表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
その美女は人間じゃない  作者: ナカジマ
第7章 見え始めた敵の輪郭
218/237

第218話 梓美と愛宕

 碓氷雅樹(うすいまさき)永野梓美(ながのあずみ)の不在に気づく日の3日前。人々が眠りについた頃、日付が変わる少し前。

 梓美は月明かりの下を走っていた。遅い時間の移動であれば、彼女のような存在は、走った方が移動は速い。

 数千年生きた上位に位置する妖異であれば、車などの乗り物以上にスピードが出せる。ただ無心で、梓美は走る。

 脅迫状を受け取ってから、梓美は悩んだ。黙っていなくなるべきか。それとも、大江(おおえ)イブキや顔なじみには話ておくべきか。

 雅樹へ打ち明ける選択は、どうしても出来なかった。彼の目の前で、他の男性と婚姻関係を結ぶとは、言いたくなかった。


(仕方ないねん、ウチにはこうするしかない)


 梓美は人間の男性と、雪女の間に生まれた妖異だ。当時はまだ、人間の価値が今より低く、侮られていた。

 幽霊化現象も確認されておらず、文明の発展も僅かであった。現代のように、高度な文明とは程遠い社会。

 石や木で作った道具が中心で、銅製の道具が貴重だった時代。その頃は、人間と子を成すなんて、バカにされていた。

 妖異として、大成しないと思われていた。恥ずべき存在とされ、迫害の対象とされていた。故に梓美の母は、ひっそりと梓美を育てた。

 人里に降り、人間の女性と偽って農村で暮らす日々。父親だけは、妻と娘が人間でないと知っていた。


(お母さん、無事で居てや)


 梓美の父には、現代のような名前はない。当時はその集団を示す(うじ)を、氏族(しぞく)の名前、今でいう苗字として使用していた。

 特別な地位にある人物であれば、何かしらの名を持っていた時代。彼女の父は、海人(あま)族と呼ばれている古代の部族。

 高い技術と戦闘力を持って居た者達が、今で言う長野県安曇野市へ移住した、安曇族の武人であった。

 安曇比羅夫(あずみのひらふ)という優秀な将として活躍していた。忙しい彼は、あまり家には立ち寄らない。だが立ち寄った際は、とても優しかった。

 戦場に立てば勇猛果敢で、帰宅すれば優しい父親。それが梓美の記憶に残っている父親の姿だった。

 

 梓美がこの名を使用している理由には、そう言った歴史的背景があるのだ。生まれた土地の名、氏族の名。

 父親への敬意と、現在でも氏族としての誇りを持っている。亡くなった今でも、人間だからと侮った事はない。

 そんな彼女の母親である(いずみ)は、安曇族ではない。あくまで純粋な妖異として生まれた。それでも、愛した男を忘れていない。

 だから安曇と近い音の名を名乗り、今もそのままにしている。母と娘、どちらも家族として彼を尊敬している。

 しかし彼の死後、梓美の家族は泉しかいない。泉からしてもそうだ。唯一の家族と共に、隠れて暮らしていた。


(……すいません、イブキ様)


 人間が侮られていた時代が終わり、対等に戦う者達が現れ始める。人の歴史で言えば、平安時代に入った辺りだ。

 彼等の作った刀が、妖異を傷付けるようになっていく。強い念の籠った武器が、妖異の肌を切り裂いた。

 この頃から、人間の幽霊化現象が観測され始める。妖異から見た人間の立ち位置が、瞬く間に変わっていく。

 人間達からすれば、100年以上の時を要した。だが妖異から見れば、あっという間。急激な変化が訪れていった。

 そうした変化がある中で、まだ酒吞童子と名乗っていた頃のイブキの、とある噂が妖異達の間で広まっていく。


 彼女が人間との間に、子供を作った。堂々と隠す気もなく、育てているというのだ。しかし当時はまだ、偏見が残っていた。

 梓美と泉は、隠れて生活を続けていた。そんな中で、舞い込んで来たイブキの噂。泉はそこで、ある決断を下した。

 酒吞童子であれば、梓美を迫害しないのではないか。京の都でなら、隠れて生きる必要がないのではないか。

 泉は梓美を連れて、密かに平安京へ移動する。イブキとどうにかコンタクトを取り、梓美を預かって貰うよう願った。

 既に人間と妖異の間に生まれた子が、より優秀になる可能性を見出していたイブキは、事情を聞いて承諾する。


(恩を返しきれへんまま、こうなってもうたか……)


