第229話 迫るリミット
冠着山の一角、キャンプ場で一夜を明かした碓氷雅樹。早朝から黒澤会が管理している山荘へ向かう。
永野梓美の母親、永野泉を救出する為だ。手にしたホームセンターのビニール袋に、小道具が詰められている。
ボヤ騒ぎを起こす為のライターや、着火剤などが含まれている。慎重に幻影を超え、山荘へと近づいていく。
剃り立つ断崖に見える場所。雅樹は気にせず直進する。崖にぶつかる事はなく、幻の壁を通り抜ける。
その先には、細い山道が続いている。まだ日が昇って間もない時間、薄暗さの残る山中を進む雅樹。
昨日の内に確認した、山荘周辺の警備。もう十分覚えているが、念の為に雅樹は人の気配を探る。
木や茂みの影へ身を潜め、焦らず少しずつ前進する。すると人の気配を感じ、雅樹は身を低くして茂みへ隠れた。
交代の人員でも来たのだろうか。そう考えた雅樹は、じっと人が通り過ぎるのを待ち続ける。
会話をしているらしく、何人か居るようだ。ガサガサと、草木や枯れ葉を踏む足音が幾つも聞こえている。
「今夜は宴会なんだって? 羨ましい話だよな」
「俺達はお呼ばれされていないんだ。仕方ないだろう」
「人間は朝からお仕事だってのにさ」
愚痴をこぼしながら、黒澤会の人間達が歩いて行く。彼らは黒澤会に雇われた私兵や傭兵達だ。
銃火器を手に、山道を進んで行った。雅樹は十分な距離が空いてから、再び前へ進んでいく。
極力足音を立てず、静かな移動を心掛ける。焦りは禁物と内心で言い聞かせながら、隠れて移動を続ける。
(これは……どういう事だ!?)
山荘に辿り着いた雅樹の目に、驚きの光景が広がっていた。昨日の倍以上、警備の人員が集まっていたのだ。
雅樹の想定とは大幅に変わっている。昨日の人数なら、まだ隙を突く余裕があった。だが今日は、そうもいかない。
幾ら雅樹が戦えると言っても、銃器を装備した数十人は相手どれない。一騎当千の有名な武将ではないのだ。
ましてや相手は、自動小銃などを所持している。刀同士で戦うならともかく、銃器が相手では厳しい。
問題はそれだけで済まない。ピリピリと刺すような悪寒、雅樹がよく知る嫌な予感。妖異の気配も多数発せられている。
(あれは、山姥じゃないか!?)
泉から漂う冷たい気配ではなく、もっと別の悍ましい気配。かつて相対した、山姥と似た風貌の女が居た。
多種多様な妖異らしき気配がある。明るい間だというのに、昨日とは比べ物にならない数の妖異がいた。
まだ高校生に過ぎない雅樹には、この流れを読み切れなかった。宴会当日の明るい間は、厳重な警戒を行う事が決まっていたのだ。
夜になってしまえば、あとは梓美と契約を結ぶだけ。妖異にとって、契約の意味は大きい。勝手な破棄は出来ない。
妻になるという契約を、梓美に強制すればいい。それで豊蔵王我の目的は、概ね達成された事になる。
そうなってしまえば、泉も下手な行動は取れない。娘はもう、王我の手に落ちた後。必然的に泉は、この地を去れない。
梓美を見捨てて逃げたとて、何の成果も得られない。戦いを挑むにしても、梓美という盾が王我にはある。
黒澤会サイドにとって、大江イブキの介入だけがネックだ。それさえ防げば、彼らは目的を終える。
イブキが王我の支配圏に入って来れば、すぐ察知出来る。泉の居場所を知られる前に、移動させてしまえばいい。
(くそっ!? どうすればいい!?)
厳重な警備体制を、崩す手段が今の雅樹にはない。多少のボヤを起こしたところで、半分減らせれば御の字だ。
なら山火事レベルの火災を起こす、というのはもう立派な放火だ。無関係な自然や動物達まで、巻き込む事になってしまう。
雅樹にそんな真似が出来る筈も無く、時間だけが過ぎていく。どうにかしようと、警備の確認だけは進める。
調べた結果、やはり突破は現実的でないという回答に至る。気がつけば、太陽が真上まで来ていた。
(もう12時だ……残り10時間しかないぞ!?)
