第236話 失策
ある山中の地下研究所。木谷廉也が研究を続ける為に、建造された秘密の施設内で、ジメジメとした空気が蔓延している。
数日前に行われた豊蔵王我の宴会。本来であれば、黒澤会が次のステップへ進む祝いの場となる筈だった。
しかし、彼らは自らの失策に気づかないまま当日を迎える。大江イブキへの意趣返しとして、部下の永野梓美を狙った。
そこまでは良かっただろう。本来なら痛み分けとして終われた筈だ。だが残念ながら、そうはならなかった。
たった1人の少年が、全てを覆してしまったのだ。直接表明してはいないが、那須草子がイブキと手を組んだのは確実。
あくまで敵対関係は崩れていなかった筈。その大前提が、彼らにとっては大誤算を生んでしまったのだ。
1人の少年を巡って、対立している事は掴んでいた。草子が京都へ移り住んだのは、その少年が居るから。
他の支配者達とは違い、正確な情報を持っていた。だがその先にある未来まで、読み切れずに行動した結果だ。
碓氷雅樹は、酒吞童子と玉藻前を動かす程の価値を持つ。まさかそこまでとは、彼らは思っていなかった。
一体あの少年は何者なのか。改めて調べ直す必要が出て来た。どう考えても、ただの高校生とは思えない活躍を見せた。
黒澤会の雇った私兵、傭兵達の警備。そして監視していた妖異達の目を、どのようにして掻い潜ったのか。
彼らには見当もつかない。そんな事は、大人である彼らにも出来ない。同じ事が出来るビジョンなんて浮かばない。
雇った荒くれ者達に聞いても、参考になる意見は出なかった。何故なら彼らと雅樹の間に、明確な違いがあるからだ。
黒澤会の私兵や傭兵達は、金の為に動いている。使命感や正義感なんてものは、持ち合わせている筈もない。
提示された対価、それ相応の仕事を行うのみ。対して雅樹は、ただ先輩を救いたいというだけで命を張った。
イブキとの行動、草子の鍛錬。普通の少年とは違う経験を多く積んでいる。そのせいで、彼はある意味壊れてもいる。
妖異を相手に立ち向かおうなど、現代人の考え方ではない。だが雅樹は、ナチュラルに出来てしまう。
天性の素質だったのか、後天的な理由か。いずれにしても、彼の行動を予測出来なかったのは当然だろう。
単身乗り込んで、永野泉を救い出す。この時代を生きる人間が、到底思いつかない狂った行為なのだから。
普通は有り得ないからこそ、黒澤会にとってクリティカルな一撃となった。結果的にだが、失策となってしまった。
「どうするつもりかね!?」
「長野県はもう使えないぞ!」
「せっかく後押しした支配者が、追い出されてしまったのよ!?」
黒澤会の幹部達が、会議室に集まって騒いでいる。いつも通り、話し合いの中心にいるのは胡散臭い男。
黒いマスクで顔が殆ど見えない仲路と呼ばれている者。今日も特徴的な格好で、部屋の中央に立っている。
怪しい保険の営業マンを思わせる高級なスーツ。しっかりとセットされたツーブロックの黒髪。
普段なら飄々とした態度を見せているが、今回ばかりは真剣な空気を纏っている。流石の彼も、予想外だったのだろう。
「落ち着いて下さい。対応は向井様と共に検討中です」
散々邪魔をしてくれた、イブキへの反撃。当初こそ、彼らは上手く行ったと思っていた。京都への襲撃を終わらせた時点では。
ステルス輸送機を2機失ったのは、手痛い損害となった。とは言え、仕返しとしては十分な成果が出た筈だった。
次世代を担う京都の若きエース。梓美を京都から強引に引き離す。優秀な妖異が減るのは、支配者として痛手だ。
航空機など失っても、また作ればいい。だが優秀な妖異は、そう簡単に生まれて来ない。才能は金で買えないのだから。
それが蓋を開けてみれば、たった1人の少年にひっくり返された。屈辱という言葉では足りない大損害だ。
ただ永野母娘を救うだけでなく、王我の価値を最底辺まで叩き落とされた。人間の子供を相手に、事実上の敗北。
策略という意味でも、男としての価値においても。これでは支配者として、君臨し続けるのは難しい。
