第二十七話 覚悟
ヤヒコはミズヒの住む建物に向かって歩いて行く。手には例の毒矢が握られている。表情を見るととても冷静とは言える状態ではない。手は怒りにうち震えている。顔は真っ赤になって、息も荒々しい。
「やめよ! ヤヒコ、止まるのじゃ」
ヒミコが必死に追いすがる。ヤヒコの肩に手を添えたが、振りほどかれてしまう。
「俺はあの人を許せない! 一体なんでこんなことをするんだ」
「わらわにもわからん。じゃが、少し頭を冷やせ。このまま乗り込んでいってどうする」
「一発ぶん殴る!」
「よせ! ただでは済まぬぞ」
人質として送られているソナ国の王の弟がヤマト国の嫡男に危害を加えたとなれば大問題だろう。しかし、ヤヒコにはそれを考えるだけの冷静さが最早なくなっていた。
「かまうものか。あの人をぶん殴って、ヒミコを連れてソナ国に帰る」
「馬鹿を言え! 戦争になってしまうわ」
ヤヒコは立ち止まってヒミコの方を振り返った。
「おまえは自分の命が狙われて平気なのか?」
「平気ではない。わらわも兄上に話を聞かねばならぬ」
「だったら……」
「おまえたち、静まれ。そう騒ぐでない」
ヒバリも追いかけてきた。なおも突き進もうとするヤヒコに向けて呪符を投げた。呪符は草のつるに変わってヤヒコの体に巻き付いていく。
「くそっ! 離せ! ババ様、俺は気がおさまらねぇ」
さらにつるは伸びていき、ヤヒコの足もがんじがらめにしていく。
「少し落ち着け。これはヒミコたち兄妹の問題でもある。そなたが間に入れば余計ややこしくなる」
ヤヒコは観念したようにその場に座り込んだ。
「くそっ。わかったよ。俺の剣もこの矢もババ様にあずける。ただし、立ち会わせてくれ。いざとなれば俺がヒミコの盾になる」
「よかろう。ヒミコよ、ワシも立ち会おう。そなたたち兄妹は心を開いて話し合う必要があるようじゃ」
「はい」
ヒバリはミズヒの部屋を訪ねた。ヒミコとヤヒコは外に待たせてある。
「ミズヒ、入るぞ」
「ババ様、どうした?」
ヒバリはミズヒの目の前に正座をすると、手にした矢を床に静かに置いた。ミズヒの表情に動揺が見える。つばをゴクリと飲み込んだ。そして、矢をじっと見つめたまま顔を上げようとしない。ヒバリは冷静な表情を保ちながらたずねた。
「矢に残った思念を探った。なぜこんなことをした?」
「……」
ミズヒは固まったように身動きしない。額には汗がにじんでいる。
「ババ様、このことは父上には……」
「誰にも話しとらん。知っているのはワシとヒミコとヤヒコだけじゃ」
「そうか……」
「ヒミコをなぜ狙ったのじゃ? そなたの妹であろう」
「ヒミコが憎いのではない」
「では、なぜ?」
ミズヒは顔を上げてヒバリに訴えるように叫んだ。
「ヒミコの巫術が憎い! あいつは呪符ひとつで戦場を変えてしまう!」
「しかし、味方ではないか。それに巫術ならばワシも使う」
「ババ様には王位を継承する権利がない。だが、ヒミコにはそれがある! ババ様! なぜ俺に巫術を教えてくれなかった?」
「失敗すれば命を失うこともある。嫡男のそなたに教えるのはヤマト国にとって危険なことじゃ」
「俺にはカグツチのような腕力がない! ヒミコのような巫術もない!」
「将来は兄のそなたが弟や妹を使って国を治めればよいではないか」
「無理だ! 俺は恐ろしい! いずれはヒミコが俺に取って代わってヤマト国の後継者になる」
「何を言うておるのじゃ。だれもそんなこと……」