宴会は22時から行われる。そこで梓美が正式に王我の妻となってしまえば、雅樹の目的は達成出来ない。
認めないと、雅樹が決闘を申し込んでも意味はない。相手は妖異で、勝つのは非常に難しい。負けないだけでは足りない。
焦る雅樹だが、どうしようもない。下手に仕掛けて存在がバレれば、妖異を含めた武装集団との戦いになる。
もっと成功確率は下がり、より絶望的な状態に陥ってしまう。雅樹に取れる手段は、もう残されていない。
出来る事は、ただチャンスを窺うだけ。その時が来る事を願いながら、山荘の周辺で潜み続けるしかなかった。
(17時……あと5時間……頼む! 1回で良いからチャンスをくれ!)
時間だけがただ流れて行き、雅樹の中で焦りが膨らんでいく。もう無理矢理侵入するしかないのだろうか。
そこまで考えた時、警備体制に変化が生まれた。襲撃はないと判断されたのか、人間達が退去し始める。
ただ耐え続けた、雅樹の執念が実った。人間達が去って行き、警備がごっそり減っていく。同時に夕日が沈んでいく。
人間が完全に居なくなったのは、18時前だった。残り4時間となり、ゆっくりしている時間はもうない。
だが、警備の妖異はまだ残っている。山姥に雪男、巨大な大蜘蛛まで鎮座している。山荘への侵入は、かなり厳しい。
(今しかない……行くぞ)
夕闇に紛れて、雅樹が遂に動く。梓美の為、泉の為、今日まで叩き込まれた事を全て活かす。
雅樹は栃木県の土蜘蛛から、蜘蛛系の妖異について教わった。監視するメンバーに居るなら、糸に気をつけろと言われた。
土蜘蛛と大蜘蛛は別の妖異だが、性質は似ている。この場には、体長が3メートルはありそうな大蜘蛛が居る。
当然、糸は張られているものと考えるべきだ。息を殺しながら、糸の僅かな輝きに注意する。決して触れてはならない。
山荘の入り口に向かって、ゆっくりと雅樹は近づく。案の定、入り口には糸が張られていた。銀色の輝きが見えている。
(確か、こういう時は……あった!)
分かり易い玄関前の糸は囮で、本命の糸がドアノブに巻かれていた。もし開けていれば、察知されていただろう。
玄関からの侵入は出来そうもない。ならばと雅樹は、裏口に回ろうとした。そこで嫌な気配を感じ、慌てて隠れる雅樹。
(クソっ! こんな時に!)
どんどん近づく嫌な気配。妖異の放つ威圧感。まさか気づかれたのかと、雅樹の焦りが高まっていく。
雅樹のすぐ近くを、山姥と雪男が歩いている。大きな空の酒樽に隠れた雅樹は、妖刀小鴉の柄を強く握る。
もしバレているなら、もう戦うしか道はなくなる。銃火器の相手はせずに済むが、残った相手は全て妖異だ。
泉を連れて逃げるというのは、かなり難しくなってしまう。冷や汗が雅樹の背筋を流れていく。
「今日は王我様の奢りで、酒を送ってくれたってよ! 夜に飲んでいいらしいぜ」
王我よりひと回り小さな雪男が、雅樹の隠れている酒樽へ手を伸ばす。山姥へ説明しながら、蓋を開けようとした。
「これ、それは人間が持って来た樽じゃぞ。王我様の酒樽は酒蔵の方じゃ」
「ああん? なんだよ人間のか。じゃあ酒蔵に行こうぜ。もう暗いし、飲んでもいいだろ」
ギリギリのところで、雪男の手は止まった。もう少しで、雅樹の存在がバレるところだった。
那須草子に渡された御守りには、妖異に気づかれ難くなる、という効果も付与されている。
あくまで気づき難いだけで、見つからないという効果ではない。油断は禁物で、今も危険な状態である。
あまり妖術を込めすぎると、妖力が漏れ出てしまう。そうなると、妖力を持つ人間として目立ってしまう。
草子達のフォローには、どうしても限界がある。今回のようなケースなら、尚更手段が限られる。
普段であれば、むしろ強力な妖異の後ろ盾を示す方がいい。だが今は、目立たない事こそ最優先される。
(…………ふぅ)
小さな溜息を吐き、雅樹は緊張を緩めた。どうにかやり過ごしたが、まだ山荘には入れていない。
大蜘蛛の糸に警戒しつつ、雅樹は侵入経路を探す。残されたタイムリミットは、刻々と迫っていた。




