第二十六話 刺客
ヒミコは住居をソナ国へ移す準備のために一旦ヤマト国へ帰国した。できれば戦争で大きな損害を与えてしまったカナソナ国の復興に手を貸したいと考えていた。しかし今はそれどころではない。
侍女たちが彼女の荷物を整理している。大国の王女であるヒミコが住居を移すとなれば運ばなければならないものは相当多い。衣装や装飾品、化粧道具。彼女だけでなく彼女付きの侍女も移らなくてはならない。荷物の整理には彼女の母親のイナツメミが指示を出している。
ヒミコ自身は他の者には任せるわけにはいかない巫術関係の道具類を整理している。ただ、それほど数が多いわけではない。むしろ薬草などはこちらで採取してから移りたいくらいだった。
「母上、わらわはソナ国へ移る前に一度行っておきたいところがあります」
「まあ、そんな時間があるかしら」
「半日もあれば十分です。山や川へ行って薬草を摘んでおきたいのです。ソナ国の兵も大勢の人が傷ついています。できるだけ多くの薬草を持って行きたいのです」
「そうね。あちらへ移ってもどこにどんな薬草があるのかを調べるのには時間がかかるでしょうし。行ってらっしゃい」
「はい」
◇ ◇ ◇
ヒミコはヤヒコを伴って川に向かった。今日はさすがにツクヨミやスサノオは連れていない。二人だけの行動だ。
まずは川べりに出た。夏の強い日差しが照りつけ、まばゆく水面が輝く。ヤヒコは水際のすぐそばまで来て魚が泳ぐさまを眺めている。ヒミコは辺りに生えている薬草を摘んでいる。
しばらくすると、ヒミコは両手に山盛りになるほど薬草を摘み終えた。それを袋に詰めるとヤヒコのとなりまで歩いて行った。
川の流れはいつもと変わりない。それを眺める二人の関係は大きく変わったが、川はこれからもずっと変わりなく流れ続けるのだろう。ヒミコは自然の悠久さを感じた。
「この川もしばらくは見納めじゃな」
「ああ」
ここに来るとヤヒコに助けられたあの日を思い出す。ヤヒコも思い出しているだろうかと思ってヒミコはチラリとヤヒコの顔を見た。ヤヒコも少し神妙な顔になっている。
「この川の流れが途切れぬように、我らのきずなもずっと続くようにしたい」
「ハハハハ。おまえがババ様のようにシワシワになるまで見届けてやる」
「まるで、そなただけは歳をとらぬかのように言うのう」
二人は笑い合った。そしてしばらく沈黙して見つめ合う。それから惹かれ合うように寄り添うと抱きしめあった。
すると突然ヤヒコはヒミコを押し倒した。
「ヤヒコ! そんな急に……」
ヤヒコの体重とぬくもりを感じる。ヒミコの心臓が早鐘のように高まった。
しかし、ヤヒコはすぐに立ち上がると短剣を抜いて前方に投げた。
「刺客だ!」
「なんじゃと!?」
短剣は川の向こう岸の茂みに向かって一直線に飛んでいった。そして刺客の左腕に刺さった。
「くっ!」
刺客は顔を布で隠していて表情はわからない。しかし、明らかに動揺している。短剣を抜き取るとその場に投げ捨てて茂みの奥へ消えていった。
ヒミコも事態を把握した。呪符を取り出して宙に放り投げた。すると呪符ははじけ散ってツバメの姿に変わる。
「行け!」
ヒミコが命じるとツバメの守護霊は飛び去っていった。
ヤヒコはすぐ近くに落ちている矢を拾った。矢の先には何かが塗られている。
「毒矢のようじゃな」
「狙われていたようだ。刺客は見つかったか?」
「うむ。ツバメは姿を捉えておる」
ヒミコの脳裏には逃げている刺客の姿がはっきりと映っている。うっそうとした茂みの中をかなりの速さで駆け抜けていく。こういった逃走も手慣れているに違いない。
「まだ茂みを抜けておらんな。周りには誰もおらぬ」
「どこに向かっている?」
「わからぬ。じゃが、この方角は……」
「どうした?」
「このまま茂みを行けばヤマト国の方角に抜ける」
「ウソだろ?」
「はっ、いかん!」
上空が少しひらけた場所に差しかかると、刺客の視線がヒミコが操るツバメに向かった。素早い動作で弓を引くと、即座に矢を放った。ヒミコの脳裏では自分に矢が向かってきているように感じられる。
「危ない!」
ヒミコは思わず尻もちをついた。それと同時に集中力が途切れてツバメの霊は消え去った。
「なにが起こったんだ?」
「感づかれた」
ヒミコの表情は深刻だ。だが、刺客を追跡しきれなかったことは問題ではない。むしろ問題は他にある。
「刺客が守護霊の存在に気づいたということは、わらわが巫術師であるということを知っていて襲ったということじゃ」
「初めからおまえを狙っていたのか」
「恐らく」
「とにかくここにいるのは危険だ。いったん戻ろう」
「うむ」
◇ ◇ ◇
ヒバリは自室で呪符の製作をおこなっている。手の平に乗せた麻布に墨で特殊な紋様を描いていく。描きながら周囲には聞き取れないくらいの大きさの声で何かの呪文を口ずさんでいるようだ。相当の集中力だ。外ではセミが騒々しく鳴いている。しかし、彼女は筆の先端に全神経を集中させて、脳内に描いた紋様を寸分違わず麻布に写していく。周囲の音など彼女の耳には全く届いていないに違いない。
