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その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第7章 見え始めた敵の輪郭
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第231話 救出の為に

 太陽が地平線へ消えかけている頃。碓氷雅樹(うすいまさき)永野泉(ながのいずみ)が囚われている山荘へ、侵入を試みている。

 主要なドアはどれも大蜘蛛の糸が絡めてあり、開閉すればすぐに察知されてしまうだろう。

 大蜘蛛は体だけで全長3メートル程で、足も含めれば4メートルを越えている。ヒグマよりも遥かに大きい。

 巨大な顎は、雅樹のような人間なんて簡単に噛み砕くだろう。捕まればそれだけで終わってしまう。

 蜘蛛の妖異が使う糸は、通常の蜘蛛の糸とは違う。魔力を帯びた特殊な糸で、人間の腕力では千切れない。


 妖刀小鴉(こがらす)があるとは言っても、体を拘束されたら抵抗出来ない。現状では一番危険な相手と言える。

 山は高い木々も多く、蜘蛛の機動力はかなり高い。以前に山口県で、大江(おおえ)イブキが戦った妖異もそうだった。

 雅樹は目で追うのがやっとで、とても相手に出来るとは思えない。若藻(わかも)村の鍛錬でも、土蜘蛛に苦しめられた。

 蜘蛛の妖異が居る場合、見つからないのが唯一の対策だ。存在を悟られた時点で、雅樹に勝ち目はない。

 縦横無尽に山中を動き回り、捕縛されて終わっていた。戦う上で、相性というものはどうしてもある。


 人間でしかない雅樹にとって、立体的に攻めて来る相手は難敵だ。少なくとも現時点では、可能な限り避けるべき相手。

 鍛錬を続ければ、いつかは慣れるだろう。実際、那須草子(なすそうこ)の鍛錬でだいぶマシになった。以前の雅樹とは違う。

 それでも、かなりの不安要素なのは確かだ。タイムリミットが迫る中で、焦る雅樹にとって大きな壁だ。

 あちこちに張り巡らされた糸が、救出の障害となっていた。山荘の庭に、圧倒的な存在感を示す大蜘蛛が居る。

 その周囲に、複数の妖異が集まっている。焚火を囲いながら、酒盛りを初めているようだ。


「うめぇ酒だなぁ! 王我(おうが)様には感謝しねぇと!」


「どうせなら人間も喰いたいな! 若い女でも攫って来るか?」


「いいねぇ! 誰が行く?」


 楽しそうに酒を飲みながら、妖異達は騒いでいる。お陰で雅樹は、少しだけ動きやすい。とは言え、現状を変える案はない。

 裏口も含めて、ドアは全て使えない。雅樹は山荘の影から妖異達を確認しながら、必死で思考している。

 彼らは今、あまり山荘を注意していない。勝ちを確信しているのか、油断が生まれているのだろう。

 間違いなくチャンスなのだが、山荘に入る方法が思いつかない。必死で悩む雅樹は、1つの方法を思いつく。


(これなら……いや、しかし……)


