第45話 両家顔合わせ
日曜日。
予約した和食店の前で、優真と澪は並んで立っていた。
「……」
「……」
約束の時間まで、あと十分。
「澪」
「はい」
「緊張してる?」
「問題ありません」
「それ、緊張してる時にも言うよね」
「体調について回答したわけではありません」
「そうだけど」
「準備は完了しています」
「うん」
「予約内容も、今朝再確認しました」
「うん」
「個室。六名。料理の変更なし。双方に苦手な食材もありません」
「完璧だね」
「はい」
澪は腕時計を見る。
「あと九分です」
「一分しか経ってないよ」
「はい」
「……やっぱり緊張してる?」
「問題ありません」
「戻った」
優真が小さく笑った。
その時。
「澪」
声がした。
「……お母さん」
澪の両親だった。
母の隣には、背筋を伸ばした父がいる。
「お父さん」
「久しぶりだな」
「はい」
父は澪を見る。
それから、隣の優真へ視線を移した。
「神谷優真です」
優真が頭を下げる。
「ご挨拶が遅くなってしまい、申し訳ありません」
「……黒瀬だ」
父も軽く頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」
母が澪を見る。
「緊張してる?」
「していません」
「そう」
「はい」
「ならいいけど」
「……」
澪は何も言わなかった。
その直後。
「優真!」
今度は反対側から声がした。
「あ、母さん」
優真の両親が歩いてくる。
「ごめんなさい。待った?」
「いや、俺たちも今来たところ」
「そう」
優真の母が澪を見つけた。
「……」
写真で見ている。
だが。
実際に会うのは初めてだった。
「初めまして。神谷澪です」
澪が頭を下げる。
「初めまして。優真の母です」
「本日はありがとうございます」
「こちらこそ。やっと会えたわ」
「……申し訳ありません」
「今日は怒らないから大丈夫」
「……はい」
「優真にはあとで言うけど」
「俺?」
「当然でしょう」
「……」
優真が苦笑する。
「それじゃあ、入りましょうか」
澪が言った。
「予約は六名で――」
「お兄ちゃん!」
「……?」
優真が振り返る。
少し遅れて、小走りでこちらへ向かってくる女の子がいた。
「……あかり?」
「間に合った!」
「なんでいるの?」
「来たかったから」
「来たかったからって……」
十五歳。
優真の妹、あかりだった。
「母さん」
「どうしても行きたいって聞かなくて」
「先に言ってよ」
「ごめんなさい」
「……」
優真が澪を見る。
「澪」
「……」
澪は動かなかった。
「澪?」
「七名」
「え?」
「予約は六名です」
「あ」
「一名増えています」
「……そうだね」
「確認してきます」
「あ、俺が――」
「私が予約しましたので」
「はい」
澪はすぐに店内へ入っていった。
「……」
あかりがその背中を見る。
「お兄ちゃん」
「何?」
「あの人?」
「うん」
「ふーん」
「何?」
「別に」
数分後。
澪が戻ってきた。
「一名追加可能です」
「よかった」
「料理も同じものを用意していただけます」
「すみません」
優真の母が頭を下げる。
「問題ありません」
「澪、ありがとう」
「はい」
「じゃあ入ろうか」
七人で店へ入った。
◇
個室。
七人が席につく。
「……」
「……」
誰も話さない。
両家顔合わせ。
何から話せばいいのか。
優真も。
澪も。
両親たちも。
最初の一言が出てこない。
「……」
そんな中。
あかりだけが、向かいに座る澪をじっと見ていた。
「……?」
澪が気づく。
「何でしょうか」
「ねえ」
「はい」
「あなたがお姉さん?」
「……」
澪が止まった。
「……」
お姉さん。
誰の。
「……」
澪はあかりを見る。
優真の妹。
自分は、優真の妻。
なら。
「……はい」
