第46話 誓いのキス
食事を終え、店を出る。
「今日はありがとうございました」
優真が頭を下げると、澪も隣で頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ」
澪の母が微笑む。
「ちゃんと話せてよかったわ」
「はい」
「お父さん」
「……なんだ」
「今日はありがとう」
「礼を言われることじゃない」
父はいつもの調子で答えた。
「日程が決まったら連絡しなさい」
「何のですか?」
「結婚式だ」
「……」
澪が止まる。
「忘れたとは言わせないぞ」
「忘れていません」
「ならいい」
「……はい」
その隣で、優真の母が笑った。
「私たちにも連絡してね」
「うん」
「今度は忘れないでよ」
「分かってるよ」
「本当に?」
「母さん、それ今日何回目?」
「あなたが信用をなくしたからでしょう」
「……はい」
優真の父も小さく頷く。
「日程が決まったら連絡しろ」
「うん」
「仕事も頑張れ」
「ありがとう」
「ただし」
「何?」
「たまには連絡しろ」
「……はい」
「よし」
話が一区切りしたところで。
「澪お姉ちゃん!」
「……はい」
澪が振り向く。
あかりが笑顔で手を振っていた。
「結婚式、絶対行くからね!」
「……はい」
「楽しみにしてる!」
「……」
「ウェディングドレスも!」
「……はい」
「写真もいっぱい撮る!」
「あかり」
優真が苦笑する。
「まだ何も決まってないから」
「でもやるんでしょ?」
「……まあ、そうなったね」
「じゃあいいじゃん!」
あかりが再び澪を見る。
「楽しみにしてるね、澪お姉ちゃん!」
「……はい」
澪は少しだけ間を置いて。
「私も……準備します」
「うん!」
あかりが大きく手を振る。
「じゃあね! お兄ちゃん! 澪お姉ちゃん!」
「またね」
「お気をつけて」
両家がそれぞれ帰っていく。
最後まで。
あかりは何度も振り返って手を振っていた。
「……」
澪も、小さく手を振り返した。
やがて姿が見えなくなる。
「気に入られたね」
「そうでしょうか」
「お姉ちゃんって何回呼ばれた?」
「数えていません」
「そっか」
「はい」
「嫌じゃなかった?」
「……」
澪は少し考える。
「いいえ」
「そっか」
「はい」
ほんの少しだけ。
澪の口元が緩んだ。
◇
帰りのタクシー。
優真と澪は、後部座席に並んで座っていた。
「疲れたね」
「はい」
「まさか会社のことまで怒られるとは思わなかった」
「報告していなかった優真さんに問題があります」
「澪まで言う?」
「事実です」
「……はい」
「ですが」
「ん?」
「ご両親が安心されたのであれば、結果としては問題ありません」
「澪が説明してくれたからね」
「私は数字を提示しただけです」
「俺のことも褒めてくれたじゃん」
「……」
澪が窓の外を見る。
「事実を説明しました」
「嬉しかったよ」
「……そうですか」
「うん。ありがとう」
「……」
澪の耳が、少しだけ赤くなった。
「……どういたしまして」
優真が笑う。
しばらくして。
澪はスマートフォンを取り出した。
「何見てるの?」
「結婚式についてです」
「もう?」
「何も知識がありませんので」
「今日決まったばっかりだよ?」
「だからです」
「……澪らしいね」
澪は画面へ視線を戻した。
結婚式。
費用。
会場。
招待客。
衣装。
必要な準備。
「……」
想定以上に項目が多い。
準備期間も必要になる。
「優真さん」
「何?」
「結婚式は、準備項目が非常に多いです」
「そうなんだ」
「会場選定、衣装、招待客、料理、席次、引き出物――」
「待って」
「はい」
「今全部覚えようとしてない?」
「必要ですので」
「家帰ってからでいいんじゃない?」
「移動時間を有効活用しています」
「……はい」
澪はそのまま読み進める。
挙式当日の流れ。
「……」
新郎入場。
新婦入場。
誓いの言葉。
指輪交換。
「……」
指が止まった。
誓いのキス。
「……」
澪は画面を見つめる。
「……」
もう一度読む。
誓いのキス。
「……」
優真と。
キス。
「……っ」
頬が熱くなった。
澪は反射的にスマートフォンを少し下げる。
「……」
窓を見る。
夜の街が流れていく。
「……」
だが。
頭の中には。
別のものが残っている。
誓いのキス。
「……」
「澪?」
「……はい」
「どうしたの?」
「何がでしょうか」
「顔赤くない?」
「……」
澪は反射的に頬へ手を当てる。
「車内温度の影響だと思われます」
「暑い?」
「……少し」
「エアコン下げてもらう?」
「必要ありません」
「でも――」
「問題ありません」
「……そっか」
優真は澪を見る。
耳まで赤い。
「……」
何を見ていたんだろう。
何気なく。
澪の手元へ視線を落とす。
「……」
スマートフォンの画面。
挙式の流れ。
そして。
誓いのキス。
「……」
優真の動きが止まった。
「……あ」
「……」
澪が優真を見る。
「……」
「……」
目が合う。
優真の頭の中でも。
今さら。
その事実が形になった。
結婚式。
誓いのキス。
つまり。
澪と。
「……」
優真は前を向いた。
「……」
今度は。
優真の耳が赤くなっていく。
「……優真さん」
「何?」
「耳が赤いです」
「……暑いね」
「……」
「……」
「先ほどまで、暑いとは言っていませんでした」
「今、暑くなった」
「……そうですか」
「うん」
「……」
「……」
二人とも。
それ以上は何も言わなかった。
タクシーは静かに走り続ける。
「……」
澪はスマートフォンの画面を消した。
だが。
一度意識してしまった言葉は。
画面を消しても、消えてはくれなかった。




