越えて京に入ると、最初に訪れる事が出来る山村。
その村の一角にて、年若い男女が荷物を運んでいる。都から来た兄である碓井貞光と、妹の初雪の二人だった。
大江イブキの要請にて、この村で罠を張る予定となっている。彼らの身分については、村人に明かされている。
朝廷からの指示が、書状によって示された後だ。鬼神、酒吞童子の命に従い、2人が活動していると知らされている。
もちろん、その件については口外禁止。例え血族であったとしても、村人以外に情報を漏らしてはならないとも指示された。
秘密を漏らした者は、重罪人として裁かれる。それ程の重い通達だったが、村人が緊張していたのは最初だけ。
見目麗しい2人が村へやって来るなり、重苦しい雰囲気は霧散してしまった。人間とはいつの時代も、現金なものだ。
年頃の可愛らしさと、貴族らしい凛々しさを併せ持つ初雪。染みついた上品な所作が、村娘とは大きく違って見える。
化粧をせずとも、ハリと艶のある肌は瑞々しい。一般的な農民の服装をしていても、高貴さが溢れ出ている。
村の若い男達は、初雪の美しさに魅入られていた。例え高嶺の花であっても、近づこうと必死になっている。
「お、俺達が運びますよ!」
「任せてくれ!」
「あら? そうですか? ではお願いします」
くすりと微笑みながら、初雪が男達に荷物を渡す。抜け目ない妹の行動を見て、貞光は苦笑していた。
初雪は自らを鍛え、薙刀の名手として活躍している。その辺りの村人よりも、鍛えられた肉体を持っているのだ。
彼らに頼らなくても、日用品の運搬程度なんて事もない。だというのに、上手く村の男達を利用している。
この妹は誰に似たのだろうと、貞光は常々思っている。したたかに、こうして同行する権利まで勝ち取っているのだから。
そんな優しい兄の姿を見て、村の娘達は黄色い声を上げている。彼女達がまともに見た、初めての貴族が貞光だった。
「あれが貴族様なのね」
「なんて美しい方なの」
「同じ人間に見えないわ」
若い少女達が、貞光を見て感動している。当時の平均を遥かに上回る高い背丈。そのわりに線は細く、ガサツな印象はない。
中性的な顔立ちながら、貧弱な男性には見えない。よく鍛えられた腕で、荷物を軽々と運んで見せている。
大雑把な村の男性達と比べると、繊細で知的な雰囲気を感じさせる。若い女性だけでなく、年配の女性からも好印象だ。
現代で言えば、人気の俳優さん達が地方へやって来たようなものか。村の盛り上がり方はすさまじく、祭りの前夜のよう。
そんな中で、貞光と初雪は今後について話を始める。彼らの目的は、この村で田舎者ごっこをする事ではない。
「よいか初雪、実戦経験のないお前が無理をするなよ」
「分かっておりますよ。あくまで私は、兄上の補佐をするまで」
どこか自信を感じさせる初雪は、誇らしげに語っている。本当に分かっているのかと、貞光は追求をせざるを得ない。
「……妖異は人間とは違う。本当に危険なのだぞ?」
周囲の村人に聞こえないよう、声のトーンを落として貞光が問う。知る必要のない情報まで、村人に与えるつもりはない。
知らない方が幸せな真実だ。人間が妖異に作られた、家畜のような存在であるという事は。現実とは、時に残酷なもの。
こうして笑って過ごせる日々を、人々は送るべきなのだ。貞光はそう思っているし、無意味に彼らへ水を差す必要はない。
妹に覚えて貰おうと、必死になっている男性達。それぐらい気楽に暮らせる方が、間違いなく幸せな人生だろう。
戦乱とは無縁で、妖異との関わりもない。特に変わらぬ日々を過ごし、寿命を迎えて死んでいく。とても幸運な事だ。
「鬼神様を見ただけで分かりましたとも。確かにあのお方は、神と呼ばれるに相応しい」
初雪は貞光を揶揄う事もあるが、考えなしに動くタイプではない。きちんと自分で考えて、行動に移しているのだ。
