第45話 被害者の会
「それじゃあ、二人とも行ってくるね! 遅くならないうちに帰ってくるから!」
休日の昼下がり、お気に入りのバッグを手に持った薫子が、玄関でパッと華やかな笑顔を弾けさせた。大学の友人たちと久しぶりに買い物とランチへ出かけるのだという。
「ええ、気をつけてね、薫子さん。楽しんできて」
「お姉ちゃん、車とか気をつけてよ。欲しいものあったら連絡してね」
玄関に並んだ真夜と夜留は、絵に描いたような穏やかな笑みを浮かべ、薫子を見送った。
「うん! 行ってきます!」
パタン、と軽やかな音を立ててドアが閉まり、カチャリと鍵がかかる。
――その瞬間。
「「……はぁぁぁぁぁぁぁぁ……」」
静まり返った玄関で、寸分違わぬタイミングと音量で、深すぎる溜め息がハモった。
廊下に響いた重苦しい排気音。二人は顔を見合わせることもなく、示し合わせたかのように重い足取りでリビングへと戻り、そのまま吸い寄せられるように同じソファへと力なく崩れ落ちた。
「……真夜さん、昨日のアレ……効かなかったね…」
「……夜留も攻めてたわよね…『かわいい妹』って感じで頭ワシワシ撫でられて撃沈していたわよね…」
「なっ……! ちゃんと大人っぽいフルーティーな香り選んだんだからね!?」
「結果は同じよ」
「うぐっ……」
互いの昨日の痛々しい敗北を突っつき合うものの、すぐに反論する気力すら失せ、二人は天を仰いだ。
沈黙。テレビの消えたリビングに、ただ二人の不毛な徒労感だけが満ちていく。
「「……どうしようもないわね(よね)……」」
言葉が綺麗に重なった。
ふと、どちらからともなく手が伸びた。ソファの真ん中で、真夜の細くしなやかな指と、夜留の少し小さめの手が、ギュッと力強く握り合わされた。そこにあったのはライバルとしての意地ではなく、「手に負えない怪物を相手にしてしまった」者同士の、哀愁漂う深い連帯感だった。
「……なんなのあの人。少しは色気を感じなさいよ。ブランケットなんかでガチガチに包囲して……風邪ひくよ…じゃないわよ……」
握りしめた手に力を込めながら、真夜が絞り出すような声で愚痴をこぼす。
「本当だよ! 私だって『最近の夜留は綺麗になったなぁ』とか、ちょっとは一人の女の子としてドキドキして欲しかったのに! 『成長したなぁ〜!』って……私、ペットじゃないんだけど!?」
「挙げ句の果てに、夜中に寝ぼけて胸元に潜り込んでおいて、朝になったら『おはよう! よく眠れた?』だなんて……! 私のあの眠れなかった数時間をどう責任取ってくれるのよ……!」
「お姉ちゃん、昔からそうなの! 人の気持ちに土足で踏み込んでおいて、本人は1ミリも悪気がないから怒るに怒れないの! ほんと、タチ悪いんだから……!」
口々に吐き出される、愛おしくも理不尽な被害報告。
「あんなに……なんであそこまで……!」
「本当だよ……お姉ちゃん…鈍感……」
愚痴を言えば言うほど、結局は薫子の可愛さと無自覚な攻撃力の高さに行き着いてしまう。
「……ねえ、真夜さん」
「何かしら、夜留さん」
「私たち、完全に負けてるよね」
「……認めたくないけれど、勝ち目がないわね。今のところは」
二人は握り合った手にさらにギュッと力を込め、再び深く、深い溜め息を天井に向かって吐き出した。
薫子が帰ってくるまでの数時間。
玄関で鍵が回る音がするまで、「被害者の会」の密やかな反省会と愚痴大会は、いつまでも終わりそうになかった。




