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その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第9章 イブキの過去と彼の運命
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第284話 山村への来客

 近江国(おうみのくに)と京の境にある関所。そこは、逢坂(おうさか)(せき)と呼ばれている。旅人や行商人の行き来が多い有名な土地。

 貴族の往来もある為、人通りが多く賑わいもある。琵琶湖の周辺ほどの規模ではないが、山村や集落が複数存在する。

 そのような村や集落では、旅人を迎え入れる機会が多い。京の都へ向かう者、又は都から出ていく者。

 ただ地元で暮らしているだけの人々には、様々な話を聞く事のできる良い機会でもある。故に、何らかの形で受け入れていた。

 村や集落の空き家であったり、寺院へ案内して泊めたり。もしくは村や集落の近くで、野宿をさせるのが定番である。


 もちろん全員が歓迎していたわけではない。よそ者だからと、嫌な顔をする者だって居る。どう思うかは人それぞれだ。

 近江国と京の境では、慣れている村や集落が多い。少々怪しかろうと、深く気にする者はそう多くなかった。

 なにせ関所が近く、近隣で事件を起こせば警備が強化されてしまう。問題のある行動に出れば、捕縛される確率は高い。

 都の貴族が通る機会も多い為、治安維持にかける熱意は全国でも随一だ。何かをするとすれば、よほど愚かな者ぐらい。

 だからこそ、一般人の緩みがあった面は否めない。今日もまた、東からやって来た旅人がとある山村を訪れた。


「村の端で構わないので、野宿をさせて頂けないでしょうか?」


 ボロボロの布としか言えない服を着た、男性が村の入り口で青年に問い掛ける。貧乏な田舎からやって来たのだろう事は窺える。

 この辺りでは、何ら珍しくない旅人だ。住人達は少々小汚いぐらいで、偏見の目を向けるような人々ではない。

 ただ、憐れみの感情を向けるだけ。近江国は小さな山村であっても、それなり良い暮らしが出来る土地だ。

 京の都で一発逆転を狙わねば、まともな生活が出来ないような家庭は稀。同情はしつつも、下手な手を差し伸べる事はない。


村長(むらおさ)に確認してこよう。名前を伺っても?」


「へぇ、清丸でございます」


「しばしそこで待っておれ」


 山村の奥、村長のいる方へ向かう青年。歳の頃は18ぐらいだろうか。村の労働力として、期待される年齢だ。

 畑仕事でもしているのだろう。ガッシリとした、男性らしい横幅のある体格。表情からは、活力を感じさせる。

 働き盛りだというのは、見ただけで分かる。恐らくは成人して歳の近い女性と契り、家庭の為に日々働いているのだろう。

 この時代を生きる男性としては、平均的な生活を送って居ると窺い知れる。何も珍しくはない平凡な青年だ。

 現代の基準で言えば、まだ学生をやっている年齢だろう。しかし当時は、社会人として働いて当然の立場だ。


 若くして村の未来を背負う若者の1人として、堂々と村の中を歩いていく。青年は何となく空を眺める。

 太陽は傾き、山の向こうへ消えようとしていた。周囲が暗くなる前に、用事を済ませてしまおうと足を速めた。

 青年は村長の家へ向かい、旅人の話を告げた。清丸と名乗る20歳ぐらいの旅人が、野宿をしたいと申し出ている。

 その報告を聞き、村長は周囲を荒らさない事を条件に許可する。村の入り口付近のみの滞在という前提も追加された。

 言われた通りの条件を清丸に伝えた青年は、愛する妻の待つ自宅へと帰る。それからは、いつも通りの生活だ。


「帰ったよ」


「お帰りなさい。お仕事はどうでした?」


「順調だったよ。収穫が楽しみだ」


 青年の妻は2歳下の16歳。平安時代ならば、何も珍しくない一般的な夫婦だ。子供をなすのも視野に入る年齢。

 だが結婚して間もない2人は、まず夫婦としての時間を楽しんでいた。この村に生まれ、この村で育った者同士。

 時に兄妹のようであり、同時に男女でもあった日々。最近になって結ばれて、幸せな日々を送っている。

 裕福と言えるほどの生活ではない。京の都と比べれば、幾らか生活水準は下がる。一般的な平民の暮らし。

 それでも2人は十分だった。山村で暮らし、年老いて死んでいく。平民が望める幸せとして、十分な生活だ。

 

