第280話 人と妖異と
源頼光達を連れて、大江山を下山した大江イブキ。スムーズに降りたが、すでに夕陽が傾いている。
こんな時間から、どこへ行こうというのか。頼光達は不思議そうにしている。もっと暗くなれば、視界は悪くなっていく。
普通は陽が落ちれば、どこかで体を休めるもの。あちこち出歩くのは危険が多く、あまり推奨されない。
夜は野盗などと遭遇する危険性が上昇する。そして、人外のバケモノ、妖異と出会ってしまう可能性も高くなる。
一体どういうつもりなのか、交渉役を任された碓井貞光が真意を探る。こんな時間から、何をするつもりなのだろうかと。
「すまないが、もう暗くなる。明日では不味いのだろうか?」
貞光の感覚は、何も間違っていない。普通の人間ならば、夕方以降に人里を離れようとしない。あまりにリスクが高すぎる。
しかも現在は、若者や姫君の失踪事件が起きているぐらいだ。人間として、真っ当な反応。だが、彼の目の前に居るのは人間ではない。
「何を言っているんだい? 君達は真実を知りたいのだろう? その為に、わざわざそんな格好までしてさ」
「っ!?」
貞光は思わず言葉に詰まる。山伏の格好が、偽りだととっくに気づかれていたのだ。その上で、彼女は対応していた。
彼らの策略など、最初から通用していなかった。きっと、濃いお酒を飲まされた事にも気づいているのだろう。
だというのに、全く酔いが回った様子は見られない。同じ濃度のお酒を、樽一杯に飲ませても変わらないのではないか。
そんな予感すら覚える程にシラフのままだ。変装がバレていなくとも、どの道この作戦は失敗していたのだろう。
「馬ぐらい連れて来ているのだろう? 早く連れて来てくれるかな?」
「馬だって? どこまで行くつもりなのだ?」
「そう遠くないさ。ただ単に、君達が走る速度じゃあ遅すぎるだけでね」
鬼と人間では身体能力が違う。それぐらいは理解しているので、彼らは自分の馬を取りに行った。
未だにイブキが何をしたいのか、ハッキリとしていない。バレていた事も含めて、彼らの警戒心が強まっていく。
「頼光様、どういたしましょう?」
貞光はこのまま従う方向で良いのか、村の中を移動しながら頼光へ問う。流石の彼も、迷っているのだ。
「今更になって、退くわけにも行かんだろう……。腹をくくって付き合うぞ」
「……分かりました」
他に取れる手段もないので、彼らは馬に乗って大江山の入り口へ戻る。そこには変わらず堂々と、イブキが立っていた。
化粧をした形跡もないのに、恐ろしく整った顔立ち。その白い肌は雪のよう。自然な美が、あまりにも完成し過ぎている。
貞光は京の都で暮らす中、何人もの美しき姫君達を見て来た。婚姻を結ぶように、両親から迫られたが断っている。
そんな彼であっても、イブキは綺麗だと思った。例え瞳が紅く輝き、禍々しい角を額から生やしていたとしても。
だが、外見の評価と内面は関係ない。何より、まだ信じて良い相手か分からない。警戒心の方が興味を上回っている。
「すまないイブキ殿、待たせてしまった」
「構わないよ。ただ、少し急ごうか。着いて来てね」
そう言うとイブキは、猛烈なスピードで走り出す。慌てて頼光一行は、馬を走らせてイブキを追いかける。
馬を全力で走らせて、ようやく彼らはイブキに追い着いた。夕闇に染まる草原を、6頭の馬が疾走している。
彼らの馬は、どれも名馬と呼んで差し支えない。程よく鍛えられた、若き駿馬ばかり連れて来られた。
だというのに、前方を走るイブキに追い着くのがやっと。彼らに気づいたイブキが、少し速度を落とした。
「それで全力かい? もう少し急げないかな?」
きょとんとした表情で、イブキは速度が遅いと暗に示す。とてもではないが、これ以上は無理だ。貞光は思わず叫んだ。
「無茶を言わないでくれ! これ以上は馬達が長くもたない!」
「ふぅん……ま、仕方ないか」
