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その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第9章 イブキの過去と彼の運命
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第283話 不審な旅人

 近江国(おうみのくに)、それは現代で言うところの滋賀県である。京の都へと至る交通の要所、及び仏教文化の中心地であった。

 都へ向かう旅人や地方の豪族、行商人などがよく通過していく。交易も盛んであり、単なる都のオマケではない。

 かの有名な紫式部の源氏物語と、大津市は密接な関係がある。夜の琵琶湖を見て、執筆を始めたと言われている。

 都への敵対勢力の侵入を防ぎ、盛んな商売を行いつつ、文化的な交流にも精力的。近江国はそんな土地だった。

 現代でこそ商いと言えば大阪府、というイメージが定着している。しかし、この頃の滋賀県もまた重要な土地だ。


「また都から、石山詣(いしやまもうで)にお貴族様が来るってよ」


「またかい? そんなに石山寺(いしやまでら)が物珍しいかねぇ?」


「いいじゃねぇか、また儲けられそうだ」


 近江国の町で暮らす人々が、口々に話している。石山寺とは琵琶湖の南端に作られた新しい寺である。

 747年に作られたばかりで、まだ30年ほどしか経っていない。平安貴族の間で、参拝へ向かうのは当時の流行だった。

 その影響もあって、訪れるのはただ京の都へ向かう者ばかりでない。都から近江国への流入もあるので、経済的な盛り上がりを見せている。

 