「今日も美味いな」


 妻の手料理を食べて、喜ぶ青年。決して贅沢な食卓ではない。炊いた玄米に山菜の漬物、近くの川で採れた塩焼きの鮎。

 貴族の食事と比べれば、食材がまるで足りない。それでも山村暮らしの彼らには、これでも満足のいく食卓だ。


「普段と何も変わりませんよ」


「そうだったか? ははは」


 明るい雰囲気で食事を済ませ、翌日の準備を終わらせる。水を浴びたら1日の終わり。2人並んで床につく。

 ありふれた平民の生活。華はなくても幸せな日々。こうして若い夫婦は、いずれ子をなし育てていく。

 子供が成人したら世代交代は完了。あとは徐々に老衰して、いつか(きた)る死を待つのみ。人生とはそういうものだ。

 しかし、それだけで終わらないのもまた事実。この辺りは平和だが、地方では争いが続いている。

 京の都への侵攻を狙う不届き者だっている。いつかこの辺りも戦火に焼かれるのでは。そんな不安も僅かながらあった。


 だが現状は平和が続き、京の都も安定している。行方不明事件の噂が気になるものの、近江国では起きていない。

 多少の死傷事件はあるものの、熊や猪、もしくは野盗が原因だろうと思われていた。だから彼らは油断していた。

 少々みすぼらしい旅人ぐらいどこにでも居る。浮浪者が全員犯罪者かと言えば、そんな事はない。

 同じ人間同士、助け合うのは当然の事。穏やかな土地柄が、余計とそう思わせてしまっていたのだろう。

 相手が人間であったなら、その考えで居てもいい。優しい人々なのだと思うだけ。しかし、相手が人間でない場合はどうだろう。


「……ん? どうかしましたか?」


 寝ていた妻が、物音に気づき目を覚ます。隣で寝ている夫が何やら動いている。夜がふけ、明かりが足りずよく見えない。

 数回呼び掛けても返事はない。不審に思った彼女は、枕元の灯明(とうみょう)に火を点けた。植物油が燃え上がり、周囲を照らす。


「…………ひっ!?」


 僅かな炎に照らされたのは、人と思えぬ姿をしたバケモノ。牛の体ほどの大きさをした、巨大な蜘蛛が隣にいた。

 人の頭ぐらい、簡単に噛み砕けそうな強靭な顎。その下には、首のない男性の死体が血まみれになって寝ている。

 自分の隣にいるのだから、間違いなく自分の夫だろう。妻は助けを呼ぶと同時に、隙を作ろう灯明を投げようとした。

 だが一瞬遅く、体を蜘蛛の糸で絡め取られてしまった。身動きが出来ず、口元も糸で覆われている。叫び声はあげられない。


「ひひひひ、怖いか娘。貴様もこうして喰ってやろう」


 妻はモゴモゴとくぐもった声しか出せない。化け蜘蛛が宣言通り、夫の肉体を喰らっていく。骨と肉を喰らう嫌な音が響く。

 耳を防ぎたくても、体は縛られており何も出来ない。化け蜘蛛はまるで、怖がらせようとしている。彼女はそう思った。

 しかし、だからと言って何も出来ない。ただ耳障りな音を聞くしか出来ない。目を瞑る事が出来ただけ、まだマシだろう。

 結婚して間もなく、幸せな生活を送っていた筈だった。そんな日々が一晩にして、失われてしまった。輝かしい未来は失われた。

 どれだけ嘆こうとも、喰われた夫は生き返らない。こんなの悪い夢だと思いたい。だが、五感が夢でないと示している。


「さあ、次はお前の番だ。手足からゆっくり喰らってやろう。若い女子(おなご)が苦しむ姿は格別だからな」


 誰か助けて。そう叫びたいが口は塞がれている。にじり寄って来る巨大な蜘蛛。これが噂の(もの)()かと、今更思っても遅い。

 村の誰かが助けに来てくれないか。そんな淡い期待が彼女の胸に浮かぶ。同時に、嫌な予感がした。もし、皆喰われた後なら。

 もうこの村で生きているのが、自分しかいなかったら。最悪の想像が浮かび、絶望が彼女の心を満たしていく。


「くくく——いい絶望だ。その通り。隣の家も、村長の家も、全部喰らってきた。お前で最後だよ」


 大粒の涙が、年若い妻の頬を流れていく。恐怖と絶望を喰らった大蜘蛛は、満足そうに最後の家を出ていった。

 その夜、ボロボロの服を着た怪しげな男性が、山村を1人出ていく。この村で惨劇が起きたと知れるのは、数日経ってからだった。

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