「はぁ……なら大人しくしているのだぞ?」
「ええ、もちろんですとも。そんな事より、兄上を見ている方が楽しいので」
「……お前な」
初雪は貞光とイブキを見ていたいのだ。これと言って浮いた話の無い兄が、突然入れ込むようになった女性がいる。
しかもそれが、伝承に残る鬼神、酒吞童子だという。こんな面白い話、初雪は他に知らない。結末がどうなるのか見てみたい。
詩人が考えた恋物語より、現実の方が遥かに刺激的だ。種族を超えた愛が、果たして成就するのかどうか。
兄の恋が実るのかどうか。ただそれだけで、追いかける意味があるというもの。初雪もまた、恋に恋する乙女なのだ。
例え上手く行かなかったとしても、それはまた悲恋として楽しめる。どう転んだとしても、彼女にとって得でしかない。
「さあさあ兄上、鬼神様のお役に立つと証明しましょう!」
2人が暮らす家に到着し、手伝ってくれた村人達を帰すなり初雪は宣言する。イブキの好感度を稼ごうという話だ。
当然ながら貞光は、渋い表情を浮かべている。そんな下心を軸に置いていない。貢献したいのは確かだが、意味が全く違う。
「我々はイブキ殿に守られているのだぞ? その恩返しを少しでもしようというのだ。邪な目的はない」
「ですが兄上、良く思われた方がいいのではないですか?」
「……それは……」
どうせなら、好印象を持たれた方がいい。打算の話ではなく、今後も関係を続けていく上で重要な考え方だろう。
険悪な関係になるよりも、間違いなくその方がいい。確かにそうなのだが、初雪の言い分には含みがあるのだ。
主従というより、男女の関係に持って行こうとしている。妹のそんな思考が、どうにも滲み出ていると貞光は察している。
とは言え、初雪の意見を全否定する材料が貞光にはない。イブキともっと仲良くなれるなら——そう思う自分が居る。
鮮烈な出会い方だったから、という理由だけではない。初めてそんな気持ちを、女性に対して抱いたから。
「私は応援しますよ? 素敵ではないですか。神の末裔たる我らが、鬼神様と結ばれるなんて。権威を示す事にもなります」
この時代、天皇家は神の末裔だと信じられていた。人間を作ったのが、神のような存在なら似たようなもの。
初雪はそのように考え、作られた生命である事を悲観していない。この時代だからこそ、出来た考え方だろう。
神なんて存在を信じず、天皇家があくまで象徴と化した現代人には抱けない思考。信心深いからこそ、ポジティブに受け止められる。
尊き血が流れている貞光と、イブキが結ばれるなら。神と結ばれるならば、平家としては非常に大きな意味を持つ。
場合によっては、朝廷の権力を更に大きく出来る。政治的な意味でも、決して無視出来ない成果となるだろう。
「よさないか。人間の事情に、イブキ殿を巻き込むわけにはいかぬ」
「相変わらずお堅いですね兄上は。もっと上手くお立場を利用なされば良いのに」
「政は私の関わる事ではない。ただの武人に過ぎぬさ」
血筋に優れていると自覚している貞光は、余計な不和の素を作るつもりがない。あくまで武士として、生き抜くつもりだ。
ましてや、イブキを巻き込むつもりなんてない。ただでさえ、地方で戦乱が定期的に発生しているのだ。
新たな派閥を誕生させるわけにはいかない。下手にイブキを旗頭に据えれば、ややこしい事態になるの確定している。
実在する鬼神と、天皇家の血を受け継いだ子供。どんな火種よりも、激しく燃え上がるのは想像するまでもない。
「そんな事より、準備を進めるぞ」
「はいはい、分かりました」
人間に化けて京の都を目指す不届き者。東からの刺客である妖異を罠にかける。その為の準備を、貞光は進めていく。
村の生活に馴染み始めた頃、怪しげな旅人が村を訪れた。貞光の鋭敏な勘が、標的の到来を告げていた。




