第二十話 駆け引き
「父上、いらっしゃいますでしょうか。火急のご報告があります」
ヒミクコ王子は王の寝所を訪れていた。王子といえども許可無く中へ入るわけにはいかない。外から声をかける形となった。
「ヒミクコか。朝早くからどうした」
「ヤマト国がついに動き出しました。兵数一万。かねてからの情報通り、イザナギ自らが率いるようです」
「おお、そうか。だが、少し待て……」
父の気配は入口近くにある。だが、その奥に衣擦れの音。明らかにもう一人いる。王が妃を寝所に伴うのは不思議なことではない。だが、そのおかげで直接顔を合わせて話せないのがもどかしい。
「父上、噂ではヤマト国の目的はコユ国のようです。ですが、妙なのです」
「これよさぬか……で、何がどうした」
妃が王に戯れたか。王の心はこちらに向いていない。ヒミクコ王子は苛立ちを押さえて話を続けた。
「私が放っている密偵からの情報では、動かした兵はせいぜい二千。もっと少ないのです。これは陽動なのではないでしょうか」
「だが、援軍を送らぬ訳にもいくまい。ヒミクコよ、兵五千を与える。ただちに出立せよ」
「おそれながら。兵は五百で結構です。まずは様子を見ましょう。本当のヤマト国の目的が判明した次点で父上もご出陣を願います」
「よかろう。万事任せた」
「はっ」
王の許しは得た。父のあの様子では、すべて自分が取り仕切るしかない。ヒミクコ王子は覚悟を決めた。陽動の疑いがある以上はいきなり大兵を動かすわけにもいかない。まずは軽兵を率いて情報を探る。本当にヤマト国の目的がコユ国平定であったならば、時間を稼ぎつつ父が率いるクナ国軍本体の増援を待つしかないだろう。
「オオヅヒコを呼べ。足の速い者五百を集めさせろ。集まり次第すぐに出るぞ。それとは別に五千、これは俺からの連絡が届くまで待機だ。カエデにも……いや、それは俺が行こう」
ヒミクコ王子はその足で巫術師の住居を訪れた。使いを出して呼びつければよいが、父の意向を傘に着て何かと自分に反抗的なあの巫術師が素直に従うと思えない。しかし、今回は縄を付けてでも連れていかなければならない。とにかく今は時間が惜しい。
「ミツハ、カエデは体調を壊したようだな」
直後、ヒミクコ王子は巫術師の弟子たちの部屋を訪れていた。カエデは体調を壊して部屋から出られぬと聞いたのだ。仮病なのかどうかはわからないが、この際カエデに期待するのは無駄だろう。
「申し訳ございません。風邪をひいたそうで、先日から部屋にこもったきりでして……」
「ならば、ミツハ。おまえが来い。コユ国まで行く」
「はっ、かしこまりました」
ミツハが顔を上げた時にはヒミクコ王子の姿はそこになかった。とにかく判断と行動が速い。
ミツハは慌てて支度をはじめた。
大広場ではオオヅヒコが大声を張り上げていた。
「今日こそふんぞり返っているジジイたちに俺たちの力を見せつける時だ! 死ぬ気で戦え」
「おう!」
若い兵たちの間に気勢が上がる。彼はヒミクコ王子が目をかけてきた若手の旗頭だ。王直属の重臣たちに比べれば地位は低いが、ヒミクコ王子はむしろこういった若者たちがクナ国の礎になると考えていた。
「揃ったようだな」
「はっ、いつでも出発できます」
ヒミクコ王子は集まった兵たちの顔一人ひとりを見つめた。かれらの目には闘志がこもっている。今回は肩透かしとなるかも知れないが、この情熱は将来必ず国の力となる。
ミツハも遅ればせながら現れた。
「遅れて申し訳ありません」
「いや、上出来だ。カエデだったらまだ化粧に夢中で部屋から出てきてなかっただろう」
兵たちの間に笑いが起こった。狩りでもつるんで歩いた仲だ。彼らの間には身分を越えた絆のようなものがあった。
「行くぞ。少し急ぐ。おまえたちの足が止まらぬ程度にな。行軍速度の調整はオオヅヒコに任せる」
「はっ。よし、おまえら行くぜ」
クナ国の若手精鋭で組織された機動部隊がついに動き始めた。
ヒミクコ王子の見立てでは、ヤマト国の先遣隊は今クス国を過ぎた頃だ。双方の移動距離を考えると、彼の部隊はヤマト国軍よりもギリギリ早くコユ国に到着できる。ただ、気がかりなことがある。彼が放った密偵からの続報が途絶えているのだ。
