第285話 京の山村にて
京と近江国の境。逢坂の関を越えて暫く移動した先。とある山村の近くを、みすぼらしい旅人が歩いていた。
使い古した服というよりも、ボロ布と言った方がいい格好。20歳ぐらいに見える男性だ。田舎から出てきたと考えれば、不思議ではない。
似たような格好の者が、定期的にこうして京の大地へやって来る。この辺りで暮らす人々には見慣れた光景だ。
平安の世を求めて生まれた平安京。しかし、地方では小競り合いが尽きない。依然として厳しい時代が続いている。
裕福な地域はいいだろう。本来、無意味な争いを起こす意味はない。だがそれでも、内部の抗争は起きる。そして都においても——。
政権を巡る争いは未だに起きている。5年前の969年の事、源高明を中心に、謀反の計画があったと密告があったばかり。
平安京への遷都があってからも、権力闘争は度々起きている。そんな状況下で、全国的な平和など望めない。
もう少し遡れば、天慶の乱と呼ばれる大事件が起きた。東では平将門の乱、瀬戸内では藤原純友の乱が同時期に発生。
小さな反乱も含めれば、同時多発的に全国が荒れていた。鎮圧する側に回った武士は武功を上げ、敗退した者は処刑か左遷。
逃げ延びた敗者が、野盗に身をやつす事もあった。だがそれ以上に被害を受けたのは、従うしかない農民達だ。
戦う力を持たず、財力もなく、出来る事は作物を育てて税を納めるだけ。争いがあれば、その分の負担が大きくなる。
不安定な地域に生まれた者は、不幸としか言えないだろう。現代の生活と比べれば、なんと過酷な時代であっただろう。
言うまでもなく、この時代に生活保護など存在しない。特別な地位でない限り、税の免除など受けられない。
多少無理をしてでも、京の都へ出ようと考えるのも不思議ではない。そんな時代背景もあり、一部の者には好都合だった。
罪を犯し、土地を追われた者。地元で盗みを働き、逃げ出した者。そして、人に混ざり込んだ人ならざる者達。
(酒吞童子の支配圏に入ったか。所詮は西の暴れ馬、我が術を見破れまい)
近江国を越え、京の地へと至った東の刺客。西の弱体化を狙う先兵、化け蜘蛛が人間のフリをして行動している。
京の地は西の代表格である鬼、酒吞童子が支配圏としている。長い間ずっと君臨しており、東の妖異にとっては厄介な相手。
少しでも弱体化を図り、攻める機会を得ようと東は動いている。大きな争いこそ沈静化したが、火の粉は未だ燻っていた。
(さて、まずは手近な村から手をつけようか。せっかくだ、千匹は狩ってやろう)
彼は流れの化け蜘蛛だった。生まれた地域の支配者とは馬が合わず、東日本を転々としてきた。そんな彼に、転機が訪れる。
下野国を支配圏とする白狐、最古参の妖異から依頼を受けた。酒吞童子の弱体化に成功すれば、直属の部下として雇う。
複数の野良の妖異を招き、そのような取り決めを行った。支配者に認められ、定住出来れば生活に困る事はなくなる。
彼のような妖異には、これ以上ない好機。うまく取り入れば、次代の支配者への道も拓かれるだろう。この機を逃すわけにはいかない。
何より注目すべきは、あくまで酒吞童子の弱体化だという点。討伐しろとは言われていない。つまり、勝てなくても問題ない。
(あのような馬鹿力の女に、真っ向から挑むなど愚か者がやる事。知略で戦ってこそ賢い生き方よ)
化け蜘蛛は本日のターゲットを決める。関所を越えて最初の村。それなりの規模を持ち、住人も老若男女様々だ。
木の上から観察していた化け蜘蛛は、地上に降りて旅人を装う。あくまで京の都へ向かう貧乏な人間を演じ続ける。
彼は村の入り口に向かい、今回も野宿をさせて貰おうと村人を探す。そこへ、若い男性が声を掛けて来た。
「そなたは旅人だろうか? この村に何か用でも?」
化け蜘蛛が振り返ると、妙に背の高い美丈夫が立っていた。よく鍛えられた体に、6尺近くありそうな背丈。
かと言って巨漢ではなく、引き締まった細身の肉体を持つ。田舎には珍しく、中性的な線の細い美青年であった。
