第224話 帰郷した雅樹達
碓氷雅樹は那須草子と共に、栃木県の山奥、玉藻前が本拠地として作った若藻村へと帰って来た。
旧友達との旧交も温めたいところだが、雅樹にはやる事が多い。軽い挨拶を村人達と済ませて、後はずっと鍛錬だ。
道場での鍛錬は控え目で、大半は山中での実戦訓練が中心だ。永野梓美の母親が、どこに囚われているか分からない。
山の中なのか、洞窟の中なのか。それとも現代的な建物の中か。ハッキリしない以上、あらゆる想定が必要だ。
現在は暗い洞窟の中で、雅樹が妖刀小鴉を構えている。懐中電灯の類は、一切使用していない。
「坊主、周囲に気を配れ」
「はい!」
ただの人間に過ぎない雅樹は、妖異よりも夜目が利かない。とは言え、全く見えないという程ではない。
暗闇に慣れれば、多少は視る事が出来る。それに、目から得る情報が全てではない。聴力も駆使すれば、周囲を多少は把握出来る。
水滴が地面に落ちる音、吹き抜ける風の音、コウモリや虫の鳴き声。耳に届く全ての情報に、雅樹は集中している。
彼の耳に、小さな足音が聞こえた。人間の足音ではない。もっと小さな生き物の走る音。二足歩行の足音ではない。
「来るぞ!」
「……そこかっ!」
雅樹が振り向きながら、小鴉を振るう。逆袈裟斬りの要領で、右下から左上に刃が走る。その途中で、硬質な音が響く。
雅樹の目には、小さな狐の妖異が見えた。シマリスぐらいの大きさを持つ頭部と、細長い真っ白な体。
鋭利な爪が、雅樹に向けて突き出されていた。草子の配下である妖狐の一種。一般的に、管狐と呼ばれる妖異だ。
「キュウ!」
防がれたと知り、管狐は雅樹から離れていく。それほど強力な妖異ではないが、高い知能を有している。
基本的には、占術や呪詛を得意とする妖異だ。あまり戦闘を好むタイプではない。だが、戦えない妖異でもない。
人間の護衛役程度なら、単独でもこなせる。陰陽師がかつて、使い魔として重宝していた妖異だ。
現在でも古風な陰陽師なら、愛用している者達がいる。感情を対価に、管狐と契約すれば使役は可能である。
「相手は素早い、油断するなよ」
「分かってます!」
小鴉の忠告を聞きながら、雅樹は暗闇で戦い続ける。少し慣れた視界には、僅かながらの情報が転がっている。
ごつごつとした岩肌、地面に転がる小石。遠くで煌めく輝きは、ネズミの目だろうか。姿までは見えないが、鳴き声がしている。
何であれ、雅樹の感覚が妖異ではないと訴えている。妖異が持つ特有の寒気が、全く感じられない。
管狐は見た目こそ可愛らしいが、放つ妖力は強大だ。伊達に草子の配下として、飼われていない。長い時を生きたベテランだ。
フェレットのような容姿でも、決して侮れる相手ではない。その気になれば、雅樹を呪殺するぐらい簡単に出来てしまう。
「戻って来たぞ」
「どこから来る……」
雅樹の研ぎ澄まされた感覚が、恐ろしい気配を察知している。五感とは違う第六感が、ひりつく殺気を感じている。
周囲を高速で動き回り、プレッシャーを与えているのだ。いつ攻撃されるか、分からない恐怖を演出している。
暗闇で襲撃をされた際に、対応する為の訓練だ。恐怖で冷静さを失う事なく、落ち着いた対処が必要となる。
今回雅樹は、単独で行動する機会がかなり多くなると予想される。護衛はつけて貰えるが、とても油断出来ない。
捕えられている場所が、街中ならば他人に紛れられる。だがもしも、人の少ない場所であれば。何が待っているか分からない。
永野泉は、それなりに長く生きている雪女だ。決して弱い妖異ではない。だからこそ、監視役に雑魚は選ばれない。
救い出すには、隙を突いて忍び込むしかないだろう。もしこの洞窟のように、人間の目には暗い場所であれば。
山の中で、自然の要塞となっていれば。どうにか付け焼刃でも、様々な経験を積まねばならない。
梓美の為であり、泉の為であり、何よりも自分の命を守る為に。全てを得るには、覚悟だけでは不足している。