あかりの顔がぱっと明るくなった。
「じゃあ、お姉ちゃんって呼んでもいい?」
「……」
澪が、また止まった。
「……」
しばらく考える。
「はい。問題ありません」
「やった!」
「……?」
「私、お姉ちゃん欲しかったんだ」
「そうなのですか?」
「うん!」
「……」
澪は少しだけ戸惑いながら。
「では……よろしくお願いします」
「うん! 澪お姉ちゃん!」
「……」
初めて呼ばれた。
澪お姉ちゃん。
「……はい」
返事が、ほんの少しだけ遅れた。
「もう、あかり」
母が苦笑する。
「最初から飛ばしすぎよ」
「だって気になってたんだもん」
「電話の時はいなかったでしょう?」
「あとで聞いたの」
「そうなの?」
「うん」
それをきっかけに。
張りつめていた空気が、少しだけ緩んだ。
料理が運ばれてくる。
自己紹介をして。
互いの家族の話をして。
少しずつ会話が増えていった。
やがて。
「そういえば」
優真の母が息子を見る。
「会社は順調なんでしょう?」
「……」
優真の箸が止まった。
「優真?」
「……うん」
「どうしたの?」
「いや」
「?」
「その会社なんだけど……」
「何?」
「前の会社じゃない」
「……」
母の表情が止まった。
「どういう意味?」
「辞めたんだ」
「……」
「……」
「いつ?」
「結構前」
「結構前!?」
母の声が個室に響いた。
「ちょっと待って!」
「はい」
「あなた、会社辞めてたの!?」
「うん」
「なんでそれも言ってないの!」
「ごめん」
「結婚も言わない! 会社辞めたことも言わない! あなた――」
「優真」
父の低い声が重なる。
「はい」
「今は何をしている」
「会社をやってる」
「……会社?」
「起業したんだ」
「……」
今度は父まで止まった。
「お前が?」
「うん」
「いつだ」
「前の会社を辞めてから」
「なぜ、それも報告しない」
「……ごめん」
「ごめんじゃないでしょう!」
「母さん」
「結婚も起業も、普通は親に――」
「もういいじゃない」
「……」
突然。
あかりが口を挟んだ。
「あかり?」
「お母さんも、お父さんも」
「何?」
「会社は順調なんでしょ?」
あかりが優真を見る。
「お兄ちゃん」
「うん」
「順調?」
「まあ……順調だよ」
「じゃあいいじゃん」
「そういう問題じゃないのよ」
「でも、お兄ちゃんもう大人でしょ?」
「それはそうだけど」
「会社辞めて何もしてないなら心配だけど、自分で会社やってるんでしょ?」
「うん」
「だったら、まずちゃんとやれてるか聞けばいいじゃん」
「……」
母が黙る。
父も少し考えてから、優真を見た。
「……どうなんだ?」
「まだ大きな会社じゃないけど、仕事は安定してきてるよ」
「具体的には?」
「先月は――」
「売上高は六百二十万円です」
「……」
優真が横を見る。
澪だった。
「税引後の純利益は約二百万円です」
「二百万?」
優真の父が澪を見る。
「はい」
「毎月そのくらいなのか?」
「いいえ」
澪は即答した。
「先月は比較的好調でした。現時点では、毎月同水準の利益を確保できるとは判断していません」
「なるほど」
「ただし、現在の受注残と進行中の案件を考慮すれば、当面の資金繰りに問題はありません」
「……」
父が小さく頷いた。
「澪さんが、会社の金を管理しているのか」
「はい。経理、法務、総務を含む管理業務は、基本的に私が担当しています」
「じゃあ」
優真の母が息子を見る。
「優真は何してるの?」
「母さん、それ言い方」
「だって、澪さんが全部やってるみたいじゃない」
「違います」
澪がすぐに答えた。
「……」
全員の視線が澪へ向く。
「優真さんは、営業を担当しています」
「営業?」
「はい。新規顧客の開拓、既存顧客との関係維持、案件の獲得は主に優真さんが行っています」
「……」