あの日の内に、激怒した前任者の鬼、倉山紅葉によって王我は長野県、信濃国の恥として永久追放の身となった。
短期間で支配者交代という、前代未聞の事態へと発展。長野県の支配者には、次期支配者と目されていた鬼熊に決まった。
黒澤会の新しい本拠地候補は、白紙に戻ってしまったのだ。計画の全てが、練り直しという笑えない状況に追い込まれた。
「どう始末をつけるつもりだ?」
不満げな態度を隠す事なく、40代ぐらいの中年男性が仲路に訊いた。イライラと机を指で叩いている。
「今回の件については、皆様も賛成された事。それとも発案者である向井様を、貴方は罷免しろと?」
「……いや、何もそこまでは求めていない」
仲路に向けていた不満を、慌てて引っ込める中年の男性。そう言われてしまうと、追求している彼らも強く出られない。
京都への攻撃について、主導していたのは他ならぬ向井だ。組織の長であり、長き時を生きる妖異である。
人間に過ぎない幹部達が、向井の責任を問う権利などない。命が惜しくないのであれば、幾らでも指摘すればいい。
当然彼らに、そんな覚悟なんてある筈もなく。先程までの勢いを失い、消極的な意見に留まっていく。
ちょうどそのタイミングで、いつものように持ち込んだモニターが点灯する。東京で普段から使っていた代物だ。
『待たせたね』
「いえ、私共の事情などお気になさらず」
モニターに映っているのは、大柄な牛鬼の姿だ。東京で暗躍していた時のように、人間の姿へ化けるのはもう辞めていた。
現在の彼は、人間社会に紛れる必要がなくなったからだ。雄々しい2本の角を持つ、牛の頭が言葉を紡ぐ。
『いやはや、今回の件には僕も参ったよ。こんな結果に終わるとはね』
「あのようなダークホース、普通は想像出来ません。向井様の責任ではありませんよ」
普段と変わらない口調で向井は話しているが、隠しきれない苛立ちが感じられる。大きな手に持ったワイングラスが、微弱ながら揺れている。
怒りのあまり、手が震えているのだろう。そうなるのも仕方ない。これほどの屈辱は、彼も初めての経験だった。
人間の身でありながら、邪魔をして来た存在はかつて居た。それぐらいなら何度も目にした。だが今回は、明らかな敗北。
まだイブキや草子に負けるのならば、多少なりとも諦めがつく。相手が相手なのだから、負ける事もあろう。
だが今回は、たった16年しか生きていない子供に、思い切り土をつけられた。ここに居る誰もが、辛酸を舐めさせられた。
『全く、人間とは面白いね。僕達が想像もしない結果を見せてくれる。本当に愉快だよ。ああ、愉快だとも』
そうは言いながらも、力んだ手がワイングラスを粉々に粉砕する。激しい破壊音に、人間達は震えるしか出来ない。
ここまで怒りを顕わにする向井は、早々見られる姿ではない。モニター越しに、不快感が伝わって来る。
「報復、致しますか?」
『そうしたいところだけどね、暫くは控えておこう。また思わぬ損害を受けたくないからね』
向井としては、腸が煮えくり返る思いだがグッと堪えた。これ以上、計画の停滞を招くのは悪手だからだ。
雅樹へ向けて、刺客を送る事は出来る。暗殺を目論むのは難しくない。しかし、その結果どうなるか不明である。
また今回のように、想定外の事態を招くかもしれない。そうなっては本末転倒だ。目的を見失ってはならない。
彼らの目指すべきは、1人の少年を殺す事ではない。茨木童子を復活させるという大事な目標がある。
『今回は勝ちを譲ろう。思わぬ人材を有していた、酒吞童子と玉藻前の勝ちでいい。彼女達に勝つ事が、我々の目的ではないからね。最後に笑うのは僕達さ』
雅樹に負けたとは、頑なに発しない向井。それだけは彼のプライドが許さなかった。妖異としての立場を守った。
しかし彼の脳内には、碓氷雅樹という名が以前より深く刻まれていた。いつか必ず、このツケを払わせると誓った。
次回で本章は終了となります。
梓美回を挟んだ結果、翠回も書きたくなり、新章は翠回とします。
オラオラ系豪快お姉さんも、もっとヒロインすべきかなと。




