第279話 酒吞童子とこの世の真実
人間と酒吞童子、大江イブキの認識差が浮き彫りになった。源頼光達は驚愕の事実に圧倒されていた。
彼らの認識では、イブキの支配地域は大江山だと思っていた。だが現実は、彼らの認識を遥かに上回る。
「そう驚くような話かな? 君達が生まれる遥か昔から、私はこの土地を支配して来た。京の都だなんだと、君達が言い始める遥か昔からね。そんなの、私からすれば昨日のような話さ」
京の都、この呼び方が始まったのは794年に起きた平安京への遷都以降だ。頼光達から見れば、100年以上前の話である。
50年生きれば長生きのこの時代、その長さは丸2世代分の年月となってしまう。彼らには、膨大な時間としか言えない。
頼光達は、酒吞童子が長い時を生きた鬼だと知っている。だがどうやら、その辺りからして大きな認識の乖離がある。
そう思わずには居られない頼光達。まるで100年前を、大した年月と思っていない口ぶりだ。まさか、という想いが彼らの中で生まれる。
代表して質問を続けて来た碓井貞光が、まだ残る困惑を抱えたまま口を開く。それは、とても勇気がいる質問だった。
「その……貴女は、どれぐらい生きているのだろうか? まさか、500年とは言うまい?」
「ハハハ、そんなわけないだろう。500歳なんて、妖異の中じゃあ生まれたての赤子みたいなものだよ」
「なっ……」
絶句する貞光達。500年など、彼らの10世代も前の話だ。それだけの年月を生きても、赤子扱いだと言われてしまった。
気分よくお酒を飲むイブキは、とても嘘を言っているように見えない。彼女の目には、偽りを告げる怪しさは見られない。
紅く輝いてはいるものの、悪意は含まれていない。強烈な圧力はあるが、嘘を押しつけようという雰囲気もなかった。
では、彼女は一体どれだけ生きているのだろう。貞光は想像してみるものの、納得感のある数字は浮かばない。
「で、では……貴女は一体……」
震える声で、貞光は呟いた。500年で赤子なら、まさか1000年か。だがそうであるなら、彼女はまだ少女という事になる。
どこからどう見ても、20代後半ぐらいの外見だ。まだ幼い少女というには無理がある。では、4000年ぐらいか。
貞光達の混乱は、どこまでも広がるばかりだ。目の前にいる美しき鬼が、何歳なのか全く想像もつかない。
「いちいち数えていられないからねぇ……まあ、数百——いや、数千万年かなぁ?」
「ば……ばかな……」
貞光が発せられたのは、その一言だけだった。頼光達に至っては、絶句してしまっている。想定を上回るどころではない。
もはや埒外、まさに人外に相応しい年月を生きているのだ。鬼神と呼ばれていたのは、言葉通りの意味だったのだ。
こんな存在は、人間から見れば神と変わらない。平安以前の世で、鬼神と呼ばれて来た理由が、ここにあったという事。
彼らにはもう、酔わせたぐらいで倒せるなどともう思えない。恐ろしいほどの種としての差が、深い溝が明らかになった。
信じたくない現実。嘘だと言ってしまいたい。だが、彼女が放つ存在感は本物だ。決して勘違いなどではない。
「それで、君達の聞きたい事はそれで終わりかい?」
空になった器を示しながら、イブキが貞光に問う。彼はお酒の入った新しい竹筒を手に、イブキの傍に近づいていく。
「……いえ、まだあります。この地を支配されているというなら、教えて頂きたい事があります」
「酒をくれるなら、まだ答えようじゃないか。何が聞きたいのかな?」
貞光は慎重に言葉を選びつつ、言葉を紡ごうとしている。竹筒の蓋を開け、透明な液体をイブキの器に注いでいく。
聞き方を間違えれば、欲しい回答は貰えないかもしれない。目の前の女性を、怒らせてしまうかもしれない。
だが、迂遠過ぎても意味はない。失礼にならない範囲で、尚且つ率直な質問になるよう貞光は頭をフル回転させた。