「カグツチは単純だ。あいつなら操れる。でも、ヒミコは……俺にはヒミコを抑えきれない」
ヒミコが静かに部屋に入ってきた。ヤヒコもその後に続く。
「兄上」
「ヒミコ!」
「わらわは王になどなるつもりはありません」
「ウソだ!」
ヒミコは悲しい表情を浮かべた。実の兄に信用されていない。こんな悲しいことがあるだろうか。
「兄上……」
「俺は正直、おまえがソナ国へ行くと聞いてホッとしている。だが同時に、そこで色々学んだおまえにはますます敵わなくなるんじゃないかと不安で仕方ない」
ミズヒの表情にはありありと恐怖の色が見える。だが、そこにヤヒコが割って入った。
「だからって、妹を殺していいわけないだろ!」
「……」
ヒミコは黙ったままヤヒコを手で制した。努めて冷静な口調でミズヒに語りかける。
「兄上。兄上にそんな不安を抱かせてしまったのは、わらわのせいです」
「……」
「わらわは兄上を恐れていました。軍議の時に敵を皆殺しにすると言われて、なんて残酷なことを考える人なんだろうと思いました。とても冷たい人だと」
「……」
「その悪意が、兄上にはご自分を差し置いてわらわが次の王位を狙っていると感じられたのでしょう」
ミズヒはじっとうつ向いたまま何も答えない。その様子を見て、ヒバリは憐れむような表情でミズヒの肩に手を置いた。
「権力とは恐ろしい物じゃな。どこまでも魅力的で、どこまでも孤独で、どこまでも重苦しい」
「ババ様……」
「じゃが、弟や妹まで疑ってはあまりにも辛かろう」
ミズヒの目からひとすじの涙がこぼれ落ちた。ヒミコもまた涙を流していた。慈愛に満ちた瞳で兄を見つめている。
「兄上、わらわは兄上を裏切りません。どうか信じてください」
「ヒミコ……」
ミズヒは顔を上げてヒミコを眺めた。ヒミコの顔を眩しそうに見つめている。
ヒミコは懐から呪符と短刀を取り出した。呪符を床に置くと、短刀を鞘から抜いた。ヤヒコは思わず声を上げた。
「おい、何をするつもりだ」
ヤヒコが言い終わる間もなく、ヒミコは自分の左の手の平に傷を付けて、その手を握りしめた。床に置いた呪符に血がしたたって赤く染まっていく。ミズヒは呆けたように無表情なまま、その様子を眺め続けた。
ヒミコは血で真っ赤になった呪符をミズヒの手に握らせて言葉をかけた。
「兄上、もしもわらわの動きにおかしなことがあれば、これを川に投げてください。わらわは水の神の生け贄になって死ぬでしょう」
「バカな!」
ヤヒコは信じられないという顔をしてヒミコの横顔に目をやった。
「この人はおまえの命を狙っていたんだぞ」
「わかっておる。じゃが、実の兄に疑われるくらいなら死んだほうがマシじゃ」
ヒミコの表情には全く迷いがなかった。ヤヒコは呆れたようにため息をついた。
「まったく……どこまでお人好しなんだ」
「すまぬ。じゃが、わらわにはこうする以外にやりようがない」
ここまでの流れをずっと見守っていたヒバリもため息をついた。苦笑いを浮かべつつ、ぐったりとうなだれているミズヒに話しかけた。
「仕方があるまい。ミズヒよ、ヒミコの命はおまえに預けられた。ヒミコはおまえをここまで信じたのじゃ。おまえもヒミコを信じてやれ」
ヒルコは無言のままうなずいた。
「今日起こったことはこの場にいる者たちの胸にしまっておくことにする。よいな」
ヒバリは全員に言い渡した。ヒミコとヤヒコはうなずいた。ヒルコはただ沈んだ顔をしたまま床を見つめているだけだった。




