第215話 ブレないが故の狂気
組織として痛手を負った黒澤会。京都への強襲には成功したものの、実質的には痛み分けと言ったところ。
隠れて開発していた、最新鋭のステルス輸送機を2機も喪失。まさか航空自衛隊が、容赦なく撃墜するとは思っていなかった。
表だって発表していない点から、妖異対策課が絡んでいると予想された。東坂香澄の仕業ではないか。そう黒澤会は考えている。
問題は輸送機の撃墜だけではない。未だ見つからない遠藤夫妻に、東京からの撤退。そして切らざるを得なかった人材達。
仲路の指示で、多くの資産家や政治家、経済界の重鎮などが次々に粛清された。世間では大規模なテロ行為を疑われている。
あまりにも死者が多く、有名な人間ばかりが一斉に殺された。インターネット上では、陰謀について語られている。
完全に間違いとも言えないが、的外れな推論ばかりだ。合致しているのは、巨大な組織がバックにいるという点のみ。
某国の関与だとか、欧米系マフィアがどうだとか、ズレた認識が広がりつつある。警察は当然、捜査に難航している。
唯一西日本の妖異対策課だけが、真実に近い結論を出している。確信が得られ次第、公安委員会への密告が行われる予定だ。
だがその頃には、もう黒澤会は東京にはいない。今はとある山中に存在する研究所にて、彼等は身を潜めている。
計画の大幅な後退を強いられた黒澤会だが、関係者の中で1人だけ、気にせず普段通り過ごしている男が居た。
ボサボサの黒髪に、放置された無精ひげ。やや猫背気味の不健康そうな外見をしている。適当な私服の上から、白衣を羽織っている。
化学薬品と血肉の匂いを、周囲に振り撒いている大人の男性。もう2年もすれば、40歳の大台に乗るマッドサイエンティスト。
丸眼鏡の向こうには、神経質そうな目が2つ並んでいる。研究所の廊下を、不服そうにしながら歩いている。
いつもなら楽しそうにしているが、今はそうもいかない。何故なら避難して来た、上層部の人間達も施設内にいるからだ。
「木谷君! 君はその、もう少しどうにかならんのか。匂いがあまりにも――」
50代ぐらいのスーツを着た中年の男性が、木谷廉也のすぐ後ろを歩いている。廉也が不服そうにしているのは、彼のような人間達のせいだ。
「すいませんねぇ、毎日忙しいものでして」
「十分な費用は払っているだろう! 着替えを用意するなり、出来んのかね?」
如何にも上流階級ですと、顔やスーツに書かれた人々。今は1人だが、幹部メンバーが10人以上は研究所で生活している。
廉也としては、一度に全員で来てくれれば助かるのだが、何故か彼等は順番に視察へやって来る。面倒だ、と廉也の顔に出ていた。
昨日は神経質な女性がやって来て、廉也の研究を見て行った。そして今日は、経理を担当している小太りの男性だ。
後退を始めた頭髪と、照明の光を反射する広い額。腰のベルトには、贅沢な肉が乗っている。身長は猫背の廉也よりまだ低い。
「いちいち着替えなんてしていたら、1日の半分が洗濯になりますよ。そういう研究ですので、我慢して下さい」
「よく君はそれで、平気な顔をしていられるな」
「この程度、10年以上前に慣れましたよ」
黒澤会の上層部に、研究者と呼べる者はいない。昔はそれなりに居たのだが、今や全員が鬼籍に入っている。
第一次人造妖異計画へ、参加していたかつての研究者達。数年前までは、最後の1人が生きていた。
だが計画の成就を見守る事なく、志半ばで息を引き取った。彼等からすれば、とても無念な事だっただろう。
茨木童子の復活という、大儀を成さずに命を落とした。だがそれは、あくまで彼等にとっての話でしかない。
平和に生きる多くの人間達からすれば、黒澤会は大悪党でしかない。巨悪と言って差し支えない存在だ。
「せめて、消臭だけでも出来ないのか?」
「本来は僕と実験体しか、ここに居ないのですよ? 無駄な消費ですし、余計な入手経路が増えますよ」
「むぅ……」
余計な口出しをされたくない廉也は、それらしい理由をつけて拒絶する。廉也の主張は、一応筋が通っている。
