第282話 イブキと貞光
大江山にて出会いを果たした大江イブキと碓井貞光。片や美しき鬼であり、酒吞童子の名で知られる有名な妖異だ。
片や京の都で活躍する若き貴族であり、精悍な武士である人間の男性。美男美女でありながら、生きている時間が違う。
あくまで人間の貞光は、50年も生きれば良い方だ。だが長い時を生きるイブキは、既に数万年は軽く生きている。
立場もなにもかも違う男女である。交わる筈の無かった二者が、思わぬ形で運命が交差した。今も貞光はイブキの下を訪れている。
「先日の件の詫びとして、帝から預かった酒だ。受け取って欲しい」
源頼光達と共にイブキと遭遇した後、彼らは一度、京の都へ帰還。鬼神、酒吞童子への誤解があった事を報告。
真実を知った一条天皇と、安倍晴明は即座に大江山へ急行。貞光の仲介をもって正式に謝罪を行った。
それ以来、人間側からの詫びとして複数の献上品が贈られている。その役目もまた、貞光へ託された新たな任務だ。
頼光の報告により、都にも特使の件が伝えられた。朝廷によって、貞光の正式な立場が決定。今に至るというわけだ。
「別に謝罪なんて不要なんだけどねぇ。ま、くれるというなら貰おうか」
気怠げな表情を浮かべたイブキが、貞光の示した複数の酒樽を受け入れる。イブキの住処である洞窟へ、随伴の武士達が運び始める。
命を狙ったお詫びの品が酒、というのは現代基準だと軽く見える。しかし、平安時代における高級な酒は非常に高価だ。
神へ捧げる最高級の嗜好品。もしくは、天皇家や高位の貴族でなければ手が出ない。誠意を見せるには十分過ぎる。
武士達が洞窟へと運び終えると、貞光は彼らを帰らせる。現状、イブキと直接やり取りをするのは、貞光のみに任されている。
どうやら一番気に入られているのは、彼らしいというのは頼光の判断だ。追加の特使に誰を選ぶべきか、朝廷は検討中である。
「それでイブキ殿、今日もよいだろうか?」
「いいよ、どうせ暇だからね。妖異について、知りたいのでしょ?」
イブキは連日献上された酒を、自分用の盃に注ぎつつ答えた。この時代、まだキセルとタバコは日本に存在しない。
彼女がキセルを使い喫煙するようになったのは、もっと後の時代の事。安土桃山時代となってからの話だ。
この頃は代わりに、盃で酒を飲んでいる姿が定番だった。イブキは美味しそうに高級酒を飲みながら、貞光の望みに応える。
貞光は特使として、妖異に関する情報を正確に把握する必要があった。知った情報を、朝廷に届けねばならない。
そもそもこのような事態になったのも、平城京から平安京への遷都と、絶えぬ戦乱に原因があったのだ。
かつては記録され、一部の人間に正確な形で伝承されていた妖異という存在。その重要な情報が、欠落してしまっていた。
全てを喪失せずに済んだが、失った情報は多い。だからこそ、酒吞童子に疑いの目が向いてしまったのだ。
この失態は未来へと引き継がれ、令和の時代にも言い伝えられている。人間側のミスで、イブキを相手に敵対しかけたと。
真実を知ったこの時代では特に、何度も詫びて顔色を窺った。毎年一度、天皇がイブキの下へ訪れていた程だ。
それらに際して、重要な役割を担ったのが貞光である。こうしてイブキと交流して、正しい情報を集めて見せた。
「我々がその、半妖だというのは分かった。貴女達とは、根本的に全く違う種族、という認識でよいのだろうか?」
「うーん、全く違うという事はないよ。どちらかと言えば、近い存在だね。同じとも言えないけど」
「と、言うと? もう少し詳しくお願い出来るだろうか?」
これまで聞いたイブキの説明では、人間は妖異によって造られた生命だという事。半妖と呼ぶべき半端な存在。
妖異の性質をある程度受け継ぎながら、妖異とは比べ物にならない弱さ。代わりに感情特化した存在であるという。
