第二十八話 人心
クナ国ではカナソナ国の陥落は深刻に受け止められていた。阿蘇山のふもとにある三つの小国の内の二国がヤマト国側に付いた。中立を保っているツソ国がヤマト国に下るのも時間の問題だろう。ここは早急に取り返す必要がある。
いま、ヒミクコ王子と巫術師のカエデが祭壇の間で睨み合っている。他の重臣たちはじっと成り行きを見守っている。そんな中、二人を取りなすように間に立ってオロオロとしているのは国王だ。
「こ、殺すことはあるまい。ヒミクコ、聞いておるのか?」
「けじめをつけなくてはいけません。巫術師の役割とは何か……それは命を賭して王をお守りすることでしょう。カエデはそれを怠ったのです」
「ワシが残れと命じたのだ。誤ったのはワシだ」
「王の誤りをいさめるのも臣下の役目です」
王子の手には呪符が握られている。これはカエデの命そのものだ。これを火にくべれば火の神への生け贄となってカエデは息絶える。本来ならば王のみがそれを持っている。王子に安易に手渡してしまうこと自体が王の主体性のなさの現れだ。
「ヒミクコ、わかってくれ。カエデも反省しておる」
だが、カエデは王子の目をじっと睨んだまま微動だにしない。王子が自分を殺せるわけがないとわかっているのだ。弟子のミツハではヤマト国の巫術師には対抗できない。対抗できるのは自分だけだ。
「なりません。信賞必罰はいくさの基本。これでは他の臣下たちに示しがつきません」
「殿下のご判断にお任せいたします」
カエデは真一文字に結んだ口元に力をこめた。(やれるものなら、やってみろ)彼女の気位の高さがその表情に現れている。
「いい覚悟だ」
王子は祭壇の炎の上で呪符を持つ手を放した。炎に煽られた呪符がひらひらと宙を舞う。
「「あっ!」」
王とカエデが同時に声を発した。
その直後、慌てたのはむしろ王子の方だった。ドサッと音と共に煙がもうもうと上がった。何かかが焦げたような臭いがあたりに立ちこめる。
「ち、父上! 水を! 水を持て!」
王はあろうことか自ら祭壇に飛び込んで炎から呪符を守ったのだ。幸い、火は消えていた。ミツハがとっさに水の精霊を呼び出して火を消したのだ。だが、火がくすぶっている薪は皮膚をただれさせるには十分な熱量を持っているだろう。それでも王は王子の怒りをなだめることに必死になっていた。
「謝れ。カエデ、謝るのだ。ヒミクコ、ここはワシに免じて赦してやってくれ」
想定外の事態にさすがの王子も動揺した。
「父上、なんてことを……ミツハ、父上の治療を」
「はっ」
カエデは呆然と目の前の事態を眺めている。あたりに飛び散った炭や灰。慌ただしく駆けまわる巫術師たち。うろたえる重臣たち。騒然とした様相を呈している。
王にここまでされては王子もカエデを罰するわけにはいかなくなった。
「今回だけは赦してやる。次はないと思え。それと、もう一人の巫術師の育成を命じる。カナソナ国を取り戻したあかつきにはそこにも巫術師を送り込まねばならん」
「かしこまりました」
王はその場でミツハから応急措置を受けた後、自室へ運ばれた。それとともに重臣たちもまた祭壇の間を去った。
部屋にひとり残ったカエデは両手をがっくりと床についた。始めて呼吸することを思い出したかのように大きく肩で息をついている。脂汗が床に滴り落ちた。
(まさか王子があそこまでやるとは思ってもみなかった)
敗北感を感じる。だが、彼女の瞳は光を失ってはいなかった。
「今は死ねない。せっかく陛下から子種をいただいたのだ。このお腹の子を産み落とし、次の王位に就けるまで死んでたまるものか」
カエデはそっと自分の腹に手を当てた。小さな命の存在を感じる。これは巫術師としてではなく母としての感覚だろう。カエデは遠い未来を見通すように窓から見えるはるか彼方の月を見つめていた。
◇ ◇ ◇
ヒミクコ王子は自室に下がって、ミツハから報告を受けていた。
「父上の様子はどうだ」
「はい。幸い、大事にはいたりませんでした。腕などに軽いやけどを負われただけです」
「そうか」
王子はほっと胸をなでおろした。
「今回は策を弄しすぎたのかもしれんな」
「そうでしょうか」
「父上のお気持ちを軽く見ていた。あんなにしてまでカエデをかばうとは……」
王子が手にしていた呪符はミツハが作った偽物だった。最初からカエデの命を奪うつもりはなかったのだ。寸前でミツハに火を消させてカエデを助命する手はずだった。
「わたしのような身分の者には陛下のお気持ちはわかりません。ですが、師匠はわたしにとっては母親のようなお方です。殿下からお話を聞いていなかったら、わたしも身をもってかばったかも知れません」
「そうだったな。孤児のおまえを拾ったのはカエデだったか」
「はい」
それにしては、カエデはミツハに冷たく当たり過ぎではないか。王子はかねてからカエデがミツハを打ったりするということは聞いていた。それが果たして巫術師の育成に必要なものなのかは疑問に感じていたところだ。
「カナソナ国を取り返したら、キクチヒコとおまえを派遣するのもいいかも知れんな」
「国を離れろとおっしゃるのですか」
「嫌か」
「ご命令とあらばどこへでも行きます」
「まあいい。その時になったら考えよう」
人の心とは難しい。王子の母、サユリヒメは穏やかな性格の女性だ。母から厳しく叱られるということはあるにはあったが、打たれるなどということは記憶にない。乳母はどうかと言えば、なおさらなかった。だからこそ、ミツハがカエデに母性を求めているのだとしたら虚しいものになるように思えてしかたがなかった。しかし、実の母を知らぬミツハにそれを説いたところでそれこそ無駄かもしれない。
会話が途切れたところで戸の外でコトリと小さな音がした。
「ヒビキか」
「へえ」
この男はいつもそうだ。常に気配を消し、主の思考に一段落がついたところで現れる。
「首尾はどうだ」
「申し訳ありやせん。暗殺は失敗しやした」
「まあ、そう上手くはいくまい」
「へえ。護衛に阻まれやした」
「なに、気にするな。巫術師に腕利きの護衛が付くのは当然だ。どのみち巫術師を毒で殺すなどは困難だろう」
「そうですが、ここのところ失敗続きで……」
「良いのだ。第一王子が王女を殺害しようとした、この事実が残ればいい」
ヤマト国の第一王子と王女は不仲だという情報は以前より掴んでいた。王子が狙ったのはこの関係にくさびを打ち込むことだった。双方がいがみ合い、潰し合ってくれれば、それがヤマト国の弱体化に繋がる。
「ヤマト国の第一王子は心が弱い。ここに付け入る隙がある。状況は逐一伝えよ」
「へえ、かしこまりやした」
返事と共にヒビキは闇に消えた。
「まったく、人の心とは難しい」
自分とカエデの間にも深い溝がある。考えてみたら、ここがヤマト国にとっては付け入る隙かも知れない。今日の一件で王子は人の気持をくみ取ることの難しさを実感していた。