かなりの速度で走っているのに、全く疲労感を見せないイブキ。改めて人間と鬼の差を思い知らされた貞光。
馬の全速力を上回る速度を出していたのに、イブキは汗ひとつ流れていない。人間の常識で考えれば有り得ない話だ。
更なる驚きを与えられながら、頼光一行はイブキの案内で進む。完全に夕陽が落ちる頃に、イブキが速度を落とすように指示する。
徐々に馬達の足が緩やかな動きに変わっていく。その頃には、別の村が見えて来た。どうやら目的地は、その村だったようだ。
貞光は滞在した経験のない村だ。一方で、頼光は立ち寄った経験があるらしい。特に目立つところがない、ありふれた農村だ。
「あの村に、一体何が?」
貞光が隣を歩くイブキへ訊く。村はとても静かで、何かあるようには見えない。夕食でも作っているのか、火の煌めきが見える。
あの酒吞童子が見せようとするには、あまりにも平凡過ぎる光景。こんな所まで来た意味が、貞光には理解出来ない。
「しっ! 静かに」
イブキが黙っているように伝える。やはり納得は出来ないが、貞光は大人しく従う事にした。その直後に、変化が訪れる。
村の方から、女性の叫び声が上がった。夜空をつんざくような声で、明らかに何か起きていると想像出来る。
イブキが駆け出し、貞光達も馬を走らせる。叫び声が、次々と増えていく。理由は分からないが、貞光達は急ぐ。
何であれ、事件の香りが色濃く漂っている。もし山賊や野盗の類であるならば、討伐せねばならない。彼らは人々を守る武士である。
先に村へ飛び込んだイブキが、真っ直ぐ目的の場所へ突撃する。遅れて現場へ到着した貞光は、その光景に驚愕した。
「なっ!? なんだこれは!?」
そこには喰い散らかされた、人間のバラバラ死体が転がっていた。しかも、1人や2人の死体ではない。
叫び声に気づいて家から出て来たらしい女性が、玄関前で腰を抜かしてへたり込んでいた。多くの女性が、同様の格好で居る。
どうやら殺されたのは、村の男性達らしい。転がっている死体を見る限り、どれも男性だと分かるものばかり。
「こういう事だよサダミツ。東の妖異が、こうして小細工をしている。人に化けて侵入し、若い男女に危害を加える。言った通りだろう?」
イブキが1人の男性の首を掴んでいた。よく見れば、人間の顔をしていない。体は人間のようでも、頭部がネズミなのだ。
こんな存在が、人間の筈はない。明らかに物の怪、妖異と呼ばれる生命だろう。その牙は、血に染まっていた。
「さて、私の支配圏でこうも暴れたんだ。どうなるかぐらい、分かっているよね?」
「ぐっ……このっ……離せ……」
「貴様に弁明の機会はない。ここで果てろ」
イブキの手が容赦なく、ネズミ男の首をへし折る。力の差は歴然で、ネズミ男はろくな抵抗も出来ずに終わった。
そこまでは、貞光にも理解出来た。だがその後に起きた変化は、想像を大きく超えていた。目の前で、ネズミ男が消えた。
正確に言えば、サラサラと灰になってしまった。地面に落ちた灰が、風に吹かれて飛ばされていく。
「ど、どういう事だ……さっきの物の怪は!?」
「アイツはネズミ男。ネズミから進化した妖異さ。まあ、私からすれば単なる雑魚だね」
貞光の知らない話が、つらつらと語られた。ネズミ男、ネズミから進化、どの説明も初めて聞いた事ばかり。
だが、間違いないのはイブキの説明がどうやら真実らしい事。大江山で聞いた説明を、貞光は思い返す。
頼光達も同様で、事態を理解しようと頭をフル回転させていた。そこへ更に、イブキの追撃が入る。
「これで分かったかな? それで、まだ私を疑うのかい?」
「……」
そこまでバレていたのか。貞光は思わず言葉が出なかった。しかし、ゆっくりと首を振って意思を示す。
もう彼は、イブキを討伐すべきと思っていない。それよりも、もっと詳しい話を聞こうと強く思った。