一方、イワサクが率いるヤマト国の先遣隊は怪しい商人を捕らえて本国へ送ったあとに、クス国の先、ユフからオオキタ(現在の大分県大分市)へ差し掛かっていた。ここまではヒミクコ王子の見立て通りと言っていい。
しかし、ここで先遣隊は奇妙な行動を取った。オオキタに到着すると軍の動きを止めたのだ。オオキタは周辺の地形が複雑で、大きな田がない。当然食料の備蓄も乏しく、大軍をとどめるには適した地とは言えない。ここで真っ先にイワサクがやったことは兵糧の確保だった。
「ここの米を言い値で買い取る。出せるだけ出してくれ」
「ははぁ、ありがとうございます」
これにはイワサクに同行しているヒバリが交渉にあたった。彼女から青玉がずっしりと入った袋を手渡されると村長は目を見張った。それと引き換えに米を買えば、ここの村人が数年は遊んで暮らせるほどの量の宝だ。
「しばらくここの建物を使わせてもらうぞ」
「どうぞ、ご自由にお使いください。それで……いくさはどちらで起こりましょうか」
「安心せい。ここが戦場になることはない。じゃが、この村は米をかき集めるには都合が良いのじゃ」
実際、オオキタという村は四国と九州の人と物の流れが交わり、周辺国から米を買い集めるには丁度いい場所だ。だが、すでに彼らは二千という兵力に見合った兵糧を十分に携えている。そこからさらにかき集めるのだ。もちろんそれは一万の兵力をコユ国へ差し向けるという噂に真実味を帯びさせるための策略である。
それからイワサクがやったことは泳がせていた敵の密偵の抹殺だった。
「……」
無言のままイワサクは目で合図した。一斉に三名の部下が散り散りに走り去っていく。それからしばらくした後、村のあちこちで押し殺したようなうめき声があがった。
「よし。次だ」
武人になるべくして生まれてきたようなこの男はとにかく無駄口をたたかない。彼の言葉を聞いて、商人の姿に身を変えた部下がコユ国へ、そしてクナ国へも旅立っていく。彼らがさらなる噂を周辺国へばらまいていく。『ヤマト国軍がオオキタに集結しつつある』という噂はコユ国の民を震え上がらせた。
その翌日、オオキタの村にある一番大きな建物にヒバリは詰めていた。ヒバリは守護霊を飛ばしてクナ国軍の様子を探っている最中だ。そこにイワサクが入ってきた。
「ヒバリ殿、クナ国軍の動きは?」
「うむ。釣られてはおる。じゃが、兵数が少ないな。敵もさるもの。こちらの意図を察したのかも知れぬ」
「率いる将は?」
「ヒミヒコ、第一王子じゃな。先日『ヒミクコ』と名を変えたようじゃが。王よりもむしろ厄介な男かも知れぬ」
「私も聞き及んでおります。弓の名手だとか」
「ああ。こちらの目論見を見抜いたところを見ると頭も切れるようじゃ。まずは本国へ連絡をしておこう」
ヒバリは呪符を取り出して念を込めた。ヤマト国にいるヒミコへの伝言を思念として乗せたのだ。そして、もう一枚呪符を取り出して鳥の守護霊を召喚した。守護霊は呪符を口にくわえると窓から大空へ飛び立っていった。
「ババ様から連絡じゃ」
ヒバリが放った守護霊がヤマト国についたのは三日後のことだ。今はヒミコの部屋の窓枠にとまっている。部屋の外では兵たちの声や足踏みの音がざわめき、ヤマト国の主力部隊の集合がかかっていることがわかる。ヒミコは守護霊がくわえる呪符を受け取ると込められた念を読み始めた。
「どうやら敵も少数の兵で様子を見にきたようじゃ」
「主力は温存か」
「ああ。コユ国の者からすれば軽んじられたと感じるじゃろうな」
「大勢でいけばこちらの思うツボ。少数でいけば味方にヒビが入る。ミズヒ様もいやらしい策を考えるな」
「駆け引きとはそういうものじゃ」
ヤヒコは嫌なものを見たような表情で顔を背けた。
「でもコユ国が寝返ってくれるならいいが、そこまではいかねぇだろうよ」
「うむ。じゃが、相当動揺しておるじゃろう」
「とにかく、主戦場はカナソナ国だ。俺はそこで武功を立てる」
「ああ、わらわも試したいことがある」
ヒミコは先日契約を果たした土の王の力をいくさの場で生かそうと考えていた。強大な火の神の力はヒミコ自身の体に大きな負担を与えるだけでなく、敵にも甚大な被害をもたらす。生来優しいたちの彼女にはそれが耐えられないことなのだった。土の王の力ならば、被害を最小限に抑えて戦果を得られるかも知れない。