「実は、都の方で失踪事件が起きておりまして……イブキ殿なら、何かご存じではないだろうか?」
核心に触れる質問が飛び、頼光達の緊張感が高まる。今それを訊くのかと、張り詰めた空気が広がっていく。
彼ら以上に、イブキの目の前にいる貞光は余裕がない。踏み込み過ぎたか——イブキの目が彼の目を真っ直ぐ見ている。
そこには、どこか攻撃的な意思が込められている。不快そうな感情も僅かながら、貞光は感じ取る事が出来た。
しくじったかと、嫌な汗が貞光の全身から噴き出る。ついに虎の尾を踏んでしまった。貞光は腹を括ろうとした。
「迷惑だよねぇ本当にさぁ。アレは東の連中が、小賢しい真似をしているのさ」
「……えっ……東、とはどういう意味だろうか?」
確かにイブキは不快感を表出させている。だが、それは貞光達へ向けられた感情ではない。彼らではない誰かへ向いている。
どうやら、怒らせてしまったわけでないらしい。何かしらの事情を知っているらしいイブキへ、貞光は再び質問した。
「言葉通りさ。この国の東側を支配する連中が、ちょっかいを掛けて来たのさ。実に下らない手だ」
「す、すまない! もう少し詳しく教えて貰えないだろうか?」
お酒を口にしながら、イブキは貞光の要望に応じる。まずは東と西の妖異が、昔から対立関係にある事が明かされる。
今よりも大昔に、大きな争いがあった。その名残で、今もたまに小競り合いが起きている。失踪事件はその内の1つだ。
人間に化けた東の妖異が、西の人間を襲っている。兵糧を攻めるのは戦いの基本。西の人間を減らそうとしている。
西の弱体化を狙った小癪な戦法だ。妖術で人間に化けて支配圏へ侵入。人間のフリをして誘拐をしているのだ。
特に、子供を作るに適した若い男女を中心に。人間の若者が減れば、子供は生まれず新しい食料が入手困難となる。
「ちょっと待って欲しい! 食料だって? それは我々の事なのか!?」
当たり前のように出た発言に、貞光は待ったを掛けた。イブキの言い方では、まるで人間が家畜のように聞こえたからだ。
「そうだけど。だって君達、人間を作ったのは私達、つまり妖異だからね。君達は、私達の餌だよ?」
「んなっ……」
とんでもない発言に、貞光は固まってしまう。彼の後ろで丸太に座っている頼光達もだ。誰も言葉を発する余裕がない。
まるで自分達が、漁で採れた魚のような扱いを受けている。彼らにとって、それは禁忌に値する考え方だ。
平安時代は、食肉を禁忌と考えていた。人間に近しい生物、牛や馬を喰らってはならない。同じ人間など有り得ない。
そのような行いは、陰陽道の流行で禁忌とされていた。だというのに、目の前の女性は禁忌に容赦なく触れているのだ。
彼らの価値観では、そんな考えを認められない。常識を真っ向から否定された。人は物の怪に作られたと言われたのだから。
「君達はどうしてこう、自分達が世界の中心だと思い込む? そのくせ神は信じたがるし、意味が分からないよね」
「い、いや……しかし!」
「ねぇサダミツ、君がどう思ったとしても、真実は変わらないよ? 君は私達が作った半分妖異の生き物、半妖なんだ」
言われている言葉は理解出来る。しかし、その内容が理解出来ない。自分達にとっての当たり前が、間違いだと言われた。
彼にとって今までの人生で、最も衝撃を受けた瞬間だった。それは頼光達も同じだ。足下がガラガラと崩れていく感覚がしている。
イブキの説明を受け入れられず、脳が彼らの理解を拒む。違う。そんな筈はない。何かの間違いだ。脳内に否定の言葉が並ぶ。
「ちょうどいい。いいモノを見せてあげるよ。着いて来るといい」
そう言うとイブキは、残っていたお酒を一気に飲み干す。自分の後に続けと、貞光達へイブキは示す。
これ以上、何を知らされるというのか。何が目的なのか。今まで以上の警戒を胸に、貞光達はイブキを追った。