自分の家族でもないのに、母娘を助けようとしている。未熟な雅樹には、まだまだ足りない事ばかりだ。
「正面だ坊主!」
「くっ!?」
正面から、鉄扇を手にした草子が攻めて来た。人間が知覚出来る速度ではなく、気づけば雅樹の正面に居る。
管狐以上の気配を感じて、雅樹は本能で動いていた。管狐の気配でかく乱し、草子本人が攻撃を加える。
高校生への鍛錬としては、情け容赦がなさ過ぎだろう。もはや雅樹が大怪我をしても、何らおかしくはない。
こんな鍛錬を行えるのは、草子が雅樹を信じているからだ。今ここで、折れてしまうような少年ではないと。
更なる高みへ、至る可能性を持つ現代人。その期待感は、小鴉もまた持っている。両者は登って来いと手を伸ばす。
最高の剣士へと、引き揚げてみせる。草子の意志が、込められている。どうせいつかは、高みに至る必要がある。
もう黒澤会に認知されているのか、まだされていないのか。いずれにせよ以前のように、雅樹は目をつけられるだろう。
梓美を相手に策を打って来た以上、いつまでも雅樹が見逃される可能性は低い。ならば自衛力は、出来るだけ早く高めるべき。
それに草子は、雅樹の強欲さを好ましいと思った。伸びていく人間は、多少強欲なぐらいで丁度いいからだ。
何かを得ようとする意思、出来るだけ得ようとする意思。手の届く全てに、諦めず伸ばそうとする勇気。
「相手が単独とは限らないわよ! 様々な状況を考えておきなさい!」
「うわっ!?」
人外の膂力により、雅樹が吹き飛ぶ。背中を壁で打ち据え、衝撃で呼吸が乱れる。辛うじて、頭部だけは守った。
脳が揺られて、視界が安定しない。それでも雅樹は、すぐに立って構えを取る。この位置ならば、背後を取られない。
「そうよ! 常に最善を考えなさい! 相手は人間じゃないのだから!」
「……はい!」
壁を背にしたからと言って、絶対に大丈夫とは限らない。相手次第では、壁の向こうから攻撃可能だ。
大江イブキのような鬼が居れば、岩の壁など障害になり得ない。拳で砕いてしまえばそれで終わりだ。
それでも、利用出来るものは何でも使う。弱いからこそ、考え続けねばその先に進む道は現れない。
運に任せるのではなく、掴み取る為には力が必要だ。人間は弱者だからと、諦めればそこで終了だ。
「このっ!」
管狐が隙を突いて、雅樹を攻撃した。しかし雅樹は、反応して見せる。鍛え抜かれた体が、自然に反応した。
草子の教えが、雅樹の体に根付いている。スポーツとしての剣道ではなく、戦う為の手段として叩き込まれた全て。
伸びしろを感じた草子が、雅樹に目をつけた理由。生まれ持ったセンスと、打てば返す反応と成長。
結界に込めた暗示への耐性と、鋭い感覚を持つ雅樹。どこまで成長するのか、見てみたいと思った。
あらゆる武術を学んだ草子が、師として期待する未来。多少スパルタでも、急ぐ必要が出たのなら全力で。
「今のは良い反応ね」
「油断するなよ坊主」
「……ふぅ。まだやれるよ」
梓美の母を助けたい。梓美の事も助けたい。分不相応な願いでも、貫きたいと心から思ったから。
自分から言い出したのだから、弱音を吐くつもりなんてない。固い決意を持って、雅樹は鍛錬を継続。
泉がどこで捕まっているのか。梓美が今どうなっているのか。情報を調べる為、すでに草子達は動いている。
江奈とメノウが、各支配者とコンタクトを取っている。怪しい東京都と、長野県を除く全てに。
そして東京都と長野県には、密偵を放っている。草子は狐を放ち、江奈は鳥を使役し空から捜索。
群馬を押さえたメノウが、蛇を送り込み水路や川を進む。あらゆる方向から、泉の居場所を探す。
草子達が全力を出せば、必ず見つけられるだろう。何せ彼女達は、狡猾に生きて来た傾国の美女達。
梓美と泉を助ける作戦が、静かに動き始めている。いつ見つかってもいいように、雅樹は己を鍛え続ける。




