第52話 結婚式
結婚式当日。
式場の控室。
「……」
澪は鏡の前に座っていた。
メイクは終わっている。
髪も整えられた。
あとは。
ウェディングドレス。
「それでは、お着替えしましょうか」
「はい」
スタッフに促され、澪は立ち上がった。
すでに一度、試着している。
優真にも見られた。
由奈にも選んでもらった。
だから。
何も問題はない。
「……」
ないはずだった。
ドレスに袖を通す。
一つずつ整えられていく。
最後にベール。
「完成です」
「……」
澪は鏡を見る。
試着した時と同じドレス。
だが。
今日は違う。
今日は。
これを着て、優真と結婚式をする。
「……」
「いかがですか?」
「問題ありません」
「ふふっ」
「何でしょうか」
「いえ。とてもお綺麗ですよ」
「……ありがとうございます」
鏡の中の自分を見る。
その時。
頭の中に。
あの日の優真の声が蘇った。
――綺麗。
「……」
耳が少し熱くなる。
「大丈夫ですか?」
「はい」
「少しお顔が赤いような」
「問題ありません」
「そうですか?」
「はい」
澪は一度、深く息を吐いた。
今日は。
結婚式。
それだけだ。
◇
別の控室。
「……」
優真は鏡の前でネクタイを直していた。
「神谷様、少し失礼いたします」
「あ、はい」
スタッフが位置を整える。
「こちらで大丈夫です」
「ありがとうございます」
一人になる。
「……」
鏡を見る。
タキシード。
自分でも。
まだ少し現実感がない。
結婚したのは、もうずっと前。
婚姻届も出した。
一緒に暮らしている。
会社でも毎日顔を合わせている。
なのに。
「……結婚式か」
改めて口にすると。
妙に緊張する。
そして。
考えないようにしていたものが。
頭に浮かんだ。
誓いのキス。
「……」
優真は鏡から目を逸らした。
「いや」
今日は他にもやることがある。
誓いの言葉。
指輪交換。
披露宴。
挨拶。
いろいろある。
キスだけじゃない。
「……」
分かっている。
それなのに。
「……暑いな」
優真は小さく呟いた。
◇
式場には。
少しずつ参列者が集まっていた。
「陸さん!」
「聞こえとる」
「ついに今日ですよ!」
「何がや」
「結婚式ですよ!」
「見たら分かる」
「澪さんのドレス、ほんっとうに綺麗なんですから!」
「お前はもう見たんやろ」
「はい!」
「なら落ち着け」
「無理です!」
「なんでお前が一番テンション高いんや」
「だって!」
「声でかい」
「……すみません」
由奈は声を落とした。
だが。
顔は笑ったままだった。
「今日、社長大丈夫ですかね」
「何が」
「ドレス姿」
「知らん」
「前は無意識に――」
「それ何回聞かすねん」
「大事なところです!」
「俺にはどうでもええ」
「陸さんには分からないんですよ」
「分からんでええ」
少し離れたところでは。
「本当に結婚式するのねえ」
水森が嬉しそうに会場を見回していた。
「澪さん、綺麗でしょうね」
隣でゆりも微笑む。
「普段、あまりこういうことに興味を示さない方なので」
「そうなのよ」
「でも最近は、料理も楽しんでいらっしゃいますよ」
「そうそう。旦那さんと暮らし始めてから、ちょっと変わったの」
「やはり、そうなんですね」
「本人は気づいてないでしょうけど」
二人が顔を見合わせて笑う。
そして。
「お母さん!」
あかりが母の袖を引く。
「何?」
「まだ?」
「もうすぐよ」
「澪お姉ちゃん、まだ?」
「もうすぐ」
「見に行っちゃダメ?」
「ダメ」
「ちょっとだけ」
「ダメ」
「……」
「あかり」
「分かった」
そう答えながら。
あかりはチャペルの扉を何度も見ていた。
◇
やがて。
参列者がチャペルへ案内される。
優真は祭壇の前に立っていた。
「……」
落ち着かない。
何度も見学した場所。
ここにすると決めた場所。
それなのに。
今日はまるで違って見える。
「……」
参列席を見る。
両親。
あかり。
直人。
陸。
由奈。
水森。
ゆり。
知っている顔が並んでいる。
やがて。
音楽が変わった。
「……」
全員が後ろを見る。
チャペルの扉が開いた。
「……」
そこに。
澪がいた。
父の隣で。
純白のウェディングドレスを身にまとって。
「……」
優真は息を呑んだ。
試着の時に見ている。
同じドレスだ。
知っている。
なのに。
全然違った。
澪が父と歩き始める。
一歩。
また一歩。
優真は。
ただ見ていた。
やがて。
二人が目の前まで来る。
澪の父が、優真を見る。
「……よろしく頼む」
「はい」
短い言葉。
優真も。
まっすぐ父を見る。
「大切にします」
「……」
父が一度だけ頷いた。
そして。
澪の手が。
優真へと託された。
「……」
手が触れる。
澪が優真を見る。
「……」
「……」
二人とも何も言わない。
そのまま。
祭壇へ向かう。
◇
式が始まった。
誓いの言葉。
優真が答える。
澪も答える。
指輪交換。
優真が澪の左手を取る。
「……」
指輪をはめる。
今度は澪。
優真の指へ。
ゆっくりと指輪を通した。
「……」
そして。
ついに。
「それでは、誓いのキスを」
「……」
「……」
二人の動きが止まった。
来た。
ずっと。
意識しないようにしていた。
その瞬間。
「……」
優真が澪を見る。
澪も優真を見る。
近い。
「……澪」
参列席には届かないほどの声。
「……はい」
「……いくよ」
「……はい」
優真が。
ゆっくり顔を近づける。
「……」
澪は目を閉じた。
そして。
唇が触れた。
「……」
「……」
その瞬間。
澪の思考が。
止まった。
「……」
優真の思考も。
止まった。
触れている。
澪の唇に。
優真の唇が。
「……」
離れる。
ただ。
それだけでいい。
なのに。
「……」
「……」
二人とも。
動かなかった。
一秒。
二秒。
三秒。
「……」
長い。
明らかに。
長い。
「……?」
参列席にも。
少しずつ。
妙な空気が流れ始める。
「……」
あかりが首をかしげた。
「お母さん」
「しっ」
「お兄ちゃん、キス長くない?」
「あかり」
「だって――」
「言わないの」
「……はい」
その少し離れた席では。
「……っ!!」
由奈が両手で口を押さえていた。
「……っ!」
声は出さない。
だが。
足が。
ばたばたばたばた。
「……おい」
陸が小声で言う。
「落ち着け」
「……っ!」
ばたばたばたばた。
「聞いとるか?」
由奈がものすごい勢いで頷く。
そして。
小さな声で。
「……長いです」
「言うな」
「絶対、二人とも固まってます」
「言うな」
「……最高です」
「何がや」
そして。
「……!」
先に我に返ったのは。
優真だった。
顔を離す。
「……」
目の前には。
真っ赤になった澪。
「……」
優真も。
同じくらい赤かった。
「……」
「……」
目が合う。
そして。
二人同時に。
視線を逸らした。
式は。
まだ終わっていない。
それなのに。
二人の頭の中から。
この後の進行が。
一瞬。
完全に消えていた。
「……」
澪は。
自分の唇を意識してしまう。
初めてのキス。
それは。
予定していたよりも。
ずっと。
長かった。