「現在の売上の多くは、優真さんが獲得した案件によるものです」
「澪」
「はい」
「そこまで言わなくても」
「事実です」
「……」
澪は優真を見る。
「優真さんの営業力がなければ、成立しない会社です」
「……」
優真が黙った。
「私は、受注した案件を会社として適切に処理できるよう管理しています」
「澪だって、それだけじゃないでしょ」
「ですが、仕事を獲得できなければ管理する対象もありません」
「……」
「ですから」
澪は淡々と言った。
「社長として、優真さんは十分に役割を果たしています」
「……ありがとう」
「なぜお礼を言うのですか?」
「褒められたから」
「評価しただけです」
「それを褒めたって言うんじゃない?」
「……」
澪の耳が少し赤くなる。
「そうでしょうか」
「うん」
あかりがにやにやしている。
「何?」
「別に」
「絶対何かあるでしょ」
「澪お姉ちゃん、お兄ちゃんのことちゃんと見てるんだなって」
「……」
澪の耳がさらに赤くなった。
「業務上、必要な評価です」
「ふーん」
「何でしょうか」
「何でもない」
「……」
優真の父が二人を見る。
「ちゃんと二人でやっているんだな」
「はい」
澪は迷わず答えた。
「そうか」
父が一度だけ頷く。
母も小さく息を吐いた。
「……まあ」
優真を見る。
「報告しなかったことは問題だけど」
「はい」
「結婚も、仕事も、問題なさそうね」
「……うん」
「次からはちゃんと連絡しなさい」
「分かった」
「本当に?」
「します」
「ならいいわ」
ようやく。
母の表情が緩んだ。
「そういえば」
今度は澪の母が口を開いた。
「結婚式は?」
「……」
優真と澪が同時に止まった。
「結婚式?」
「ええ」
「……予定はありません」
澪が答える。
「してないの?」
「はい」
「これからする予定も?」
「現時点ではありません」
「どうして?」
「婚姻そのものは、すでに成立しています」
「……」
「結婚式を行わなくても、法的な問題はありません」
「そういう問題じゃないでしょう」
「では、どういう――」
「する」
「……」
低い声が響いた。
澪が父を見る。
「お父さん?」
「結婚式はする」
「……」
「ですが」
「澪」
「はい」
「お前は結婚したんだな」
「はい」
「なら、ちゃんと式を挙げなさい」
「必要性が――」
「ある」
「何でしょうか」
「俺が見たい」
「……」
澪が止まった。
「お前の花嫁姿を」
「……」
澪は父を見つめた。
昔から厳格だった。
感情を表に出すことも少ない。
必要のないことを口にする人でもない。
だから。
すぐには答えられなかった。
「……それは」
「理由として足りないか?」
「……」
澪は目を伏せた。
「いいえ」
小さく答える。
「十分です」
「そうか」
父はそれだけ言って、お茶を飲んだ。
「私も賛成」
優真の母が言った。
「……」
澪が顔を上げる。
「せっかくなんだから、二人の結婚式を見たいわ」
「……」
「優真」
「何?」
「あなたは?」
「俺?」
「澪さんの花嫁姿、見たくないの?」
「……」
優真が澪を見る。
「……」
目が合った。
「……見たいけど」
「……」
澪の耳が赤くなった。
「ほら」
「いや、今の聞き方ずるくない?」
「何が?」
「見たくないなんて言えるわけないでしょ」
「でも見たいんでしょう?」
「……まあ」
「なら決まりね」
「ちょっと待って」
「私も見たい!」
「あかり」
「だって、澪お姉ちゃんのウェディングドレスでしょ?」
「……」
「絶対かわいい!」
「……」
澪は完全に黙った。
「澪?」
「……」
「大丈夫?」
「はい」
「顔赤いよ」
「問題ありません」
「そう?」
「はい」
澪はお茶を一口飲んだ。
「……」
結婚式。
その言葉だけが。
先ほどから、頭の中に残り続けていた。