「へ、へぇ。申し訳ない。少し足を痛めてしまって。明日には出ていくゆえ、1日だけ滞在させて貰いたく……」
「ほお……なるほど分かった。我が家へ招待しよう」
村の一角を借りるどころか、家にまで招き入れるという。なんてお人よしな青年だろうと、化け蜘蛛はほくそ笑む。
「そ、そのような好待遇……本当によろしいのですか?」
「構わぬよ。両親は死に、妹と2人暮らしの身。お主を泊める余裕ぐらいある」
これは願ったり叶ったりと、化け蜘蛛はあくまで低姿勢を貫きつつ受け入れる。招待された身だと、体裁を取り繕う。
思った以上に幸先が良いと、彼は喜んでいた。この調子で京の人間達を襲い、攫い、若者を減らす。作戦通りに事が進むビジョンが浮かぶ。
彼と違い我先にと出立した妖異達は、どうやら失敗したらしい。どうせそうなるだろうと、彼は予想していた。慌てて動けば損をするもの。
じっくりと様子を見ながら、確実に成果を得る。罠を張って待ち受ける蜘蛛らしい考え方で彼は行動して来た。
何も知らないであろう青年の後を追い、自宅へと案内される。青年の家は藁と木で作られた、平凡な堅穴式住居だ。
「奥の部屋を使うといい。初雪、客人だ」
青年が初雪と呼んだ女性、藁を編んでいた年若い娘が顔を上げる。どことなく青年に似た、美しい村娘だった。
単なる村娘というには、あまりに美しい。歳の頃は16歳ぐらいだろうか。意思の強そうな瞳は、活力に溢れていた。
綺麗に切り揃えられた黒い髪は、首元の辺りまで伸びている。化粧もしていないのに、白い肌を保っている。
「兄上、お帰りなさい。もう農作業はよいのですか?」
「昼までに済ませる分は終わらせたよ。それで、客人の名は何だったかな?」
「清丸と申します」
青年は妹に旅人を紹介し、今日だけ滞在させると伝えた。初雪と呼ばれた妹もまた、嫌そうな表情を見せない。
化け蜘蛛はこれ幸いと、2人の兄妹に付け入る事を決めた。足が痛いからと、彼は奥の部屋へと引っ込み引きこもる。
彼は外を見なくとも、糸を上手く使い周囲を知る事が出来る。藁の隙間から糸を村中へ向けて、静かに張り巡らせる。
あとは暗くなるのを待って、村人が寝静まる時を待つのみ。陽が傾いてから、青年が彼を夕食に誘った。
変に断っては怪しまれるので、客人として不自然でない程度に付き合う化け蜘蛛。兄妹は彼を疑いもしない。
「そう言えば兄上、都では行方不明者が出ているとか」
「ああ、どうやらそうらしい。物の怪を見たという噂もある。客人も、都へ向かうなら気をつけた方がいい」
「なんとまあ、物騒な話ですな」
適当に相槌を入れつつ、化け蜘蛛は思考する。恐らくは先行して行動している者達だろうと、彼は当たりをつけた。
そのまま食事を終えて、暫くすると太陽が沈む。夜の闇が村を包み、僅かな月と星の明かりだけが村を照らしている。
兄妹が寝静まる時を待ち、化け蜘蛛は行動を開始する。村中に張った糸を確認する限り、動いている人間は居ない。
あとはいつも通り、村人を襲って喰らうだけ。何とも簡単な話だと、化け蜘蛛は思わず笑みがこぼれる。
「くくっ……馬鹿な兄妹だ」
化け蜘蛛は変身を解き、家主である兄妹の下へ向かう。仲良く寝ている兄へと近づき、大きな顎を開く。
先ずは男の方を喰らい、女に絶望を与える。助けてくれる相手はいない。そうやって追い詰めるのが彼の十八番だ。
「綺麗な魂の持ち主だ、じっくり味わって頂くとしよう」
化け蜘蛛はゆっくりと青年へと顔を近づけていく。あまりに美味しそうな若人だったので、溢れるよだれが滴り落ちる。
「なるほど、下品な蜘蛛だな。作法がなっていないな」
「何っ!? 貴様起きて——ぎゃっ!?」
バチバチと紫電が弾けて、化け蜘蛛が吹き飛ばされる。寝ていた筈の青年は、護符の巻かれた刀を手に持っていた。
「あれが妖異ですか、兄上」
「そうだ。気を抜くなよ」
刀を構えた碓井貞光が、初雪を背に庇い化け蜘蛛と対峙する。罠に嵌ったのは彼らではなく、化け蜘蛛の方だった。




