第21話 罪の余韻と、冷たい嫉妬(side:櫻 真夜)
目を開けた瞬間、脳裏を満たしたのは何年ぶりかも分からない澄んだ清涼感だった。 ……久しぶりに、眠れた。
けれど、横を向いて息を呑んだ。 ベッドの縁に頭を伏せ、床の上にじかに座り込んでスヤスヤと寝息を立てている女の子がいる。
(……え……あの子、私が眠れていないことに気づいて、一晩中側で見守ってくれていたのかしら……?)
愛おしさが胸を突いたのも束の間、次の瞬間には冷や汗が全身を駆け抜けた。 ……私、どうしてここにいるの? 昨日の出来事を、パニックになりかけた頭で必死に手繰り寄せる。
たしか……私はホテルで、夜留ちゃんの相談に乗って……。 あの子が「トイレに行く」と言って立ち上がった瞬間――私は、嫉妬と衝動に任せてあの子をベッドに押し倒したわよね……?
(……はっ!? 押し倒した……!?)
自分の犯した暴挙を思い出し、顔から血の気が引いていく。 いくら薫子さんという存在に焦り、胸の奥がドロドロとしたモヤつきで満たされていたからって……なんて最低なことをしてしまったの。
(私……あの子に、なんてことを……!)
青ざめていると、髪を撫でた刺激で夜留ちゃんがもぞもぞと動き出し、目を擦りながら顔を上げた。
「あっ、真夜さん……おはようございます……ムニャ。久しぶりによく眠れましたか……?」 「ええ……。とっても。こんなにも深く眠れたのは久しぶりだわ……。ありがとう……」
声の震えを必死で抑えてお礼を口にしたけれど、心臓の爆音は止まらない。 押し倒した後の記憶が……完全に途切れているのだ。まさか、眠っている間にあの子に更なる酷いことをしてしまったのでは――?
耐えきれなくなった私は、ベッドの上で頭を深々と下げた。
「ごめんなさい……っ! 私、ホテルであなたを押し倒して……一方的に襲ってしまったのよね……!? 記憶が曖昧で……でも、本当にごめんなさい……!」
絶望的な気持ちで謝罪する私に対し、夜留ちゃんはぽかんと目を丸くした後、あどけない顔で言った。
「へっ……!? あ、あー! ディープなキス……のことですか……!? 大丈夫ですよ、全然! 寝ぼけてたんですかね! その後、すぐにスヤスヤ寝てましたよ!」
「………………っっっ!?」
ディープ、キス……!? あの子の口から出た言葉の意味を理解した瞬間、私の思考は完全にフリーズした。 キス……!? 私はあの子の唇を、そんな、深くまで奪ってしまったの……!? それなのに、あの子は「寝ぼけてたんですかね!」と無邪気に笑っている。その無垢さが、私の罪悪感をどこまでも抉ってきた。
「そう……。本当に、ごめんなさい……っ!」
申し訳なさと己の汚らわしさに耐えきれず、私は逃げるように立ち上がり、玄関へ向かった。
「あ、ありがとう、本当に……っ! 今度、しっかりと謝らせてちょうだい。それじゃあ、失礼するわね……!」
一刻も早くこの場を去ろうと、必死の思いで玄関のドアを勢いよく開けた――その、瞬間。
目の前に立っていた人物と、完全に視線がぶつかった。
「た……ち……ばな……さ――んっ!?」
驚きで声を上げた私の言葉は、最後まで紡がれることはなかった。 目の前にいた橘薫子さんが、鬼気迫る表情で私の胸ぐらを強く掴み、そのまま強引に顔を寄せてきたのだ。
「んっっ……!? ん……っ、ふ……っ!」
強烈な衝撃とともに唇を奪われる。唐突すぎる事態に脳が追いつかず、私はパニックになりながら彼女の肩を押し返そうと必死に抵抗した。
「んっ……やめっ……橘さん……なに、してっ……!?」
必死に身を捩り、抗おうとする私の両手首を、橘さんは逃がさない強さで片手で押さえつけ、壁へと押し付けた。隙間なく身体を密着させられ、抵抗も虚しく再び深く角度を変えて口腔をこじ開けられる。
「っ!? んっ……ふ……ジュル……ッ、んぁ……っ」
逃げ場を完全に塞がれ、30秒以上にもわたって容赦なく舌を絡め取られる。 息ができないほどの濃密で暴力的な熱量に、頭が白く痺れていく。呼吸を乱し、涙目で荒い息を吐き出す私を冷たく見下ろしながら、橘さんはゆっくりと舌を引いた。
「……大事な妹の唇は……返してもらったわ」
氷のように冷たい、けれど苛烈な怒りを秘めた声。息を荒げる私の耳元で、彼女は低く囁きかけた。
「ホテルで会うなんて言うから心配になってね……あの子に『何か変なことされてない!?』ってメールで確認したのよ。そうしたら……『ディープキスされちゃいました』なんて呑気な返信が来てね……。自分のしでかしたこと、分かってるの……?」
(メールで……!? 橘さんの方から心配して聞いていたの……!?)
自分の失態が全て橘さんに筒抜けだったと知り、私は恐怖で完全に血の気が引いた。逃げられない拘束の感触と、あの子を守ろうとする橘さんの常軌を逸した執念に、足の力が抜けていく。
「……ちょっと二人で話さないかしら……櫻さん?」
橘さんはドアの奥で呆然と立ち尽くしている夜留ちゃんに向かって、「ごめんね夜留、後でもう一回来るからね」と柔らかい声で告げると、私に向き直し、引きずるような強さで薫子の部屋へと連れ去ったのだった――。