「こりゃあ明日の漁も頑張らねぇとな」


「ちげぇねぇ」


 琵琶湖を拠点としている漁師達が、明るい表情で笑っている。平安時代の日本では、米の他に魚が主食だ。

 鮎や鯉、鮒などが庶民から貴族まで親しまれていた。当時はまだ海水魚を運ぶのは難しく、淡水魚が重宝された。

 京の都のすぐ隣、近江国の琵琶湖はその象徴と言える漁場だ。都から重宝されている漁村が複数存在する。

 特権的と言っていい程の、特別扱いを受けていた漁師達が居た。彼らを中心に、琵琶湖での漁業が発展を続けている。

 当時は淡海(おうみ)などと呼ばれていた琵琶湖を中心に、近江国は発展を続けていく。そんな豊な土地である為、人の出入りも多い。


「おっと! おい、気をつけな!」


 集団で歩いていた漁師の1人が、道を歩いていた旅人風の男性とすれ違った。肩がぶつかりそうになり、漁師は不満そうだ。

 旅人は何も言わず、そのまま歩いていく。漁師は血の気の多い若者だった為、旅人を追いかけようとした。


「やめておけ。どうせろくなヤツじゃない」


「だが!」


「よく見ろ、あんなボロボロの格好だ。そこらの貧しい村の出身だろう」


 彼の仲間が言うように、旅人らしき男性の格好はみすぼらしい。穴だらけの服は、ボロ布としか表現できない。

 近江国を通過する者には、そのような人物が珍しくない。地方の重税に耐えかね、故郷を出て京の都を目指す。

 上手く行けば、貴族の下働きとして職に就ける。決して楽な生活ではないが、それでも貧乏な暮らしよりはいい。

 もちろん扱いは最底辺だ。下人(げにん)奴婢(ぬひ)と呼ばれる財産、所有物として換算される。人間らしい扱いとは言えない。

 それでも一発逆転を求めて、身分を偽り上洛する。貴族と言わずとも、神社に拾われればそれだけでも違う。


 現代の日本では、人を奴隷として扱う事は許されない。深刻な人権侵害として、人身売買罪などの罪に問われる。

 だが平安時代は違う。当たり前のように、下人や奴婢が使われていた。財産扱い故、不要とあらば質に売られる事もある。

 過酷な労働を強いられるが、最低限の生活は出来る。雇い主が気に入れば、多少はマシな扱いを受ける場合もあった。

 近江国で豊な暮らしをしている農民や漁師から見れば、圧倒的敗者でしかなく、蔑みの対象でしかない。

 故に、ボロ布を纏った旅人などすぐに記憶から消えてしまう。そんな事よりも、自分の生活の方が大切だ。


「おい、早く行くぞ!」


「あ、ああ」


 結局ぶつかりかけた年若い漁師は、仲間達と町へ消えていく。今朝の漁も良い結果に終わり、彼らはとても機嫌がいい。

 翌朝の漁に備えて、しっかりと休息を取る。そうしてまた、毎日が過ぎていく。明日には、すれ違った旅人など覚えていないだろう。

 だからこそ、問題もあるのだ。貧乏な生活からの脱却を目指し、都を訪れる者が、全員揃ってお行儀が良いとは限らない。

 上洛したが上手く行かなかった者達が、都に留まり治安の悪化を招く。窃盗などの犯罪に手を染めてしまう者は少なくない。

 それだけでも問題だというのに、より危険な存在が紛れているのだ。例えば、野盗のような犯罪者達。地方を追われた罪人。


 そのような人間達も、なかなかに厄介だろう。だが、もっと危険な存在が、浮浪者に紛れて都を目指して移動している。

 人ならざる者、この世に生きるバケモノ。妖異と呼ばれる者達が、西側への嫌がらせとして末端が送り込まれている。

 漁師達がすれ違った旅人もまた、人のフリをした人外のバケモノだった。見た目だけなら、くたびれた若い青年に見える。

 あくまで外見を装っているだけ。中身は人を喰らう恐ろしい妖異。近江国や京の都を攻撃する為に、送られて来た工作員。

 若い男女を襲い、攫い、喰らってしまう。人間達の繁殖を妨害し、喰い扶持を減らすという作戦の一環である。


 タチが悪いのは、送られて来る妖異が大体は野良の妖異だという事。特定の主人を持たず、餌をちらつかせて騙された連中。

 捕まえて拷問をしたとて、誰に頼まれたのか分からない。記憶を無理矢理覗いても、しっかりと対策をされている。

 酒吞童子、大江(おおえ)イブキはとある妖狐を疑っている。この用意周到なやり口に、覚えがあったからだ。策士として有名な妖異。

 下野国(しもつけのくに)、現在でいう栃木県を支配圏に持つ者。九尾を持つ古参の白狐(びゃっこ)で、イブキとは因縁のある相手なのだ。

 もっとも、この数百年後に白狐以上の厄介な相手が渡来して来る。中国の妖狐、金毛九尾、イブキに匹敵する実力者。


 だがこの頃はまだ、彼女は日本を訪れていない。今もまだ、中国の覇権を巡る争いに明け暮れている。二名の妹と共に。

 そんな未来を知りもしない日本の妖異達は、小さな争いを続けている。こうしてまた、新たな刺客が近江国を西進していく。

 まだ人に化けた妖異を見破る方法が、出来上がったばかりだった。近江国を支配している、とある鬼は気づけなかった。

 後にイブキから見破る術を伝達され、この戦法は廃れていく。だが今はまだ、有効打として通用してしまっている。

 身元不明の怪しい旅人は、町を出て山の方へ向かっていく。草原を進む彼は、道を1人で歩く農民を見つけた。


「そこの方、少しよろしいか?」


「うん? 何か用だろうか?」


 農作業を終えた帰りなのだろう。身軽な格好で道を歩いていたところを、怪しい旅人に捕まってしまった。

 人の良い農民だったのだろう。もしくは、このような旅人は見慣れていたのか。疑いもせずに立ち止まった。


「この先の村に行きたい。途中までで構わないから、案内を頼めないだろうか?」


「ふむ……あまり長くは付き合えないが、構わないか?」


 農民の男性は、途中までという条件で承諾した。まだ陽は高く明るい。多少見た目が怪しくても、白昼堂々とおかしな真似はしまい。

 そう考えてしまったのは、彼が優しい人間だからだろうか。それとも、安定した生活のお陰で、平和ボケしてしまったのか。

 道案内を引き受けた彼は、旅人を連れて少しの間歩いた。町から少し離れた林の近くで、農民の男性は立ち止まった。


「案内出来るのはここまでだ。右の道を行けば、村まで行ける」


「ありがとう。助かった……待て、あれは何だ?」


「何だ? 何か見えたのか?」


 旅人が林の方を指差し、怪しい人影を見たという。もし野盗でも居着いているなら、すぐ町に知らせねばならない。

 農民の男性は旅人と共に、林の方へ入っていく。奥の方へ進んだところで、農民の男性が不審に思う。

 誰の気配も感じられず、人が立ち入った痕跡も見られない。本当に人影を見たのかと、男性が後ろを振り返る。

 そこには、人ではないバケモノが居た。旅人はどこにもおらず、異形が大口を開けて男性の方へ向かって来た。

 しばらくして、林から出て来たのはボロ布を纏った旅人だけ。農民の男性は、陽が落ちても姿を見せなかった。

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