紋様は呪者によって様々だ。ヒバリは鳥の紋様を好んで描く。今描いているのもそうだ。ヒミコは太陽を抽象化した紋様を描く。要は呪者がそこに自らの気を込めやすいと感じる形であることが重要なのだ。
「ババ様、入ります」
ヒミコたちが部屋に入ってきた。しかし、ヒバリは彼女たちに顔を向けない。ヤヒコは自分たちが入ってきたことに気づいていないのでないかと怪しんだ。
「ババ様……」
話しかけようとしたヤヒコをヒミコは手で制した。その場に座って、じっと待ち続ける。
しばらく待つと呪符が一枚出来上がった。描きあがった瞬間に鳥の絵が鈍く光を放った。おそらく何らかの力がヒバリから呪符へ移されたのだろう。
ようやくヒバリは顔を上げた。
「どうした?」
「わらわたちは刺客に襲われました」
「なんじゃと!?」
ヤヒコが毒矢を手渡した。
「凶器はこれです」
「毒矢じゃな」
ヒバリは矢じりに付いた毒を呪符で拭った。床に置くと呪文を口にする。
「葉を茂らせ、万物に力を与える木の精霊よ。我、この毒を作りし者を探らんと欲す。契約に基づき我に力を貸し給え」
ヒバリの呼びかけに応じて二体の木の精が姿を現した。木の精は手の指くらいの大きさだ。全身が緑色をしており、頭は葉が茂った木の枝のような形をしている。
精たちは呪符の上で足踏みをし始めた。精がトンと足を踏みしめるたびに、呪符に染みこんだ毒のところから突き動かされるように茎が伸びていく。さらに精たちは足踏みを続ける。すると、茎はところどころで枝分かれしてどんどん成長を続ける。
床に座っているヒミコたち三人の頭くらいの高さまで伸びたところで、精たちは大きく飛び上がって呪符に着地した。すると、その勢いに押されたように枝分かれした茎の先端に五、六枚のギザギザした葉が生えた。もう一度ぽーんと飛び上がり着地する。すると今度は茎のてっぺんに鮮やかな紫色の花が弾けるように咲いた。
「ふむ。これはトリカブトじゃな。矢に当たっておったら、ひとたまりもなかったぞ」
ヒミコは改めて背筋に冷たいものが走るのを感じた。ヤヒコが気づかなかったら自分は今頃この世にはいないかも知れない。
「誰のしわざでしょう」
「さて。刺客の姿は見たのか?」
「いえ。顔を布で覆っていましたのでわかりませぬ。守護霊に追わせたのですが途中で感づかれました」
「ほお。そなたが巫術師だとわかっておったのか」
「そのようです」
思い当たるのは、先日の戦いで滅ぼされたカナソナ国の関係者だ。しかし、あの時にはヒミコやヤヒコは本陣の中で動かなかった。顔が知られていないのになぜ狙われたのか。それはヒミコにも見当がつかなかった。
「ちょうど良い。この矢に残った思念を読み取る方法を教えよう。今のヒミコの力ならばできるじゃろ」
ヒバリはヒミコに矢を手渡した。
「よいか? 矢に意識を集中させよ。呪符を作るときと同じ要領じゃ」
ヒバリの言葉に応じてヒミコの顔つきが見る見るうちに変わっていく。顔から表情が消え、人形のように動きがなくなった。視線は矢の先端に止まって全くぶれない。
「これを手にした者が目にした風景。聞いた音。抱いた思いを引き出すのじゃ」
ヒミコはもっと意識を集中させていく。もはや周囲の音は何も聞こえなくなった。意識が手にした矢と一体化してくる。そして、まるでヒミコ自身が矢になったかのように思えてきた。
(見えた)
まずは最後に手にしていたヒバリの姿が脳裏に浮かぶ。自分たちの声も聞こえる。ただ、心にざわめきは起こらない。矢を手にしたヒバリは冷静沈着だったということだろう。
(もっと前……)
ヒミコは矢に付着した思念をさらに深く探っていく。
ヤヒコの姿が写った。不安や怒りの感情がヒミコの中にも入ってくる。
(さらに前じゃ)
これだ。顔を隠した刺客の姿がはっきりとヒミコの脳内に浮かんだ。茂みの中をゆっくりと移動している。ヒミコたちを襲撃する前の思念だ。獲物を狙う猛獣のような表情。人の命をなんとも思わない冷酷な感情。むしろ人を殺すことを楽しんでいるような感さえある。ヒミコは思わず心の中で声を上げた。
(気持ち悪い。なぜこんな心持ちになるのじゃ……じゃが、もう少し深く探らねば……)
もっと以前の思念を引き出す。どこかの部屋の中。刺客はまだいる。しかし、部屋の中にはもう一人いる。ヒミコの位置からは顔が見えない。矢はその人物から刺客に手渡された。そして、ようやくもう一人の人物の顔が見えた。
そこでヒミコは意識を自分の体に戻した。
「どうした? なにが見えた?」
「あ……え」
「なんじゃ?」
「兄上。ミズヒ兄様の姿が……」
ヒミコは矢を床に置くと、がっくりとうなだれた。




