第11話 温もりと冷え切った夜
ずっと頭を撫でているけれど、当の薫子お姉ちゃんは気持ちよさそうに目を細めたまま、すやすやと寝息を立てている。
(お姉ちゃん……ちょっと隙がありすぎだよ)
本当は気づいていた。お姉ちゃんは私が事件の記憶を失っていると思わせて、ただの上司を装いながら、陰でずっと私を守ってくれていたんだということ。
不器用で、優しすぎるお姉ちゃん。私のせいでずっと心配をかけてしまっていたんだと思うと、胸がキュッと締め付けられると同時に、申し訳なさでいっぱいになる。
(おうちまで、ちゃんと送ってあげなきゃね)
伏せっているお姉ちゃんの顔を覗き込むと、無防備な寝顔がなんだか愛おしくて、つい笑みがこぼれてしまう。けれど、そろそろ起こさないとお店にも迷惑だ。
「お姉ちゃん、起きて。帰るよ」
「ん……ぅ〜……わがったよぅ……」
体を揺らすと、重い体を起こしてくれたものの、視線が定まっていない。相当酔いが回っているみたいだ。私はお姉ちゃんの細い腕を自分の肩に回し、しっかりと腰を支えながら居酒屋を出た。
夜風の吹き抜ける店先に出たものの、そこで重大なことに気づく。
(……お姉ちゃんの家、どこだか知らないや)
「お姉ちゃん、お姉ちゃんのお家どこ? 教えて」
「ん〜〜〜〜っ。夜留ちゃんだーいすき♡」
「きゃっ……!?」
返事の代わりに、がばりと抱きつかれた。首元に顔を埋められ、ぎゅっと強い力で抱きしめられる。
「……だめだこりゃ。ていうか……名前、呼んでくれた」
さっき心の中で確信していたことが、はっきりと事実として証明された嬉しさに胸が熱くなる。
……じゃなくて! これ以上路上で絡まれるわけにもいかない。
「もうっ、仕方ないな……私の家に行くよ?」
溜め息をつきながらも、口元はニヤついてしまう。それにしても、お姉ちゃんはこんなに綺麗で仕事もできるのに、お酒が入るとスキだらけで危険すぎる。明日起きたら絶対に注意しようと心に誓い、酔っ払った「お姉ちゃん」を引きずるようにして自分のマンションへと向かった。
◇ ◇ ◇
side:櫻 真夜
タクシーの窓越しに、偶然見かけてしまった光景。
楽しそうに身体を寄せ合い、抱きつき合う二人の女性の姿。
「え……星野……さん……?」
街灯の下で、年上の女性に抱きつかれながら困ったように笑っているのは、紛れもなく夜留さんだった。
その瞬間、胸の奥が冷たい刃物で刺されたように、チクッと強く痛んだ。
(ああ……そうよね。あんなに澄んだ綺麗な瞳をした素晴らしい子なのだもの。周囲が放っておくはずがないわ……)
自分でも驚くほど、視界が歪む。
固まってその光景を見つめていた私は、ふと己の内側から湧き立つドロドロとした感情の存在に気づき、愕然とした。
(……待って。私……今、もしかして……妬いているの……?)
悪寒が走り、激しく首を振る。
だめ、だめだめだめ……! 私にそんな感情を抱く資格なんてあるはずがない。私はあの子の傷と同じ「心中加害者」であり、あの子の人生を壊した人間と同類の存在なのだから。
ピコン――。
沈黙を破るように、バッグの中でスマートフォンが跳ねた。
『女B:今からヤれる……? 私の家来て♡』
歪んだ感情から逃げ出すには、打ってつけの口実だった。罪悪感を塗り潰すように、迷わず返信する。
『真夜:すぐ行くわ』
……最低だわ、私。どこまでも救いようのない、愚かな女。
◇ ◇ ◇
「っ、あ……ハァ、ハァッ……! もっと……っ」
「……珍しいわね。ふ〜ん、まあいいわ。無茶苦茶にしてあげる」
ホテルのベッドの上、荒い息を吐き出しながら相手を求める。
身体を重ね合わせた後、煙草の煙が漂う部屋で、女が不審そうに私を見下ろしていた。
「真夜……あんた、今日どうしたのよ。抱かれてる最中に声を出すなんて、珍しいじゃない。……まあ、いつも通り心がここにないのは変わらないけどね」
「……そう、ね……」
「ま、いいわ。来てくれてありがと。気をつけて帰りなさいよ」
「ありがとう……じゃあね」
素っ気なく服を整え、部屋を後にする。
夜の路上に出ると、ひんやりとした風が頬を撫でた。
「ふぅ……。風がまだ冷たいわね……もうすぐ春だというのに。……頭を冷やすには、ちょうどいいかしら」
自嘲気味に呟く。
抱かれている最中、脳裏にこびりついて離れなかったのは、あの子の面影だった。夜留さんのことを思い浮かべながら、身体の熱を感じていたなんて――どこまでも最低で、汚らわしい。
あの日以来、すべての感覚を失い、ただの人形として生きてきたはずなのに。あの子のことを考えると、止まっていた感情も、熱も、恐ろしいほどの執着も生き返ってしまう。
(ううん……いけない。ダメよ……私なんかが、あの子を求めるなんて……)
冷たい夜風に身を晒しながら、私は己の醜さにただ震えていた。




