第8話 帰り道
ホテルを出ると、冷たい早朝の空気が頬を撫でた。
街は静まり返り、少しずつ朝焼けの光が空を白ませていく。
(……今まで抱えていた重荷が、嘘みたいに軽くなってる)
胸の奥をずっと締め付けていた鉛のような塊が、ゆっくりと溶けていくのを感じていた。
真夜さんと別れ、一人で歩くいつもの帰り道。けれど、世界は昨日までと少しだけ違って見えた。
お母さん……。
どうして私と一緒に死のうとしたのか、その本当の理由はあなたにしか分からない。だから、私は一生その答えを知ることはできないけれど。
……きっと、何か理由があったんだよね。真夜さんが言っていたように、狂気に囚われるほどの苦しみや、歪んでしまった愛情があったんだよね。
目を閉じると、鮮明に思い出される。
心中を図る前の、優しかったお母さんの笑顔。手を繋いで歩いたぬくもり。絵本を読んでくれた声。愛情をたっぷり注いで育ててくれた温かな日々。
あの日からずっと、私の中で憎しみの感情ばかりが肥大化していた。
だけど昨日、真夜さんに母親へのドロドロとした怒りをすべてぶつけたことで、不思議と胸の中が澄み渡っていくのが分かった。
憎しみの刃を振り回すことに疲れていた私の心が、ようやく凪いでいく。
(私……お母さんが大好きだったんだ)
だからこそ、「どうして」という激しい怒りと絶望が渦巻いていた。
けれど、もういいよ。
「許すよ……お母さん」
溢れ出す涙が頬を伝い、朝焼けの光を受けて一筋の雫となって落ちていく。
声に出して呟いた瞬間、胸の奥の支えが完全に外れた気がした。
「私、前を向いて生きることにするね。……お母さんの分まで、ちゃんと幸せになるから」
朝空を仰ぎながら、涙を拭って固く誓った。
これからもずっと、独りで暗闇の中で苦しみを抱えて生きていくのだと思っていた。
けれど、真夜さんが現れてくれた。私の醜い怒りも悲鳴もすべて逃げずに受け止めてくれて……あの日から凍りついていた心に、久しぶりに人の温もりを与えてくれた。
ふと見上げた街並みに、かすかな色彩が戻り始めている気がした。




