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第8話 朝食

 翌朝。


 優真が部屋を出ると、キッチンから低い機械音が聞こえてきた。


「……何の音?」


 まだ少し眠い目を擦りながら、リビングへ向かう。


 キッチンには、すでに澪がいた。


 細いフレームのメガネ。


 綺麗に整えられたボブ。


 昨日の夜とは違い、すっかりいつもの姿に戻っている。


「おはようございます、優真さん」


「おはよう」


「もうすぐできますので、座っていてください」


「ありがとう」


 言われるままテーブルへ向かう。


 そして。


「……」


 優真は止まった。


 テーブルの上には、昨日買った二つのマグカップが置かれている。


 しかも。


 ぴったり並んで。


 ハートになっていた。


「……澪」


「はい?」


 澪が振り返る。


「これ」


「何ですか?」


「ハートになってるけど」


「……」


 澪の動きが止まった。


 視線がテーブルへ向く。


「偶然です」


「綺麗にくっついてるよ?」


「置く場所がそこだっただけです」


「へえ」


「何ですか?」


「別に」


「……」


 澪は何事もなかったようにキッチンへ向き直る。


 ただ。


 耳が少し赤い。


「澪」


「何ですか?」


「耳――」


「朝食を準備します」


「まだ何も言ってないよ」


「聞かなくても分かります」


「自覚あるんじゃん」


「ありません」


 優真は笑いながら椅子に座った。


 どうやら。


 このマグカップ。


 買って正解だったかもしれない。


◇


「お待たせしました」


 澪が朝食を運んでくる。


「……」


 優真はテーブルを見る。


 サラダチキン。


 納豆。


 ゆで卵。


 野菜と果物を使ったスムージー。


 そして。


 シェイカー。


「……澪」


「はい?」


「ここ、家だよね?」


「そうですが」


「ジムじゃないよね?」


「知っています」


「ならいいんだけど」


「?」


 澪は意味が分からないという顔をした。


 そしてシェイカーを手に取る。


 何度か振って。


 中身をグラスへ注いだ。


「プロテインです」


「見ればなんとなく分かる」


「優真さんの分もあります」


「俺も飲むの?」


「不要ですか?」


「いや、飲むけど」


 優真も普段まったく飲まないわけではない。


 ただ。


 朝食としてここまで徹底されているとは思わなかった。


 澪は椅子に座ると、まずプロテインを手に取った。


 一口。


「……先にそれなんだ」


「はい」


「何か理由あるの?」


「起床後は長時間栄養を摂取していない状態ですので、先にタンパク質を補給した方が効率的です」


「朝飯にも効率求めるんだね」


「朝は時間が限られていますから」


「まあ、それはそうだけど」


 優真もプロテインを飲む。


「……普通に美味しい」


「バナナ味です」


「そこは結構可愛いの選ぶんだ」


「味と可愛さに関連性がありますか?」


「ないです」


 続いてサラダチキン。


 ゆで卵。


 納豆。


 味は普通に美味しい。


 決して料理ができないわけではない。


 むしろ。


 サラダチキンにもちゃんと味がついているし、ゆで卵の加減もちょうどいい。


「これ、澪が作ったの?」


「サラダチキンですか?」


「うん」


「昨日の夜、下味をつけておきました」


「引っ越し初日に?」


「はい」


「いつ?」


「優真さんがシャワーを浴びている間です」


「……あの短時間で?」


「下味をつけただけです」


「そうだけど」


 やっぱり。


 生活能力は普通に高い。


 ただ。


 使い方が妙に効率重視なのだ。


「澪って、毎朝こんな感じ?」


「だいたい同じです」


「毎日?」


「はい」


「飽きない?」


「特には」


「マジで?」


「納豆は好きです」


「そこ!?」


 澪が納豆を見る。


「美味しいと思いますが」


「いや、美味しいけど」


「優真さんは嫌いですか?」


「好きだよ」


「でしたら問題ありませんね」


「そういう問題なのかな……」


 優真は苦笑する。


「でもさ」


「はい」