今は黒澤会の幹部が、間借りしている状態だ。研究所の建築に掛かった費用自体は、黒澤会が全て出している。
維持費用や研究に掛かる費用も、全て黒澤会持ちだ。しかし形式上の話で言えば、廉也への協力依頼という形だ。
あくまで黒澤会は、一番大きなスポンサーという立場である。現場を知らない彼等が、あまり余計な口出しは出来ない。
契約書では、廉也の自由に研究をさせると書かれている。鼻につく異臭であっても、廉也が気にしないなら仕方がない。
「あ~それで、例の件だが――」
「いやあ助かりましたよ! まさかこんなにも早く、若くて健康な被験者が手に入るなんて!」
研究の話に変わった途端、廉也は別人のように、明るい表情を浮かべている。彼の望みが1つ、叶ったばかりなのだ。
違法な取引で手に入る人間では、素体が悪いのか失敗が続いていた。故に廉也は考えたのだ。素体の質が問題ではないかと。
若くて未成熟な、健康な肉体を持つ人間であれば。理論上は彼の実験が、上手く行くと予想されているのだ。廉也ただ1人の脳内では。
イカレた研究など、彼以外に理解出来る者はいない。説明をされても、あまり頭に入らない。事実今も、廉也が説明を続けている。
「魂の質、という点が大きいのではないかと、僕は思うわけですよ! 人間の感情は、魂に由来する。あ、これは僕の理論なんですけどね」
「分かった分かった、説明はもういい! 実物はいつ出来るんだ?」
「今からですよ。貴方は運がいい! 成功する瞬間を、お見せしましょう」
やや食い気味に断言した廉也の目は、明らかに狂気を宿していた。不意に近づけられた廉也の目を、男性ま間近で見た。
同じ人間なのに、別の生き物のようだ。男性は息を飲み、廉也の狂気に震えた。同時に、この男でないと成功はない。
どうしてか、そんな風に男性は感じた。慄く男性をよそに、廉也はスキップをするかのような勢いで、研究室のドアを開けた。
「ん~! ん~!」
室内の大きな台の上、そこには高校生ぐらいの、若い少女が手足を拘束されていた。五月蠅いからと、口には布を巻かれていた。
今回の素体、狂気の研究に使用される犠牲者。それはここ最近の失態で、処分を受けた者の娘だった。
粛清ではなく、こちらに回せばいいのではないか。仲路が提案し、向井が受け入れた。そんな彼女は、何も知らない。
親の本当の仕事、裏の顔を知らなかった。こんな怪しい組織と、繋がりを持っていたなんて。嘆いたところで、何も変わらない。
「いや~ごめんねぇ。お待たせしちゃって。でも安心して欲しい! 今日から君は、生まれ変わるんだ! 人間なんて不完全な生命ではなく、欠点のない素晴らしい生命に!」
「んー! んー!」
どう見ても怪しさしかない男。名前も知らない狂人の前に、連れて来られた少女。何をされるのかは、分かっていない。
だがどう考えても、まともでない事だけは分かる。怯える彼女と、見守っている男性の前で、廉也はメスを手に取る。
少女の抗議は、廉也に聞こえていない。仮に布が無かったとしても、廉也は全く意に介さないだろう。
とても楽しそうな廉也は、バレーボールぐらいの容器を、研究用の冷蔵庫から出す。中には、赤黒い肉塊が入っている。
特殊な方法で摘出された、妖異の心臓だ。何も繋がっていないのに、脈動を繰り返している。見るからに普通ではない。
「さあ始めよう! 新たな境地へ、一緒に至ろう! 大丈夫、痛みは一瞬さ! すぐに何ともなくなるから!」
少女の呻き声が、過去最高となる。だが廉也は笑顔のまま、少女の衣服を捲り容赦なくメスを振るう。絶叫が室内に響き渡る。
廉也が妖異の心臓を、少女の体に無理矢理入れた。すると少女の裂かれた傷が治っていく。体のあちこちが、膨らんでは戻っていく。
「……ははは……あははははははは! やったああああ! 成功したぁ! そうだと思ったんだ! 人間は半分妖異なのだから、妖異になる事だって出来る筈! 僕の考えは正しかった!」
狂気の笑みを浮かべながら、廉也は大喜びで天を見上げている。視察に来た男性は、あまりの光景に吐いている。そして少女の目は、紫色の光を帯びていた。