 今となっては、人間と妖異の間に生まれた妖異が、侮られる事はあまり無い。妖異全体の認識が変わってしまった。

 だが妖異の長い歴史の中で、迫害された者達が居た。隠れて暮らさねばならない者達が、世界中のどこかで生活していた。

 梓美は引取って部下として迎え入れてくれたイブキへ、強い感謝の念を持ち続けている。京の都では、梓美が堂々と生活出来た。

 乾英子(いぬいえいこ)の世話も手伝いながら、恩返しを兼ねて働いて来た。たった千年に満たない期間で、恩を返せたと梓美は思っていない。

 だが今は、どうする事も出来ない。母親を見捨てるわけにも行かない。同時に、身内思いのイブキへ迷惑を掛けられない。


(でもアレや、裏切れと言われんかっただけマシやな)


 興味もない、会った事もない、良く分からない相手と結婚する。一切嬉しくはないが、イブキを裏切るより良い。

 京都で暴れろだとか、イブキの動きを密告し続けろだとか。その手の脅迫だったなら、もっと悩まねばならない。

 イブキを取るのか、母親を取るのか。人間と妖異の間に生まれた梓美は、妖異よりも感情が豊かだ。情もその分深い。

 どちらかを選べと言われれば、梓美は苦しみ続けただろう。そんな方針を取られる前に、イブキの下を離れた。

 だからこれで良いのだと、梓美は無理矢理自分へ言い聞かせている。愛した少年を、思い浮かべないようにしている。


「梓美、貴女、どういうつもりです?」


「……なんや、愛宕(あたご)か」


 高速で京都府内を駆ける梓美を、呼び止めた女性がいる。花柄の和服を着た、美人で清楚な空気を纏う鬼。

 イブキとは違い、一条愛宕(いちじょうあたご)の角は1本だけ。額の真ん中から、真っ白な鋭い角が生えている。目が青く輝いているのは、必死で追いかけて来たからだろう。

 愛宕は妖異の中でも、非常に高い実力を持つ鬼だ。種族的には、雪女よりも上である。出発が遅れても、梓美に追い着ける。

 全体的な実力そう変わらないが、肉体的な性能だけで見れば梓美を上回る。走る速度は愛宕の方が、抜きんでている。


「質問に答えて下さる? 貴女、雅樹様に残酷な事を強いるのね。自分から勝手に、あの方から離れる癖に」


「……」


 愛宕も事情は分かっている。純粋な鬼である愛宕は、梓美ほどの家族愛を持たない。それでも、身内が大切なのは理解出来る。

 それ自体は、否定するつもりがない。愛宕だって、イブキを盾にされたら同じ判断を下す。だが、雅樹については別問題だ。

 ただ雅樹には、忘れて欲しくなかった。本気で愛した少年と、共に居る事が出来なくなる。ならせめて、記憶の中に残りたい。

 感傷と執着心、そして愛情が込められた置き土産。雅樹の中では、梓美先輩のままで居たい。彼女なりの、最後の希望。

 しかしそれは、梓美の事情でしかない。気持ちは理解出来るが、愛宕としては気に食わない。雅樹を巡って、張り合った間柄だから。


「ウチだって、何でこうしたんか分からんねん! 絶対忘れて貰った方が、雅樹君の為やて分かってる!」


 自分の望みが、都合の良いものでしかない。一方的に押し付けた、雅樹への自らの残り香。こんなもの、無い方がいいと梓美は自覚している。

 だが、どうしても願ってしまった。気がつけば、イブキへと頼んでいた。自分の口が、止まってくれなかった。

 心情を吐露する梓美へ、愛宕の腕が伸びる。それは、優しさの込められた動きではない。素早く振り抜かれた、平手打ちだった。


「本気だというなら、最後まで足掻きなさい。貴女だって、妖異でしょう。何を勝手に諦めているのです」


「しゃーないんや! ウチにはこうするしかないんや! もう放っといて!」


 鬼である愛宕には、梓美の心情を全て理解出来ない。走り去る梓美を、愛宕は眺めるだけ。説得に来たつもりが、失敗した。

 どうして助けてと、手伝って欲しいと、頼まないのか。イブキや愛宕には、分からない気持ちだ。純粋な妖異と、人の親を持つ梓美。

 微妙な心のズレが、明確になった出来事だ。そして、走る梓美は知らなかった。彼女の愛した少年は、梓美の為に――体を張れる男だった事を。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