半分は妖異というなら、似た存在なのか。だがそうであるのなら、人間はあまりに弱い。寿命なんて比較するまでもない。
イブキに傷ひとつ負わせられないと知っている。これで近いと言われても、貞光に納得なんて出来よう筈もないだろう。
「そう難しい話じゃないさ。確かに肉体の強度は違う。私達は血が流れていない。だけど、男女であるのは変わらない」
「……それは、どういう意味だろうか?」
貞光の脳裏にいきなり、接吻をされてしまった記憶が蘇る。相手が圧倒的な存在でも、美女である事に変わりない。
彼女ほどの女性と、いや、そもそも貞光は女性とそのような行為に及んだ経験がない。非常に硬派な男性なのだ。
「言葉通りだよ? 私とサダミツの間に、子供を成す事が出来るんだ」
イタズラでもするような表情で、イブキが貞光を見ている。紅い輝きが、貞光の目をジッと捉えて離さない。
「や、やめないか。女性がそのような話を……」
「ふぅん。サダミツは、私を女性認定してくれるんだ?」
思わず目を背けた貞光を、楽しそうに笑いながら見るイブキ。貞光は揶揄われていると悟った。決まった相手のいない自分を。
彼は適齢期を少し過ぎて、未だ相手を決めていない。女性に興味がない、というほど拗らせていない。ただ後回しになっただけ。
武士としての成功を優先した結果、色恋に時間を掛ける余裕がなかった。両親からせがまれているが、どうにも気が進まない。
女性に慣れていない、という事でもない。ただ気が進まないだけで、女性を特別苦手としてるわけでもない。
「貴女にとって、私は子供のようなものだろう。だからといって、揶揄わないでくれ」
「分かり易い例えを出しただけだろう? まあいいさ。あとは……そうだね、本能的な部分も似ているね」
貞光で遊んだイブキは、満足したのか真面目な話へ方向を変える。人間が持つ闘争本能は、妖異の因子を持っているから。
戦乱がいつまでも終わらないのは、半妖として生まれた存在だから。イブキはそうして、色々と貞光へ教えていく。
「……未だに平安が訪れないのは、それが理由だと?」
「そうさ。君達はかつての私達と同じ。お互いが滅びる危機を迎えるまで、戦い続ける生き物なのさ」
「そんな……事は……」
ない、と貞光は断言出来なかった。平安の世を求めて、そうして誕生した平安京。しかし、戦乱は無くならないまま。
必ずどこかで、争いが起きてしまっている。だから貞光は、武士として自らを鍛えた。都を守り、民を守る為に力をつけた。
いつか戦いが終わり、平和な日々が送れると信じて。だが、そんな日は来ないのかもしれない。そんな想いが浮かんでしまう。
半妖だから。そんな理由で、自分達は分かり合えないのか。手を取り合う道を選べないのか。貞光は心がざわついた。
「そう悩む事はないさ。私達が、君達を管理している。滅ぶような争いをさせはしない」
「……そんな事まで、貴女に甘えろというのか? それは出来ない。平和は我らが自らの手で掴む」
「君は変わっているねぇ。どこまでも真っ直ぐだ。ここまで歪まない人間は珍しい」
信念を貫く。言葉にするだけなら簡単だ。誰でも出来る宣言でしかない。問題となるのは、いつまで貫けるかだ。
曲げる事なく、貫き続けるのは非常に困難である。殆どの人間が、途中で諦めて離脱していく。違う道を選ぶようになる。
だが貞光は、今も揺るがない。自分の正義を信じ、仲間を信じている。いつか、平和な世を迎えて見せると決めている。
イブキはそんな貞光が、興味深い人間だと思った。好みの味だというのも、興味を持つ切っ掛けになった。
「今から楽しみだよ。君がどんな人生の終わりを迎えるのか」
「そんなに楽しいものだろうか? あと2、30年の話だろう?」
貞光が死ぬまで、あと50年とかからないだろう。彼女にとって僅かな時間でしかない。だというのに、イブキは楽しそうに貞光を見ていた。