 泉が捕えられているのは、庭の側にある1階の部屋。どうにか泉に気づいて貰い、窓を開けさせる。

 だが問題は、どうやって気づいて貰うかだ。窓を開けさせるには、何らかの行動が必要だ。

 しかし大きな音や声を出せば、酒盛りをしている妖異達も気づくだろう。このやり方は、難易度がかなり高い。

 だが時刻は18時半となっており、ゆっくり悩んでいる時間的余裕もない。かなりリスキーであっても、試すほかなかった。

 雅樹は息を潜めて、ゆっくりと泉の居る部屋へ近づく。妖異達の視線に、気をつけながら進んでいく。しかし――


「あん? 誰だアイツは? 人間のガキか?」


 妖異の視界は、人間と同様ではない。人間よりも広い視野を持つ妖異だっている。雅樹の姿に、気づいた者が居た。

 ほぼ人間サイズのカマキリの妖異が、器用に爪でジョッキを持ちながら、雅樹の方を顎で示す。カマキリの視界は、ほぼ360度に近い。

 雅樹の姿が、しっかりと見えていたのだろう。その場に居た全ての妖異が、雅樹の方へ視線を向ける。


「っ!?」


 大量の視線が、雅樹へと突き刺さる。興味、疑問、食欲、害意、悪意、あらゆる意識が雅樹へと向けられた。

 背筋が凍り、雅樹の動きが止まる。こんなに早く、見つかってしまうなんて。焦りが雅樹の心を埋めていく。

 しかしその時、凛とした女性の声が響き渡る。雅樹も知っている女性の声。最近聞いたばかりのもの。


「ちょっと待って貰おうか。その人間は、私がここまで追い立てたのだ。勝手な横取りは認めんぞ」


「なんだ巴か? 人間の霊の癖に、生意気じゃねぇか」


「だから何だ? 私はここに居る誰よりも、強い自信があるぞ」


 山荘の屋根に立っていたのは、黒い和服を着た武人を思わせる女性。辰見巴(たつみともえ)と名乗っている、大昔の武人だ。

 巴御前(ともえごぜん)と呼ばれていた、龍の化身と言われた人間の女性。その幽霊が、刀を手に持ち地上を見下ろしていた。


「なんだ? 喧嘩か?」


「面白そうだ! 良い酒の肴になる」


 屋根から跳び下りた巴が、一瞬だけ雅樹へ視線を送った。ここは任せておけと、雅樹は言われた気がした。

 その騒ぎを聞きつけたのか、窓の方に泉が近づいて来た。これ以上ない好奇だと、雅樹は必死で窓を開けるようジェスチャーで示す。

 彼の背後では、戦いを始めた巴とカマキリの戦いが始まっている。妖異達は、そちらに集中していた。

 ガラス窓を挟んで美しい女性が、雅樹の目の前に居る。真っ白な和服を着た、黒い髪の女性。

 艶のある髪を結い上げて、(かんざし)を差している和風の美人。巴とはまた違った美貌を持ち、永野梓美(ながのあずみ)と似ている。


「貴方、人間の子供でしょう!? どうしてこんな所に!? 危険だから早く下山なさい!」


 雅樹の存在を知った泉は、慌てて窓を開けた。すぐに逃げるよう、泉は雅樹へ忠告する。

 その優しさに、雅樹は梓美と似た温かみを感じた。見た目だけでなく、中身もちゃんと母娘だと思えた。

 だからこそ、雅樹はやり遂げねばならない。泉を連れて、この冠着山(かむりきやま)から逃げ出す。そして梓美を解放する。


「逃げるなら貴女もです。梓美先輩を助ける為に、これを身に着けてここから逃げましょう!」


「どういう事? これは……お(ふだ)?」


「そうです。持っている間、貴女の気配を完全に断ちます」


 大江(おおえ)イブキが用意した、救出の際に使用する重要なアイテム。ただ連れ出しただけでは、豊蔵王我(とよくらおうが)に居場所がバレてしまう。

 だからイブキは、支配者から見えない状態を作り出す。ただし、効果時間は長くない。使用開始から3日しか使えない。

 幸いにも、そこまで時間は掛からない。あと数時間だけ効果が出て居れば十分だ。あとは今の騒ぎを利用して、窓から泉を連れ出せばいい。


「だけど、どうして貴方が?」


「今は時間がありません! 説明は道中でします! 俺は碓氷雅樹、イブキさんの助手です!」


 イブキの名前を聞いて、泉は驚きを見せる。それと同時に、聡い彼女は意味を理解した。どうして雅樹を送り込んだのか。

 妖異ではなく、人間であれば王我には気づかれ難い。そしてお札からは、イブキの妖力を僅かながら感じた。

 これはイブキの主導する救出作戦だと、素早く理解した。雅樹が差し出した手を、泉は自分の意思で握る。

 イブキの助手を名乗る者が現れた。ならばきっと、他にも何か策を用意している筈。ここで躊躇う理由はない。

 まさか協力者が、玉藻前とまでは流石に思わなかったが。器用に窓枠を乗り越え、泉が山荘の外に出る。


 巴が派手に暴れてくれている為、妖異達の意識は雅樹達に向いていない。酒盛りをしていたのも、影響したのだろう。

 監視対象と先ほどの少年よりも、目の前の喧嘩を優先した。静かに移動した雅樹と泉は、山荘の影に隠れながら離れていく。

 完全に反対側へと回ってから、雅樹は泉を連れて走り出す。出来るだけ早く、梓美の下へ泉を連れて行かねばならない。

 時刻は19時前と、時間的にギリギリである。急いで下山しても、雅樹の足では21時を過ぎるだろう。

 草子の予想では、王我が梓美を妻だと宣言するのはある程度酒が進んでから。22時から開始して、30分ぐらいで宣言すると見ている。


「今夜の22時から、虫倉山(むしくらやま)である王我の宴会が始まります!」

 

 雅樹は走りながら、泉へ最低限の必要な情報を話す。急いで梓美を開放して、王我の妻となる未来を阻止する。

 だが冠着山から虫倉山まで、結構な距離がある。もう時間的余裕はない。どうにかして間に合わせたいが、残り3時間もない状況だ。


「そういう事なら、私に任せなさい」


「え?」


 泉は雅樹と一旦手を離し、立ち止まる。山頂の近くから、強い冷気が放出された。一瞬にして麓まで、氷のスロープが完成する。

 いつの間にか、氷のソリまで完成していた。突然の事で、雅樹は呆然としている。何が起きたのか分からなかった。


「さあ、行きましょう。貴方はこれに乗りなさい」


「えっと、はい」


 雅樹は氷のソリに乗り込む。どうしてか、全く冷たくなかった。だがそんな事は、すぐにどうでも良くなる。

 勢いで乗ってしまったが、これから起こる事は簡単に想像出来る。氷のスロープと、ソリ。つまりは、滑り降りる。

 ボブスレーは、氷のF1だと言われている。その滑る距離は、1400メートル程。冠着山の標高は、1252メートル。

 天辺(てっぺん)ではないとは言っても、直線距離だけで1200メートル近くある。かなりの高さと言っていい。


「あ、あの!」


「口は閉じておきなさい。舌を噛みますよ」


 カーブが一切存在しない長大な滑り台。その日、雅樹は時速200キロメートル超えの世界を知った。

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