「たまにはトーストとか、目玉焼きとか食べたくならない?」


「作れますよ」


「作れるの?」


「……」


 澪が少しだけ不満そうに優真を見る。


「なぜ、できないと思ったのですか?」


「いや、できないとは思ってないけど」


「目玉焼き程度であれば問題ありません」


「じゃあなんで毎朝これなの?」


「準備時間が短く、必要な栄養を摂取できるからです」


「ああ……」


 優真は納得した。


「やっぱりそこなんだ」


「何がですか?」


「合理性」


「重要だと思います」


「澪らしいね」


「そうですか?」


「うん」


 澪は少しだけ考えて。


 サラダチキンを口に運んだ。


「優真さんは、普段どのような朝食なのですか?」


「俺?」


「はい」


「適当だよ。トースト焼いたり、目玉焼き作ったり。時間なかったらコーヒーだけの日もあるし」


「コーヒーだけ?」


「たまにね」


「それは推奨できません」


「やっぱり怒られた」


「怒ってはいません」


「顔がちょっと怖いよ」


「朝食を抜くと、午前中の集中力に影響する可能性があります」


「はいはい」


「優真さん」


「はい」


「重要なことです」


「分かったって」


 まるで。


 秘書に健康管理までされている気分だ。


 いや。


 今は秘書ではない。


 妻だ。


「……」


 優真は少しだけ考える。


「じゃあさ」


「はい?」


「休日くらい、俺が朝飯作ろうか?」


「……」


 澪の動きが止まった。


「優真さんが?」


「なんでそんな驚くの?」


「いえ」


「俺だって料理くらいするよ」


「知っています」


「昨日言ったもんね」


「はい」


「じゃあ、その顔は何?」


「どの顔ですか?」


「ちょっと不安そうな顔」


「不安ではありません」


「本当に?」


「はい」


「じゃあ次の休み、俺が作るよ」


「……」


「何食べたい?」


 澪が考える。


「栄養バランスが――」


「それじゃなくて」


「?」


「澪が食べたいもの」


「私が?」


「うん」


「……」


 また。


 澪が考え込む。


 そんなに難しい質問をしたつもりはない。


「目玉焼き」


「そこは普通なんだ」


「先ほど優真さんが言ったので、少し食べたくなりました」


「ああ、なるほど」


「それと」


「うん?」


「トースト」


「はい」


「ベーコン」


「はいはい」


「サラダも必要です」


「最後に栄養バランス戻ってきたな」


「必要です」


「分かった」


 優真は笑った。


「じゃあ次の休みは、それで」


「お願いします」


「任せて」


 澪が小さく頷く。


 そして。


 ほんの少しだけ。


 楽しみにしているように見えた。


◇


 食事を終える。


 澪が食器を片付けようと立ち上がった。


「あ、俺やるよ」


「ですが、朝食を用意したのは私です」


「だから。作ってもらったんだから、片付けくらいやる」


「……」


「何?」


「いえ」


 澪が少し考える。


「合理的ですね」


「夫婦って、そういうもんじゃない?」


「そういうものですか?」


「たぶん」


「……分かりました」


 澪が席に戻る。


 優真は食器をキッチンへ運ぶ。


 最後に。


 二つのマグカップ。


 優真は片方ずつ手に取った。


「……」


 何気なく並べる。


 ぴたり。


 ハートになった。


「……」


 優真は振り返る。


 澪と目が合った。


「……」


「……」


「今、見てた?」


「見ていません」


「目合ったよね?」


「偶然です」


「今日、偶然多くない?」


「気のせいです」


「そっか」


「はい」


 優真は笑いながらマグカップを洗った。


 朝食は。


 サラダチキン。


 納豆。


 ゆで卵。


 スムージー。


 プロテイン。


 どこまでも澪らしい、効率重視の朝食。


 その横には。


 二つ並んだ、ハートのマグカップ。


 合理的なのか。


 新婚らしいのか。


 どちらなのか、よく分からない。


 ただ。


 こういう朝も悪くない。


 優真は。


 少しだけ、そう思い始めていた。

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